今にも降り出しそうな雲行きで、しかも寒い。10時半を過ぎてからノコノコと起き出してきた。
本日は冬至。二十四節気としての冬至は本日より1月5日までの15日間。しかし天文現象としては、冬至は「北半球では太陽南中高度が一年中で一番低くなる日」であるから、一日だけをさし示す。同時に昼間の時間が一番短い日でもある。東京では南中高度は30度ほど。
冬は午後になると低い太陽に向って歩くと眩しくて歩きにくい。太陽に向かう舗装道路は、アスファルトによる太陽光の販社に加えて、下水やら水道などのマンホールの鉄蓋にも反射する。下水の整備率も上がり、マンホールが増えた。さらにこれまでのコンクリート蓋から鉄蓋に変わり頑丈になった。その分眩しくなり、歩きにくくなった。風情といえば風情であるが‥。
高度の低い太陽は老年になればなるほど眩しく、俯き加減に歩く方がいいのだが、危険でもある。老年を取り巻く社会も自然環境も、それらに押しつぶされたくはないが、厳しくなっている。
★鳶の輪のひとつに暮るる冬至かな 早出静香
★定年の人に会ひたる冬至かな 高橋順子
第1句、冬空に輪を描いて飛ぶとんびの輪を眺めてたことは多くの人に共通だろう。私も小学生の頃に学校の帰り道で原っぱに座って高く輪をながめていた。冬といえども陽射しに温みを感じながら、すっかりあたりが橙色になるまで飽きることなく一羽のとんびの飛翔を見ていた記憶がある。あの輪の中心を突き抜けて浮遊したかった。冬至のころはすぐに暮れてしまい、慌てて家に走って帰ったものである。大人になっても定年後はそんな時間を思い出して、真似てみたこともある。しかし他人が見たら、俳諧老人に見えてしまう。またそんな原っぱはとても少ない。私は市営の墓地の中で墓を囲む大谷石の上で見たので、寒さか身に沁みた。
第2句、私の親の頃までは「定年」は人生の黄昏時でもあり、一年の黄昏時である冬と結びつけた句なのであろう。しかし現在は定年は人生の区切りのひとつ、通過点、これからが自分の人生、第二の人生のスタートとみなされるようになっている。冬至は「一陽来復」、循環する気象にからめる定年のイメージも大きく変わる。否、真逆の意味にもなっている。