Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「ハムレット」読了

2021年06月16日 21時11分18秒 | 読書

 「近代絵画史(上)」(高階秀爾)の序言にあった「雀一羽落ちるのも神の摂理」(「ハムレット」)という引用箇所を見つけようと、たまたまちくま文庫版の「シェークスピア全集」(松岡和子訳)のがハムレット」が本棚にあり、ページをめくった。しかしすぐに見つからなかった。昔読んだとき、どの場面だったか覚えておらず、初めから読み始めた。中学生と高校生の時に読んだときもこのセリフは頭に残らなかった。
 訳も進化しているということだが、やはりシェークスピアなのであろう、一気に引き込まれてしまった。本当なら二日もかからずに読み終えるのであろうが、退職者会の仕事やら、頭の疲労(?)もあり、どちらかというとのんびり読み進め、本日読み終えた。

 「雀一羽‥」は最後の第5幕第2場、ハムレットが王の前でのレアティーズとの試合に臨む直前の場面である。ホレイショ―と会話の場面である。ホレイショ―が「気が進まないならば‥」と試合に臨むのを止めるのを振り切る場面である。

「前兆なんか気にしてはいられない。雀一羽落ちるにも天の摂理が働いている。いま来るなら、あとには来ない。あとで来ないなら、いま来るだろう。いま来なくとも、いずれは来る。覚悟がすべてだ。生き残した人生のことなど誰に何が分かる。だったら、早めに死んでもおなしことだ。放っておけ。」
 このセリフの直後に王などが登場して、最後の場面になる。
 その他、心に残ったハムレットのセリフをいくつか。

「俺は胡桃の殻に閉じ込められても、無限の宇宙を支配する王者だと思っていられる。-悪い夢さえ見なければ。(ギルデスターンの「夢こそが大望です。野心の本質は夢の影に過ぎませんから」を受けて)‥夢のそのものが影にすぎない。」 (第二幕第二場)

「生きてこうあるか、消えてなくなるか、それが問題だ。‥やみくもな運命の矢弾を心の内でひたすら耐え忍ぶか、艱難の海に刃を向け、それにとどめを刺すか。‥死ぬ、眠る。眠ればきっと夢を見る――そう、厄介なのはそこだ。人生のしがらみを降り捨てても死という眠りの中でどんな夢を見るか分からない。だから二の足を踏まずにいられない。――それを考えるから辛い人生を長引かせてしまう。」(第三幕第一場)
 これはあまりに有名な箇所。中学生のころには全体の意味がよくわからなかった

「動きを言葉に合わせ、言葉を動きに合わせる。‥自然の節度を超えないことだ。何であれやりすぎれば、芝居の目的からはずれるからな。芝居がめざすのは、昔も今も、いわば自然に向かって鏡をかかげ、美徳にも不徳にもそれぞれのありのままの姿を示し、時代の実体をくっきりと映し出すことだ。」(第三幕第二場) 
 これは間違いなくシェークスピアの演劇論の一端である。

「持ち時間の主な使い道が食って寝るだけだとしたら人間とは一体なんだ?‥創り主は我々にこんなにも大きな思考力を授けられ、過去と未来に目を向けるようにされた。その能力と神のごとき理性を持ち腐れにしていいはずがない。‥思考というやつ、四分の一だけが知恵で、四分の三は臆病――どういうことだ。「これだけはきっとやる」などと言いながら、なぜおめおめと生きている。」(第四幕第四場)
 このセリフは強迫観念の様に20代前半の私をさいなんだセリフでもある。



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