本日の午前中に第7章「九州地方を襲った水害と地名」の後半、第8章「こんな地名に要注意!」ならびに「あとがき」を読み、読了。
「昔「蛇落地悪谷(じゃらくじあしだに)」と呼ばれていた明確な土地災害を示唆する地名である。
「蛇落地」とは「蛇崩(じゃくずれ)」などと一緒で、蛇によって崖が崩壊するという伝承を今に伝える地名である。「悪谷」とはよくぞつけたと思わせる地名でもともと人が住んではいけない土地であることを示唆している。イメージが悪いということで「上楽地芦屋」と改称され現在の「八木」になったとのことであるが、家を流された住民は「上楽地芦屋」という改称された地名に惑わされたことになる。その意味では今回の災害は人災と言ってもいいだろう。」
筆者の、地名に対する行政の無理解・無知、そして無責任さへの怒りが伝わってきた。
私にもこんな経験がある。横浜市に就職して数年したころ、私ははじめから道路管理者の末端の部門に配属されたが、総務局の「住居表示課」に務めているという「先輩」と話す機会があった。私は直接は知らない先輩であったが、「道路管理者などの権力行政の末端と違って私の「住居表示法」は権力行政とは無関係、そんな職場からは早く移動すべきだ」と言い放った。
ちょうどその時分、谷川健一氏が「地名を守れ」ということで、川崎市に「地名研究所」を立ち上げて町村合併や住居表示法で旧来の地名が無残に消えていくことに警鐘を鳴らし始めていた時期である。私はそれらの書物を読んだことは無いが、聞きかじった報道を頼りに「あなたこそ地名の重要性をないがしろにしている権力行政の最先端にいるではないか」と反論したことを鮮明に覚えている。その「先輩」には谷川健一を是非読ませたかった。無知ほど厚顔に繋がる強いものはない。
この自称「左翼」の仮面を被った「先輩」とは二度と会うことはなかったが、その彼氏は組合の役員にいながらすぐに係長試験を受けて、組合役員をやめで某区の係長に転出していった。労働組合と政治の区別もつかないで、人を「オルグ」しようなどという思い上がりに心底腹が立った。
市役所の当該職員が全てそうだとはいはないが、当該職員だからと言って地名の専門家でもない。数年で異動する。まして法律の規定に従って、無残な地名案や新興住宅地の利害に立ち向かわざるを得ない現状で悩んでいる。
特に1960年代から70年代は、「新しい」造成地の住居表示で旧来の字(あざ)名などがどんどん消え、古い公図上にしか残らなくなってしまった時期であった。
労働組合のそれらの職員の悩みに向きあうことであり、政治はその法律を作り上げた政治との対決である。ベクトルは違っている。
数年後、わたしの業務に「道水路境界調査業務」が加わり、旧来の公図と睨めっこする毎日が続いた。地名の変更業務ではなかったが、難しかったがやりがいのある仕事でもあった。戦前の、あるいはもっと古い明治時代の先人たちがどういう思いを込めて公図の線を一本一本引いていったか、どうして水路ではなく青地にしたのか、どうしてここはわずかに曲がっているのか、などなどさまざまな想像力が求められ、解釈の応用力が試された。
同時に私の担当区内の地名や字名・町名と地形や道路・水路・川との関係におおいに関心を持つようになったのは、あの時の喧嘩の縁もあったのかな、と思うようになった。
「左翼」の仮面を被って事足れりとする自称「左翼」でもなく、ましてセクト的で、異質の私には徹底して排除の論理を振り回す旧左翼でもなく、自分の頭で考える独立独歩の左派になりたいと思った。またご高説を垂れる組合役員ではなく、あくまでも「泥臭く」地を這うように組合員と向き合う組合役員になろうと思った。それは退職後の今でも変わらない。
あの偉そうに「ご高説」を私に披露した「先輩」はその後、どうなったのだろう。もう名前も忘れてしまった。忘れたかったから忘れるのは早かった。組合の組織分裂の時にはどんな組織選択をしたのだろうか。それとも管理職である課長になって「高みの見物」だったのだろうか。是非ともご高説を賜りたかったと今は思う。