Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「貞観政要」から

2021年02月19日 21時23分35秒 | 読書

 本日も横浜駅の近くまで歩き、オフィスビル街の喫茶店で一服。しかし駅構内や地下街は人通りが多く、喫茶店を出たのちは混雑を避けて遠回りの上、帰宅。途中のドラッグストアで頼まれた買い物を購入した。行きも帰りも歩いた。頼まれた買い物のほかに日本酒も購入。リュックが重かったが、我慢。こういう我慢はいくらでもできるから不思議である。

 昨日に続いて、ベートーヴェンのピアノ・ソナタの第30番を聴きながらこの文章を綴っている。だいぶ落ち着いて耳に入るようになった。聴きなれてきたせいであろう。第1楽章の最初のテーマがようやく頭の中に定着してきた。

 本日帰宅後、何気なく本箱を眺めていたら、唐の太宗・李世民の故事を集めた「貞観政要(じょうがんせいよう)」のちくま学芸文庫版が目に入った。5年ほど前にふと購入したものの、前書きをめくると企業の経営者向けの解説であることに気が付いて敬遠してそのままにしていたものであった。
 帝王学の教科書として、平安時代にも読まれ、徳川家康や吉宗も座右の書としたものである。現代の企業などの組織の上に立つ者の戒めとして、わかりやすく訳したものであった。二度の本棚整理でも存在をすっかり忘れていた。
 手に取ってたまたま開いたページは第3章の冒頭に次のような段があった。結論部分が「豈得惟行諂佞、苟求悦誉」というところである。「あにただ諂佞(てんねい)を行い、いやしくも悦誉(えつよ)を求むるを得んや」。
 訳はつぎのようにしてあった。「いたずらにおべっかを使い、気に入られそうなことを口にするだけが能ではあるまい。」
 隋の煬帝(ようだい)が、2千人近くも処刑した事件のとき、それを再調査したところ、無実の者が多く含まれていた。しかし役人は誰一人としてこのことを煬帝に伝え煬帝の判決を覆そうとしなかった、という故事についての太宗の感想である。
 太宗は「煬帝の無道もさることながら、臣下の怠慢も責められなければならない。」と述べ、先の言葉を言ったということになっている。
 専制君主の言葉であるから、私などは違和感が強いが、それでも今の政権を担当している政治家の言動を見るにつけ、彼らにこの貞観政要でも読んでみたら、と言ってみたいものだ。少しくらいは勉強してもらいたいものである。
 憲法を理解しようともせずに、さらに知性のかけらも見えない政治家、人の上に立つことの厳しさを勉強しようとしない政治家にはさっさと舞台から消えてほしい。



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