大変寒い日となった。13時過ぎから冷たい雨が降り出している。雪にならなかったのがさいわい。しかしまだ油断はできない。何しろ1センチの降雪でも支障の出るのが日本の首都圏である。
昨晩は夜遅くまで、「式典に近寄りたくないまま‥生きてきた」を書いていた。追加や手直しで2時までかかったしまった。朝から目がしょぼしょぼしてつらい。パソコンを見るのは早々にあきらめたが、何をしていいかわからない。
読書もつらいのだが、短いものならば、食事をしながら読めるかもしれないと思い、「老いのかたち」(黒井千次、中公新書)をめくってみた。そこで「犬という日常」という話があった。夜道で犬の散歩をしている人とすれ違う話である。
ほとんど画面に焦点が合わないまま、この文章を作っている。また誤変換などがありそうである。
その内容とは一切関係ない私の体験。
私も昨年の初めまでは深夜の散歩をしていた。22時過ぎに家を出て、23時過ぎまで8千歩から1万歩あるいていた。汗だくになって帰宅していた。時には日付が変わりそうな時間までウォーキングをしていた。
そんな時間でもかなりの年配の女性が犬を連れて散歩しているのに出会った。何か悪いことでもしているようにどこかおどおどした歩き方であった。犬は小さなトイプードルで、元気にあちこち匂いを嗅いで活発に動いている。
その女性が向かいから歩いてくる姿は少々異様に見える。街灯の下や、車に照らされてようやく小さな犬を連れて散歩をしているとわかる。小柄なので暗がりでは、間近にならないと認識しにくい。着ている服が黒っぽいのでなおさら危険である。
すれ違う人やジョギングをしている人と出会うと、女性は避けるように道の端っこに寄る。犬をつないでいる紐を短くして、通り過ぎるのを待っている。どこかおびえている感じである。
夜の犬の散歩は別に禁じられているわけでもないのに、そして連れている犬の活発な動きとは正反対の、遠慮深い散歩の仕方が気になった。どこの家から出てくるのか、次第に気になった。しかし後をつける気などはない。私にとってはその年配の女性よりも自分のウォーキングのほうが切実である。
何回かすれ違っているうちに、その女性がある小さなマンションの前で犬を抱きかかえて、しかも犬の口に吠えないようなものを口にかぶせて、小走りに中に入っていくのを目撃した。ようやくそのおどおどした理由がおぼろげながら分かった気がした。
多分、マンションでは犬を飼うことが禁じられているのであろう。そのために吠えるのを防止する器具をつけていると思った。マンションの住人に犬の散歩自体を見られたくないのだろうと理解した。
深夜の道を、あそこまでおどおどしながら犬を飼い、そして散歩に連れ出す切実な何かがあるのだろう。しかしそれを詮索するわけにもいかない。
私は、足が痛くなり、最近は深夜のウォーキングを辞めざるを得なくなったので、もう一年近くトイプードルを連れたあの高齢の女性とはすれ違っていない。この寒い冬も暗がりをおどおどしながら散歩しているのであろうか。ふと気になった。
もうしばらく時間をかけて回復を待つしかないようです。
膝は相変わらず。今週末にまた整形外科で駐車を打ってもらう予定です。