第3章「埴輪の意味するもの」の末尾、ならびに第4章「古墳の儀礼と社会の統合」、第5章「古墳の変質と横穴式石室」を読み終わった。
「古墳は日本の歴史の中で死後の世界を可視化したものとしては、仏教的他界である浄土思想の表現に先行する、最初のものだたのである。古墳の文化史的・精神史的意義の第一はここにある。古墳の儀礼とは、祖先崇拝が重んじられた時代の古墳的他界観のもとで育まれた天鳥船信仰に基づいて執行された、亡き首長の冥福を祈る葬送儀礼であった。」(第3章末尾)
「(古墳づくりの過程など)儀礼の場は運搬ルートを通じ広範囲に広がり、多くの人が参加し、集団の、あるいは集団と集団の結束力を強めた。古墳の儀礼の執行は造営キャンプだけに留まるものではなかった。」(第4章)
「結束力の強弱は被葬者と共同体構成員の距離感によって大きく変わっていった。前期~中期前葉頃までは、構成員は首長の冥福と共同体の安寧と繁栄を祈って古墳の儀礼の執行に主体的に参加し、共同体、ひいては王権の結束を強めることになった。しかし首長が共同体の支配者に転じ、構成員を私民化しだした中期中葉~後葉頃には、巨体前方後円墳の築造が頻発し、古墳づくりは強制的なものとなり、構成員の心は首長や王権から徐々に離れ、・・・残された者の幸福につながるという幻想が崩れ、中期的な政治体制が崩壊した一因となった可能性がある。」(第4章)
「列島各地に共通する様式の大小数多くの古墳が築かれ、・・・階層的秩序が形成されていた背景には、王権において大王ないし王権中枢の意志に基づき古墳づくりを統括する職掌(視葬者)が居なければならない。」(第4章)
古墳づくりは、祖先崇拝を基礎とした国家という共同幻想の強化に役立つだけでなく、巨大石棺などの石材の運搬ルート整備、人員確保などの交通インフラ整備も兼ね、埴輪などの工芸集団の確保なども兼ねていたとの指摘は、魅力的であった。