夕方、岩波書店の「図書1月号」が届いた。そういえば最近は毎年これを読んで大晦日を迎えていた。毎年そのことを忘れていて、届いてから思い出すのを繰り返していた。
本日は3編だけ読んだ。いつもの通り覚書として。
・鬼婆の母 司 修
「「モシモ日本ガマケタナラ/デンシンバシラニ花ガサク‥」嘘みたいな歌を大人も子供も歌って喜んでいたのです。‥こんなの嘘だといったら村八分にされたでしょう。人を攻撃するのは戦争の基本です。自分が攻撃されないために先手をうって攻撃したのだと思います。‥‥」
・現代の写し鏡 河合祥一郎
「いったいなぜ人々は、傍若無人に自分勝手な発言を繰り返して政権を牛耳るような暴君を、指導者に選んでしまうのか。‥スティーブン・グリーンブラットの最新作「暴君」(岩波新書)は、現代に大きく関わるこの問いの答えをシャイクスピア作品の中に求めた。メルケル首相も読んでいたと話題になった本だ。暴君は自分たちの利益を守りたいがゆえにそのひどい振る舞いに目をつぶる人たちの思惑によって生まれ、自分たちが犠牲者となるときは後の祭りなのだ。暴君を生み出すのも、その台頭を阻止できるのも国民であり、権力の横暴を見過ごせずに「人間の品位を守って立ち上が」った「リア王」の名もなき召し使いこそ英雄だという。「秩序、礼儀正しさ、人間としての品位といった基本的価値観が崩壊」するとき、「暴君の台頭への道を作ってしまう」と本書は説く。‥アメリカを憂いていると読めるが、日本だって他人事とますしているわけにはいかない。」
・撤退の時代だから、そこに齣を置く 赤坂憲雄
「福島県立博物館の館長職を解かれて、野に下ったことは、‥コロナ禍のもとで迎えた大きな転換点といえる‥。しかし、福島を離れすに、奥会津で東北学の最終ステージを構築しようときめたことで、予想をはるかに超えて、風景そのものが一変しました。‥次から次へと不愉快な出来ことが国政レベルで生起してきました。その根底にあるものは経済至上主義であり、それが「人間の内面の統治」に乗り出している‥。震災の以降の福島では、思いがけぬかたちで、経済至上主義によって人間の内面が分断・統治される場面にくりかえし遭遇してきた‥。」
「関東大震災というカタストロフィーを起点にして、治安維持法、世界恐慌、二・二六事件、日中戦争、幻の東京五輪、太平洋戦争敗戦へと深まっていった歴史を振り返れば、東日本大震災以降の出来事のいくつかが偶然とは思われるリアルな映像となって甦ります。学術問題など‥それが強固なイデオロギー的基盤をほとんど感じさせないところに、間抜けなまでに「日本的な」精神のありようを見いたさずにはいられません。」
「1960年代の学問や思想が持っていた、現実への衝迫力といったものは、もやはほとんど失われているのかもしれません。」
「撤退の時代ですね。わたしはいま、あらためて地域主義を拠りどころにして、あまでマージナルな場所に留めおかれてきた民俗知の再編を試みることに賭けてみたいと、妄想を膨らましています。」
今回は引用が長くなったので、これでいったん終了。