Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日の日曜美術館は「三岸節子」

2023年07月16日 10時48分33秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 横浜市域では午前9時にはすでに31℃が表示されている。南側のベランダからも北側の窓からも雲は見当たらない。室内から窓越しに見る限り、風はプラタナスの大きくなった葉を柔らかくゆすっていて、風の音は聞こえてこない。弱い風である。しかし外に出てみると強烈な太陽の陽射しが皮膚と鼻と目の粘膜を強く刺激する。
 31℃というとそれほどの暑さではないと思ってしまうのが、怖い。多くの人も、体が暑さに慣れるらしい。しかし体調が思わしくない私には強烈な暑さに感じることに変わりはない。高齢になると暑さを感じにくくなるといわれる。確かにそのような人も身近に見てきた。ということはまだ私には「若さ」が少しばかりは残っているのかもしれない、と思うことにしよう。

 午前中はいつものとおり日曜美術館を見て過ごした。私がいつも惹かれる三岸節子と、彼女と同時代を共にした長谷川春子の生涯を映し出していた。

 三岸節子にとって〝女流画家〟が背負わされた制約は、古い社会の因習とそれを支えた国家の抑圧。それらを一体のものとして抗いつつ、モダンな画風を貫こうとしたことが私が惹かれる大きな要因のように思ってきた。三岸節子の最晩年の桜の老木を描いた生命力の渦巻くように溢れる作品の魅力は、二重の抑圧に生涯を通して抗ってきた画家の、93歳とは思えない力強い意志を感じる。私は初めてこの作品を見た。
 たぶん長谷川春子は、この二重の抑圧を、国家の論理を利用して古い社会の因習に抗しようとしたのだろう。その方向が戦意高揚の報国団体への献身となってしまったように思う。戦前も今も「国家」という軛は思想の大きな課題である。
 「国家の論理」に絡めとられない自前の思想や生きざまに私は強く惹かれる。世界で国家の論理の先端としての戦争が露骨に横行している昨今、「国家」を「至上」とする論理に絡めとられない政治思想や生きざまが、これからの時代の極めて大きな課題であると信じている。「軍事強国」のロシアすら「防衛」「抑止」のための戦争を口にするほど「防衛」「抑止」という言葉は魔法の言葉である。
 これから先はここでは省略。 



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