夕方にいつも行くドラッグストアの傍に小さな公園が完成した。公園から北側の川崎方面の見晴らしがいいので、二人で見に行ってきた。
すでに小さな子ども達で賑やかになっていた。公園にはサクラの木はないものの、近くの団地などのサクラが散り始めており、楽しむことが出来た。
しばらく眺望を楽しんだ後、散歩がてら歩いて15分ほどの商店街へ向った。取り立てて必要な買い物もないということなので、思い切ってさらに40分ほどの遠回りをして家に戻った。
途中でときどき訪れる静かな、そして安い中華料理店で夕食。客は私達2人のみ。食堂にとってはとても厳しい時節となってしまっている。この店、落ち着いた雰囲気であるし、明るくて清潔である。営業をこれからも続けてほしい。
明日も特に予定は入っていない。というよりも中止になってしまった。4月は本日のボランティア活動と、ただ一つの会議を除いて会議・集会・講演会・講座・イベントなどが中止である。
退職して8年、スケジュール帳に病院に行く以外のほとんどの記載がない月は初めてである。何も予定がない、ということのつらさを思い知っている。
自分の歯科医院もありましたが、衛生士さんの話では、キャンセルが増えているとのこと。
母の老人ホームは面会禁止になりました。家族の面会を楽しみにしてたので、どうしていることか。
てなわけで、今月は妻の通院があり、妻は左肺が、1/4しかないので、B医師から間違っても肺炎にはなるなと言われているので、その点も心配。
てなわけで、自粛の日々は続きます。
氏よ、この機会に、私は携わってきたもろもろを処分してます。思いかげないよりもはるかに早く、終末を意識しています。これからではもう手掛けられないもの、続けられないもの、など、チェックしています。戦争も経験せず、3.11のボランティアもせず、この歳になってしもた。氏よ、ご夫婦で、豊かな時を過ごされよ。気の持ちようだ。私鉄のベンチでの、うたた寝はやめられい。自粛生活が済んだら,連します。がんばろう。
その年は暮れも正月もなく、全日出勤した。心配したのは、生後半年の長女に移してはいけないと、妻に言われ、近づかないようにしたことだ。だが、それもこれも、いい経験だったと、気楽に話せるものではない。レベルがまるで違うから。
命がけでがんばっている医療従事者の方々の無事を心から願っている。
奥様のことを考えても、外出は必要最小限にされた方がいいですね。
昨日は風に吹かれながら、二人で散歩しました。子どもたちを外で遊ばせなくてはいけないし、なかなか思うようにはいかないですね。
米や麺類などを少しずつではありますが、買い置き程度のことはしています。
私が本を1000冊ほど売り払ったのも終活の一環でもあると思っています。まだまだ売って、始末しておきたい本・書類はいっぱいあります。
さて、現職時代のさまざまな想い出や体験、これはとても貴重だと思います。私はブログで自分の現役時代のエピソードをこれから少しずつアップするつもりです。もう時効だと思うものから。
是非、貴殿も体験談などをお知らせください。
市民病院の「医療従事者としての自覚が足りなかった」という記者発表が本当なら、管理者としての責任転化も甚だしいですね。職員に責任を押し付ける体質、文春の報道された国の体質に、横浜市も染まってしまったと忸怩たる思いです。