Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「私」から「私たち」という怖さ

2022年02月25日 22時56分18秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 私が10代の頃、ことばはいつも発したとたんに自分の身に帰ってくるものだということを強く言われた。それをいう教師はどの教師も私が一目おいていた教師である。尊敬できる教師だったと思う。或る時、どの教師だったか覚えていないのが悔やまれるが、「「私」という主語が「私たち」に変わる時が「怖い」のだ」という趣旨のことばを聞いた。

 そのことばを本当に実感したと感じたのは、学生時代だった。学生運動にかかわっていると、「政治家・革命家」志向の活動家がいつも「我々は‥」とアジテーションしていた。私も無意識うちに「私は‥」と言わずに、「我々は‥」とアジっていた。はじめはその「我々は‥」はクラス討議の結果やサークルの仲間うちの合意を前提としていたが、いつの間にかその前提は無くなり、その前提が無いことにうしろめたさを感じなくなり、「我々は‥」と語っていた。党派の人間は党派内の合意を前提にしたという隠れ蓑はあったろうが、大衆討議の場である「クラス」や「サークル」や党派を組まない活動家仲間の合意の前提という意識がどんどん希薄になっていた。
 運動が一番高揚して大きな転換点に差し掛かった時、私はふと中学・高校時代の教師のことばを思い出した。「私」から「私たち」に主語が変わった瞬間というのは、こういうことか、と直感した。
 党派に属した人間とは別に、大量の無党派の活動家仲間とともに議論しているときに、私は自分のことばが空疎で、「願望」がいつの間にか「決意」に変わり、世の中がその「決意」に沿って捻じ曲げられて認識されている、と自覚した。この瞬間が、私たちは「大衆性」を喪失する瞬間ではないか、と心底理解したと思う。

 もう一度自分を見つめなおしたいと心から願った。それが大学に入って3年目の後半だった。政治運動ではなく、社会運動に携わりたいと、考えた瞬間でもある。その社会運動の一つとして労働運動が具体的に見えてきた瞬間だったと思う。
 労働運動の先に革命や政治改革があるという幻想などないほうがいい、とも思った。労働運動にかかわるとしても「私」的な契機と必然を手放して「我々は」とか「労働者とは‥」と説教を垂れる存在にはなりたくないと思ったからである。
 その思いは多分連合赤軍のあさま山荘事件を突きつけられたからだと思う。私たちの運動がもっとも高揚しかけたときにかけられた冷や水のごとき事件であり、反体制運動が一挙に後退局面を強いられた出来事でもあった。私はあの事件とその後の「総括」事件の経緯を聞くにつけ、「私」が「私たち」に展化し、「わが組織」や「革命」になり、いつの間にかその空虚なことばに「私」が操られるロジックの恐ろしさを突きつけられたと思った。連合赤軍の問題と当時の党派間の内ゲバとは同質だと思えた。
 当時はそこまでは論理展開は出来なかったが、少なくとも「私」の立脚点を手放したらあのようになってしまう、と直感したことは確かである。多くの仲間が暗中模索ながら、いろいろな紆余曲折は経てもそのように感じたと思う。

 「私」にこだわるこだわり方はいろいろある。それこそ人の選択である。私は「私」と「集団性」の危うい細い稜線を歩いてみたいと考えたに過ぎない。稜線から滑って落ちるにしても「私」の側に滑り落ちるつもりで歩きたいと考えつくまでにさらに1年半かかって、就職した。「卒業」という免許がないと就職できないということで、悩んでいたら「さっさと卒業して大学から居なくなれ」といわれたに等しいような「卒業証書」(名前の漢字が間違っている)を手渡された。卒論と称する課題を計算するためのプログラムも満足に作れないまま、卒論の単位だけは「A」評価の成績表も一緒に配布された。本当にいい加減な大学だったのだと思う。そこまで邪険に扱われたというのは、私になりに存在意義があったのかも知れないと誇りに思うことにしている。
 70歳になっても「私」から「私たち」にことばを変える場合も一歩立ち止まってから使っている。「私たち」ということばを使う時は念入りな討議と合意が欠かせない。そして「私たち」が独り歩きしないことも常に念頭にある。「みんなで決めた」からといって個人の思いを縛るのではなく、最後は「私」を優先して判断する。「決めたから従え」ではなく「多数決で決めても、従わないことも自由」そんな組織こそが柔軟性があり、しなやかで強い連帯感を維持できるのである。「軍隊」組織とは相容れない、そんなしたたかな組織の理想を今も追いかけている。
 こんな偏屈な人間でも歓迎し、迎え入れてくれる組織があるのはうれしいものである。

 飛躍するが「軍隊組織」や「国家」の論理が最近は日本だけでなく、国際政治でも前面に出てくることで、世界はどんどんきな臭くなっている。ロシアのウクライナ軍事侵攻をはじめ、戦争が大手を振っている。それに対抗する論理もまた「国家」が主語である。国民、民衆のひとりひとりの顔が見えないまま、戦争が大手を振って人々を恐怖に陥れ、殺害している。個人の「私」が見えないまま、「国」の論理なき論理を振り回すプーチンはじめ「各国首脳」の宣伝ばかりが目に付く。その言葉からは血の通った戦争の被害を受ける人々の顔が見えてこない。



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