Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

敗戦日

2019年08月15日 21時43分20秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 こんな句のこんな解説を見つけた。何も付け加えることができない。敗戦ということにやはりこだわらなければならいないと思う。さらにこの国は負けたのである。この国が戦争にのめり込んだ歴史を支えた国家の理念も敗北したのである。アメリカという国に負けただけではない。アジアの人びとからその身勝手な「理念」とは程遠い「理念」を否定され、敗北したのである。
 そして何度でも云おう。厖大な戦争犠牲者をもたらした責任を誰も取らず、責任を取るべき人間が再び「指導者」として生きのび、戦後「民主主義」の虚構と欺瞞を作り上げたのだ。

★戦終る児等よ机下より這い出でよ    渡辺桐花

 敗戦の日。生き残った人々は、その日をどう捉えたのか。塩田丸男編『十七文字の禁じられた想い』(講談社・1995)という妙なタイトルの本に、敗戦に際しての感慨句が多数収められている。掲句は、当時国民学校の教師だった人のもの。「戦」は「いくさ」と読ませる。敵機襲来の警報が出ると、教師はとりあえず子供たちを机の下にもぐらせた。そんな子供等に、もう空襲の心配はなくなったから、みんな出てきていいのだよと呼びかけている。とはいえ、これは現実の場面での声ではない。敗けた日は夏休みの最中であり、授業はなかった。塩田丸男の註記によれば、作者の教え子のうち成人した者の多くは戦地に赴いていたという。つまり、この声はそういう教え子たちにむかって発せられている。届くはずもない声が、虚しくも悲痛に発せられている。他に、この本より三句。「ラジオ掴んで父が嗚咽す油照り」(片山桃弓)。「吾が遺書を吾が手もて焼く終戦日」(高橋保夫)と、これは特攻隊員の句。なかに「娘サイパン島にて親戚一家と自決。十三歳」という前書のある句があって、図書館で書き写すのがつらかった。「自決せし娘は十三の青林檎」(小野幸子)。合掌。(清水哲男)

 さらに次の句と解説もあった。

★敗戦の前後の綺羅の米恋し       三橋敏雄

 マスコミなどでは、呑気に「終戦記念日」などと言う。なぜ、まるで他人事みたいに言うのか。まごうかたなく、この国は戦争に敗れたのである。敗戦の日の作者は二十五歳。横須賀の海軍工機学校第一分隊で、その日をむかえた。句が作られたのは、戦後三十年を経た頃なので、かつての飢餓の記憶も薄れている。飽食の時代への入り口くらいの時期か。それが突然、敗戦前後に食べた「綺羅(きら)の米」が恋しくなった。「綺羅」は、当時の言葉で白米のことを「銀シャリ」と言っていたので、それを踏まえているのだろう。なかなかお目にかかれなかった「銀シャリ」のまぶしさ、そして美味しさ。いまの自分は、毎日白米を食べてはいるが、当時のそれとはどこか違う。輝きが違う。あの感動を、もう一度味わいたい。飢餓に苦しんだ世代ならではの作品だ。若き日の三橋敏雄には、他に戦争を詠んだ無季の佳句がいくつもある。「酒を呑み酔ふに至らざる突撃」「隊伍の兵ふりむきざまの記録映画」「夜目に燃え商館の内撃たれたり」など。『三橋敏雄全句集』(1982)所収。(清水哲男)

 本日はこの二つの句とその解説をじっくりと味わうことにしよう。



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