自宅から新しく出来た「羽沢横浜国大駅」まで歩いてみた。自宅から改札口をとおってプラットホームまで約6000歩、私の足で普通に歩いて歩いて50分くらい。いつも歩いている自宅から横浜駅までが35分、4000歩よりは遠い。歩きなれたとしても草臥れる距離であった。しかも最後がダラダラとした登りが約2000歩近くある。
私の家からは気軽に利用できる駅ではない。実は4500ほどのところかな、と目星をつけていたところよりさらに1500歩程も離れた個所であった。工事帯の一番遠いところに改札口が出来ていた。
JRとしてはこの駅から武蔵小杉駅、渋谷駅方面へ、相鉄線としては反対方向に西谷駅まで。西谷駅までは3分という近さ。金額も177円。反対方向の武蔵小杉駅までは19分と距離は長く、運賃も308円。今回は「羽沢横浜国大駅」から西谷駅に出て、相鉄本線で横浜駅に戻ってきた。
駅前の整備はまだまだで、駐輪場の整備も出来ていない。さっそく放置自転車・バイクが乗り捨ててあった。駅の周囲も開発されておらず、駅前には商店もなく、バス停があるだけ。しかもバスは古いままで、この駅の開業に合わせて新たな路線等はまだ未整備だと、駅員が他の見学者に説明していた。
この長ったらしい「羽沢横浜国大駅」は私は気に入っていない。地名をもとにした駅名は、日本語の特質と思われるが、4音とそれにあてはめた漢字2字が受け入れやすいし、発音しやすい。
あの「高輪ゲートウェイ駅」などと同様、いづれ「羽沢」「高輪」と称せられるはずである。正式駅名と実際の呼称が乖離するのが目に見えている。
国鉄・JRで言えば昔山手線などの国電を「e電」などと呼ばせようとして総スカンを食ったことがあるように、日本語の発音の傾向をまったく無視する傾向があるのではないか、と勘繰りたくなる。
横浜にも、「みなとみらい線みなとみらい駅」がある。これも設置者、命名者の気持ちはどうなのかはしらないが、「ММ線ММ駅」ないし「М線М駅」と略称されている。
昔中田宏というトンでも市長が「市民局」を「市民活力推進局」、「消防局」を「危機管理局」などと名称変更して悦に入っていたが、当然にも云いにくいし長ったらしいので職員は「市活局」「危機管局」と呼称した。漢字二字に短くする日本語の特質を考えずにわかりずらい局名にしておいて、これらの「略称はまかりならぬ」といって職員の不評を買ったことがある。市長は古い歴史のある局名を変えたことにプライドがあったらしいが、市長がその職を放り出して一年後には元の局名に戻すこととなった。
地名などの固有名詞は「名は体を表す」だけでは律せない。個人の思い込みだけでは言葉は定着しない。そこに貼り付いた時間や長い間の人々の思いなどが貼り付いている。また貼り付かせるには、言葉の特質を大切にしなくてはいけないことをこの教訓は教えてくれる。
朝のうちに取り上げた「仲木戸駅」名の廃止も同じことではないだろうか。
さて今回の相鉄線とJR戦の相互乗り入れと将来的な東急線との相互乗り入れ、これは横浜駅への通勤客の集中を分散すること、東急東横線の菊名駅-横浜駅間の複々線化、同時に相鉄線の複々線化、の一環ともいえる。そういった意味では改善ではあろう。
利用する人からは、西谷-大和駅の相鉄線沿線の都内への足が増えることは間違いない。いずみの線の沿線にも同様である。
一方で横浜駅の商圏としての縮小、横浜西部方面の住民には横浜駅・関内駅などの臨海部が遠い存在になり、横浜市としての求心力に危惧を持つ意見も出ている。
また、横浜市北部・南部・臨海部の住民などにはメリットは感じられない。悪くすると都内から横浜に戻る場合、電車の乗り間違いなどのデメリットがある。
これから人の動きがどのようになるのか、興味深いものがある。
カジノなどというもののの集客力に依存して横浜市の臨海部の求心力を求めるのでは、これからの横浜市の人の流れや意識の変化などに対応できないのは眼に見えている。横浜市の長期的な都市の在り方に誰が方向を示すのであろうか。すくなくとも今の市長ではなさそうである。