Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「日本美術の歴史」(辻惟雄) 第6章「鎌倉美術」

2021年12月08日 15時54分10秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 雨がなかなか止まず、整形外科にいけないでいる。傘をさしながら杖を突くというのはあまりしたくない。外と建物の中の出入りも面倒である。

 先ほどまで読んだのは久しぶりに「日本美術の歴史 補訂版」(辻惟雄、東京大学出版会)の第6章「鎌倉美術 貴族的美意識の継承と変革」。鎌倉美術といえば私の頭の中では、「仏像ルネサンス」と言われる運慶・快慶に代表される慶派の仏像である。これについて一応復習として、次の記述を確認しておきたかった。
1180年の南都焼討のあと、1186年から1208年にかけての南都仏師による東大寺、興福寺の造仏は、日本彫刻史上の画期的な出来事であった。京都、奈良の仏師がたがいに腕を競うなか、保守的な京都仏師の作風に対して、新しい作風を展開したのが、興福寺を本拠とする南都仏師であり、その統率者は運慶の父康慶であった。‥」(「③仏像のルネッサンス」)

 以下辻惟雄氏の見解と思われる所から興味を惹かれた2箇所から引用してみる。



東大寺俊乗堂の「俊乗上人坐像」は、西方を向いて念仏を唱えながら入寂する重源の姿を写したもので、老人の顔貌の特徴をあまさずとらえながら、信仰を貫いた人格の威厳を感じさせる。宋の写実的な肖像彫刻の影響という見方もあるが、それだけでは解釈できない主体的な造形の力を込めたこの像は、鎌倉リアリズムの傑作である。作者については推測が分かれるが、‥作者は運慶以外考えられないとする水野敬三郎の見方をとりたい。」(「③仏像のルネッサンス」)
 俊乗上人坐像は2017年の東京国立博物館での「運慶展」で実物を見て、感銘を受けた作品である。この展覧会でも「運慶もしくは運慶一門の直系筋」(皿井舞氏)が解説していた。



 この展覧会では参考図版として東大寺南大門の金剛力士像の大きな写真が展示されており、感銘を受けた。実物は昔東大寺を訪れた時には見ることが出来なかったと思う。この本に掲載されている図版もまた異様なこの像を迫真的にとらえていると思えた。
 リアリズムを超えて、異様な形相・造形に圧倒される。しかしいつも私が指摘するように、日本の仏像は力の入り方が上半身に偏っている。これだけの力を入れて身構えるとしたら、腰が伸びすぎである。膝を曲げ、腰を落とさないとリアルな造形にはならない。これがどうしても私には納得が出来ないのである。

 次に「絵巻物のその後」という項目で、次のように記載されているのに着目した。
13、14世紀の絵巻は、数量的にははるかに多量に制作されたが、‥第一に上げられるのは、時間表現の形式化である。画面が挿図的になり、場面から場面へのつながりが断続的になる。表現形式の合理化の反面、時間の連続感や運動感が弱まる。第二に宋の山水図巻や説話画の風景描写の及ぼした影響がある。画面の空間に三次元的な重層性があらわれ写実味が増した。第三に絵巻の普及があげられる。量産化に関連する新しい傾向として、個人の鑑賞に適した、親しみやすい庶民的表現があらわれ、貴族もこれを好んだ。」(「⑤やまと絵の新様」の「絵巻物のその後」から)

 



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