本日は、広重「冨士三十六景」から「駿河薩タ(さった)之海上」。
これはもう北斎の「冨嶽三十六景」の「神奈川沖浪裏」のパロディである。北斎が横長の画面ならばこちらは縦長の画面に大きな北斎もどきの波を押し込めている。北斎よりは富士山は大きい。北斎が波に翻弄される船を描いたのに対し、広重の波は手前だけ。奥のほうの波は凪いでおり、中景の船も静かに帆を上げ、手前の船も水平の姿勢を保ち、動いているようには見えない。時間も動きも止まっている。空の雁も、嵐の空ではなくのどかにすら見える。
波が大きく崩れ落ちようとしてるけれども、波のうねりともどもどこかぎこちない。手前も時間が止まっているようだ。
私はどうしても北斎に軍配を上げてしまう。
多分北斎の波と違って繰り返しが強調されていないためだと思う。
そして広重自身の「東海道五十三次 由井 薩埵嶺」にも軍配を上げざるを得ない。
北斎の「神奈川沖浪裏」は1831年ころ、まだ黒船来航には時間があるが、海の彼方からやってくる時代の不安が漂ってくる気配がある。広重の作品からはあまりそのような不安は感じない。広重の冨士三十六景のほうがはるかに不安な時代であったにもかかわらず。
ただし北斎の冨嶽三十六景と同時代の広重の東海道五十三次からは生き生きとした江戸の庶民の生活が伝わってくる。
この二人、並べて鑑賞するのが私の好みである。
二人の生きた時代を検索してみると、なるほど、ダブっている年月が、かなりある。ふーむ、良き比較をされている。
互いに意識していたと思います。特に広重は対抗意識が強かったのではないでしょうか。