「キリスト教美術史 東方正教会とカトリックの二大潮流」(瀧口美香、中公新書) を読み終えた。
「与えられた枠組の中に収まるよう、人体を伸びしたり、縮めたりすことるがロマネスコの大きな特徴です。写実とは言いがたい表現ですが、図像が強調して伝えようとすることがらが、際立って見えてくるともいえます。写実性を得る以前のキリスト教美術の面白さであります。」(第5章「ロマネスク美術)
「ゴシック様式の人体は自然な量感を持つようになりますが、実際にはありえない構図の奇妙さが、逆に際立ちます。自然な人体と奇妙な構図という組みあわせが、ちぐはぐな印象を生みだす‥。こうした齟齬を解消すべく、人体も構図もより自然なものに近づいていくところから、ルネサンスが始まります。」(第6章「ゴシック美術」)
「芸術家の個や人生を色濃く反映したルネサンスの作品は見る者に強烈な印象を与えますが、古典古代の規範という枠組にとどまるものでした。そこからあえて逸れていくところから始まるのがバロックです。」(第7章「ルネサンスの美術」)
「秩序と均衡を重視し明晰であることをめざしたルネサンスとは異なり、バロックはダイナミックかつ流動的な特徴を持ちます。見る者が描かれている情景と混然一体となるような、幻惑的な体験を呼びおこすものでした。」(第8章「バロック美術」)
私の知らない作品が多数登場するので読み解く過程もなかなか面白いものがある本である。初期キリスト教美術、そしてロマネスク美術、ビザンティン美術は、初期のキリスト教は、旧約聖書の世界との整合性、旧約聖書に登場する預言者の言動と新約聖書の内容とが密接に結びついているという論理をどう作るのか、に大きな比重が占められていた、と思えないだろうか。それは現代の私の目から見たら牽強付会とも言えるような、それこそ「信」の世界にしか存在しえない「思い込み」にしかすぎないと言える。
ロマネスコ美術以降、特にルネサンス美術以降は、旧約聖書へのこだわりは希薄になり、新約聖書だけの世界で完結するようになるのではないか。キリスト教美術史というのは、キリスト教自体の変遷の反映であるが、新約聖書中心の世界の確立の過程であると理解したい。
ビザンティン美術はまだまだその原理的な、初期キリスト教の精神を色濃く引きずっているのかもしれない。