★原爆忌腕鈴なりの電車過ぐ 隈治人
★首上げて水光天に長崎忌 五島高資
第1句、わたしのもつ歳時記には秋の「原爆忌」の項に入っている句である。たぶん句の出来た背景には長崎があるのであろうと理解している。原爆の日、しかし人びとは勤めに、通学に満員電車やバスに乗って職場や学校に出かける。
追悼の日の在り方を作者なりに、そして読者なりに考えてみる。この俳句が出来た時期はいつ頃なのだろうか。それによっても喚起されるイメージはいろいろである。
第2句、「水光」は水面に太陽などの光が反射して輝くようすをいう。「首上げて」がどういう状況なのか、ちょっとわからないが、私は「祈りの場で背をまっすぐに正したとき」という場面を想像している。人間、敬虔な祈りの気持ちになる時というのはあると思う。その対象がどのようなものかは人それぞれで、自然や観念の創り出した神であったり、あるいは亡くなった家族であったりいろいろであろう。そこに長崎忌という季語が配された。
忌日、それも多くの死者を出した原爆投下の日。「水光」が原爆の閃光なのか、希望の光なのか、鎮魂の思いなのか、閃光ではないと思っている。