★干柿の山の機嫌のいまひとつ 大牧広
★柿すだれ村を離れて子を成せり 山本千之
★半日の陽を大切に吊るし柿 甲斐遊糸
小学校5年・6年のころ、横浜市の西部で、畑の一部を造成した秋宅地に引っ越した。その20戸ほどの住宅街の傍に、その土地を手放した藁ぶきの農家があり、柿の木が3本ほどもあった。毎年見事に柿が実っていた。柿を収穫するとすぐに納屋に柿が干された。きれいにすだれ状に吊るされた柿の美しさに目を瞠った。学校の帰り道、夕陽に照らされた吊るし柿はことのほか美しいと感じたのはこのときの体験である。
干柿というと向井潤吉の作品を思い浮かべるが、このときの体験に基づいている。そっくりな風景であった。
是非食べたいと思っていたのだが、両親とも干柿は好まなかったので、高校を卒業するまで干柿というものを食べる機会がなかった。大学生になって仙台で初めて自分で購入してとても美味しく感じた。
それから毎年、かならず干柿を買って食べることにしている。
さらに登山をするようになって里山に降りて来た時に吊るし柿があるととてもホッとしたものである。吊るし柿があると、そこには人が住んでいる証である。無事下山して、間もなく温泉、あるいはバス停がすぐ傍にあるという印でもあった。
なるほど、納得です。
79歳とはいわず、もっともっと塩辛を堪能してからでも遅くはないです。