Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「定家明月記私抄 続編」 その6 終

2020年09月09日 20時43分07秒 | 読書

   

 「定家明月記私抄 続編」(堀田善衛、ちくま学芸文庫)を読了。読書の醍醐味というか、楽しみを味わうことが出来た。
 本日は「痢忽チ下リ矢ヲ射ルガ如シ(寛喜二年記(1))」、「前代ノ御製尤モ殊勝(寛喜二年記(2))」、「死骸道ニ満ツ(寛喜三年記(1))」、「涼秋九月、月方(マサ)ニ幽ナリ(喜三年記(2))」、「新勅撰集撰進(貞永元年記)」、「平安文化終焉 群盗横行、金銀錦繍(天福元年記(1))」、「定家出家、法名明静(天福元年記(2))」、「明月記、終(文暦元年以降)」、「後記――さらば、定家卿」。そして、解説にあたる「二人の筆ノ人に感謝する(井上ひさし)」。

 明月記にはこれでもか、これでもかという具合に当時の京の無秩序と盗賊の横行、道に溢れる飢餓・疫病などによる民衆の死骸の累々としたさま様などが記述されている。

「「草蘆西ノ小路、死骸逐日増スガ如シ。臰((しゅう)死臭の意)香徐(おもむ)ロニ家中ニ及ブ」。天皇が方違のために行幸中、大宮大路が死骸で一杯のため行進が難渋し、あまつさえ、天皇の輿を担いでいた丁卒たちが飢えのため力尽き、路上に「平伏セントシ」たので、武士どもに担がせたということまでが起る。」(「死骸道ニ満ツ」)

 七十歳を迎えた定家は3つの漢詩を作っている。

 第1番目の詩に次の句がある。以下「涼秋九月、月方(マサ)ニ幽ナリ」より。
濛々タル雨ノ裏来客ナシ タダ見ル林叢ノ漸ク変ジ衰フルヲ
七十ノ頽齢秋已ニ暮ル  流年流水逝キテ帰ル無シ

 第2番目の詩には堀田善衛の解釈が示されている。
閑窓灯尽キ悄然ノ思ヒ   単リ寝先ヅ催ス懐旧ノ情
旅客明ヲ待テ動クコト劇シ 愁人ノ残夜老眼ヲ驚カス
只憐ミ秋鳫ノ書信ヲ繋グヲ 識ラズ晨鶏別レヲ告グルノ声
節物未ダ忘レズ涼潔ノ変  故人悉ク去リテ他生隔ツ
「旅人は夜明けを待って、群れをなして慌ただしく出立しようとしている。愁いに沈む私はまだ夜明けには間があるのに、ただ秋の雁が便りを足につないで飛んで来るのを憐れに思う。恋人たちの朝の別れの時刻を告げる暁の鶏の声は、私の与り知るところではない。けれども四季の風物が涼しく変る面白さは、未だ忘れてはいない。故人悉ク去リテ他生隔ツ」

 第2番目の詩、最後に唐突として現れる「故人悉ク去リテ他生隔ツ」という述懐が身に沁みる。

 第3番目の詩もいい。
涼秋九月月方ニ幽ナリ   況ンヤ寂閑ノ人旧遊ヲ憶フ
良夜ノ清光晴未ダ忘レズ  当初ノ僚友往キテ留マル無シ
眠ラズ臥サズ謫居ノ思ヒ  誰カ問ヒ誰カ知ラン老愁ニ沈ムヲ
白露金風爰ニ計会シ    袂ニ満チ袖ヲ吹キテ浟々(テキテキ)

 堀田善衛も定家の歳となり、また私自身も70歳を間近に控え、「流年流水逝キテ帰ル無シ」、「故人悉ク去リテ他生隔ツ」、「当初ノ僚友逝キテ留マル無シ」は身にしみる。

 「御成敗式目五十一ヶ条なるものは、大宝律令以降の、画期的な武家政権の豊麗であった。‥「理非においては親疎あるべからず、好悪あるべからず、ただ道理の推すところ、心中の存知、傍輩を憚らず、権門を恐れず、詞を出すべきなり」とある。我が国の政治史の上にあって画期的なものであった。」(「新勅撰集撰進」)

 今の自民党政権に爪の垢でも煎じて飲ませたい文言が並ぶ。ようするに鎌倉の政権以下の現代の政治の実態である。
 だがしかし、定家の撰進した新勅撰集は、後堀川院の休止により、定家はこれを破棄する。だが、政権側への忖度の強要を受け、後鳥羽院・順徳院・土御門院の歌約100種を削り、かわりに武家の作品が多く取り入れられて、新勅撰集として再度九条家当主道家を通して確定する。その忖度は政権内の忖度であり、定家は強制されたものであるが、その批判は定家一人の責に帰せられてしまった。

 かくして定家74歳で明月記は終わる。だが定家はその後6年生き、80歳で亡くなっている。

「かつての僚友、源家長は、文暦年間に死し、癒えたかは嘉禎年間に没した。八十歳。後鳥羽院は、延応元年、六十歳で鬼のような新島守として(定家に対する怨念を抱きながら隠岐にその生涯を閉じた。隠岐、十九年間である。藤原定家、出家しての明静は、さらにその翌々年、仁治二年、八十歳の生涯を閉じた。かくてこの二人の、稀有な劇もまた、その幕を閉じた。」(「明月記、終」)

 最後に井上ひさしの文章を引用する。

「読解作業によって明らかにされた定家像の新鮮さ、そのおもしめさ。‥これまでの国文学史上の大人物であったゴリッパな定家先生像と堀田定家像とのあいだには千里も万里も違いがあって、それが読者に新鮮な驚きを与え‥。和歌論や王権論についての目映く光る省察の数々が読者へのまたとない賜物となっていた。」
「何しろひどい世の中である。花鳥風月の実感などどにもありはしない。実感では歌は詠めぬ。いきおい歌は過去の蓄積を生かすか(本歌取り)、人工の極致へ向かうしかない。定家はこの双方に足をふまえつつ、《官能と観念を交錯させ、匂い、光、音、色などのどれがどれと見分けがたいまでの、いわば混迷と幻覚性とが、朦朧模糊として、しかも艶やかな極小星雲を形成》したという指摘は、いわゆる“新古今調の歌”に対する、これまでになされた最高の注釈のひとつだった。‥自分の愛するものをかんとかしてうまく読者に引き合わせたいと芯から願うとき、文筆家はしはしばじつに機能的な、しかし実に美しい文章を作り出す‥。」(「二人の筆ノ人に感謝する」)



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