胃部の痛みはひいたので、本日の昼はホットドッグなどを食べてみた。15時に帰宅後ねっとりとしたプリンを食べてみた。これらが少々早すぎたようだ。16時ころから胃のあたりが重苦しくなった。
病院で処方されて服用していなかった胃薬と吐き気を抑える薬を服用して、1時間ほど寝た。夕食は再びお粥にしてもらった。今のところ胃のあたりに違和感はない。
病気のひとつひとつの症状が気になる。ことさら重大に考えて落ちこむというのではなく、体のひとつひとつの違和感との対話に神経が集中するようになった。現役で働いている間は、俗事に紛れて忘れているような自分の体との対話、それに敏感になってきた。ひとつひとつの体の変化に敏感になっている。
★わがゆくてわれにも知れず雲の峰 川上梨屋
★死の如し峰雲の峰かがやくは 飯島晴子
入道雲=積乱雲を山にたとえるのが「雲の峰」という季語である。入道雲はもくもくと湧き上がるので、躍動感があり力強さや生命力の旺盛なさまに使う場合が多い。ここでは、生命力あふれる状態が制御不能ないし不安感に繋がる句(第1句)や、反対に死をイメージした句(第2句)を取り上げてみた。
第1句、気力が横溢していたり、あるいは気力を振り絞った場合でも、見えない未来は不安でもある。若い時にはなおさらである。しかしここでは雲の峯は明るいものを暗示しているようである。若さは羨ましい。
第2句、冒頭から「死の如し」という断定である。後光とも違うと思う。死後の天国や浄土や極楽などのイメージとも違うようだ。かがやいている死のイメージ。決して否定的ではない。静かにおさまっている。どのような心境で、どのようなイメージなのか、いろいろと考えさせてくれる不思議な句であると思った。