Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「長谷川等伯と狩野派」展

2011年11月03日 22時43分45秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日は、出光美術館に「長谷川等伯と狩野派」展に赴いた。昨年の2月に上野の国立博物館で「長谷川等伯」展を見て以来の期待をもって。企画そのものは狩野派との対比を主としており、期待はもてた。
 しかし一方で限られた展示スペースと絵画の物理的大きさを考えれば自ずと限界は想像できた。確かに等伯の絵画は、竹虎図屏風、竹鶴図屏風、松に鴉・柳に白鷺図屏風の3点だからもの足りない感は否めない。
 構成は「狩野派全盛」「等伯の芸術」「長谷川派と狩野派-親近する表現」「やまと絵への傾倒」の4章に分かれていた。

 今回印象に残ったのは、江戸時代の狩野重信の麦・芥子図屏風だ。展示は右双の麦図だけだったが、繰り返しの様式美・デザイン性だ。
 今回は展示がなかったが、等伯の萩芒図屏風をふと思い出した。これよりも濃密に緑の色が画面に散らばっていて、趣・風情は断然等伯のほうに私は軍配を上げるのだが、それでもこのパターン化された絵に、等伯の影響を垣間見たような気がする。

りんごの木箱

2011年11月02日 20時57分06秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 奥入瀬渓谷・八甲田と巡って青森駅に到着してから、駅前を歩いていたら、駅の正面に青森の特産品を売っている店があり、店頭に木箱を並べてりんごを売っていた。
 さすがにりんごの産地だけあって、実にいろいろな品種があり、小ぶりの紅玉などもう横浜では店先で見ることのない品種や初めて聞く品種が並べられていた。それももはやりんごの木箱というのは見ることはない。
 そういえば昔はりんごもみかんも梨も木箱に入れられて店先に並んでいた。りんごは籾殻を緩衝材にしていた。みかんは木箱で買っていた記憶がある。あの木箱がなくなってからどのくらい経つのだろう。そして今でも産地では木箱を使用しているのだろうか。いくつも並べられた木箱と、その中に入れられているりんごを見て懐かしさがこみあげて、4個ほど購入した。いづれもとても甘く、みずみずしく食することが出来た。
 これが他のりんごの産地やみかんの産地などでも木箱に入れられて売られているのだろうか。それともあの店だけのパフォーマンスだったのだろうか。そんなことを帰りの新幹線の中で考えていた。

 さて定年まであと5ヶ月をきった。「やっとあと5ヶ月か」という思いと、「とうとう早5ヶ月をきってしまった」という思いは、9対1くらいだろうか。ある先輩が言っていた。「最後の一年はつらいよ」と。その意味がようやくわかってきた。仕事のつらさはもう37年で慣れっこになっている。仕事がことさら最後の一年がつらいのではなく、それよりも最後の一年という時間との競り合いがつらいのだと。