Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

疲労感

2024年11月10日 18時00分25秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は急遽のお見舞いに大田区まで出かけた。横浜に一番近い都内ではあるが、自治体である都の区は広い。最寄り駅からタクシー利用でも13時に出て、帰宅は17時。親も体力的に3年ぶりの都内なので、疲れた模様。

  太陽が顔を出さずに寒々しかったが、さいわい雨は降らなかった。19時以降にポツリポツリと降るらしい。

 わずかに2000歩程しか歩いたことになっていないので、雨が上がったら夜のウォーキングを少々したい。日付が変わるころから本降りに変わるらしい。

 奄美・沖縄の豪雨被害も気になるところである。

 


自家用車のない生活

2024年11月09日 21時52分43秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 昨日退職者会ニュースは校了、印刷工程へ。今回は2校までで確定できた。午前中に「田中一村展」の感想の第一回目もアップできた。友人との忘年会のお知らせのホームページの記事も昨日アップ済み。本日は気分的はおおきな達成感。

 本日の最高気温は17.0℃、平年より1℃ほど低い。しかし昨日よりは1℃ほど高いらしい。
 妻は昼直後に、私は午後からの打合せのために少しの時間差で出かけた。打合せを終わり、18時過ぎに帰宅するとすでに妻は帰宅。夕食の準備を始めていた。

 明日は、入院をした親族を見舞いに親とともに行くことになった。都内までは親も体力を使い大変であるが、やむを得ない。できるだけタクシーを使い、負担を軽くしたい。
 本当は自家用車があればいいのだが、私は免許は持っていない。妻は免許はいまだに更新しているものの、もう50年近くも運転をしていない。車を動かすことはほぼ不可能。我が家は自家用車とは縁のない生活を続けてきた。
 しかもすでに私の先輩・友人は自家用車を手放したり、免許返納を口にする年齢になっている。


「田中一村展」から 1

2024年11月09日 11時10分51秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等



 田中一村という画家の生涯の作品を順に見て回って、最初の印象は、次のようなものであった。
1.この画家はどうしても画面全体に対象をびっしりと描き込んでしまう傾向から抜けられなかったのではないか。
 残念ながら初期作品はこの傾向から抜け出せないで苦闘していると思う。この傾向を否定しきるのではなく、生かす方向で格闘し続けたのではないか、と感じた。
2.細密な描写へのこだわりもきわめて強い。モノクロームの画面にしろ、彩色された作品にしろ、ここから抜け出すことは最晩年にいたるまでこだわっている。
3.遠近の処理、空間の処理にも苦闘しているが、写真作品を通して、近景と極端な遠景の併存によって独自の方法を確立したように見える。特に九州への旅行以降に結実したように見える。
4.色彩、特に白へのこだわり、強調が印象的であった。

 その確立のためにさまざまな技法を模索し、西洋画や富岡鉄斎や与謝蕪村の南画、浮世絵などの研究もしている。このことで、近景から遠景を覗くような構図によって広々とした遠景を想像させることに成功したのではないか。抜けるような海や空の処理が効を奏していることが、人気のひとつの要因と思える。

   

 2の傾向では、20代前半の頃の初期作品のいくつかある《鶏頭図》のこの作品に顕著に現れていると感じた。
 さらに、同じ時期の《椿図屏風》は1と2の傾向を如実に示している。椿の花弁のあまりに緻密なこだわりによって画面全体を埋め尽くしてしまい、構図や全体のバランスを失っていると感じた。葉も細密に描き込まれているが、その細密さが生きていない。花弁ばかりが浮き上がって見える。椿は艶やかながら暗い葉の中の明るい花の描き方が問われる。
 むろん目を惹く作品で、私の指摘は当てはまらないものもある。ポスターにもなっている《檳榔樹の森》などである。南の島の鬱蒼とした森の様が、びっしりと書き込まれて遠近を超越している。しかし4の色彩の工夫が生きて、白が近景として生きている。
 背後の白梅も存在感を失っている。
 左双が未完らしいので、結論は早すぎるかもしれないが、私なりにどのような左双を想定しても焦点の定まらない作品である。
 しかし鶏頭図や《菜花図》(1932)など単体を描いた作品には空白部が多く取られ、スッキリした構図も垣間見える。

 戦争の時代、病弱で兵役につかなかったという一村は極端にデフォルメされた羅漢図や、白を効果的に使った清楚な百済観音図を描いている。さらに鉄斎・蕪村などの山水画を倣ったりしているが、展開はしていない。戦争の時代とはおもむきの違う百済観音図に時代に背を向けたかのような静謐さを感じる。



 戦争の時代を潜り抜け、《菊花図》(1948)や障壁画、天井画などの植物画に細密画へのこだわりが再燃しているのを感じた。構図上の余白などのバランスも配慮され、画家のエネルギーの発露が窺えるのではないか。



 戦後まもなくの昭和20年代、田中一村の40代、千葉時代の風景画は平福百穂などの近代南画から学んでいるとの解説がある。この時期の風景画は、色彩の明るさと広々とした空間が魅力である。しかし1や2の傾向との格闘は見られない。寂しい風景が広が。どこか模倣感があり、自己主張が感じられない。風景の寂しさは画家の寂しさ、もどかしさの反映に思えた。
 


年末、日程の輻輳が始まる

2024年11月08日 14時06分16秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午前中は親の通院の付き添い。昼前後は50年近いのつき合いの友人達との忘年会のお知らせ等をあるホームページにアップ。この忘年会のお知らせの原稿の整理に以外と時間がかかった。
 私の役割は、何処の場でも「広報」担当ということらしい。それがある意味では私の技である。
 昨晩は少し飲み過ぎたこともあり、帰宅が遅くなってしまった。ということを言いわけとして、田中一村展の文章がまだできあがらない。

 本日もこれより別の打合せのために出かける予定。午後からは学生時代からの友人が鎌倉市から横浜市境にかけての歴史・地学探索を行っている。こちらも54年前からの友人である。本日会うことになっている友人との打合せが早めに終わり、飲み会に移行することなく帰宅となったら、探索組の打ち上げに合流したいのだが、間に合うであろうか。要するに三つの日程が重なってしまったのである。ただし、半世紀も前からの友人というのはかけがえのないものである。それも複数のグループがあるというのはつくづくと幸せものであると感じる。

 同時にもう年末になってきて、いろいろと日程が輻輳する時期である。


立冬・木枯らし一号

2024年11月07日 14時32分20秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は立冬。富士山の今年の初冠雪、そして東京で木枯らし一号をようやく認定。この認定は地方ごとなので、先日横浜での冷たい北風の日は認定とはならなかった。融通の効かないいかにも明治時代の遺物的な定義が生き残っている。
 室内が20℃を下回ったので、リビングルームではガスファンヒーターを点けた。すぐに温まり、ごく短時間でスイッチはOFFへ。点けたり、消したりと忙しい。

 午前中はそのガスファンヒーターの点検に来てもらった。リビングルームのものは新しいが、パソコンルームの小さなものはかなり年数が経っており、安いものを斡旋してくれるとのことでホースも含めて買い替えることを決断。本体よりもホースのほうが割高である。
 昼間での時間を使い、ボロボロになったスマホケースを新しいものに取り換え。私はリュック、ボウシ、財布、メガネケース、靴、サンダル、杖、バッグ、ベルトなど服以外のものは新しいものに取り替えると自分なりの何らかの工夫を加え、使いやすいものにする。

 スマホケースは蓋が勝手にあかないようにゴム輪を取り付ける釣り糸をほどこし、ズボンのポケットとをつなぐ小さなリングとゴム紐も新たに取り付けた。
 裁縫箱やニッパなどの小道具類を引っ張り出しての工夫というものは楽しいものである。親とは正反対に何事も自分で体を動かし、工夫することの大切さ・楽しさというのは、親元を離れてから身につけた。自らは何事も工夫しようとしてない親は、「この子は不器用だから」と端から私を押さえつけて自らの免罪にしようとしていた。教師にも近所にもそのように口外していた。小さいころから私はとても傷ついていたが、そんなことに気がつく親ではなかった。実に嫌な思い出である。

 昼食後は「田中一村展」の感想に使う画像の整理を始めた。今晩中には成文化したいものである。
 夕刻からは都内に出かけて、友人との忘年会の打合せ。短時間で戻りたい。


早めに入浴&就寝予定

2024年11月06日 20時51分45秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日も慌ただしく過ごしてしまった。読書タイムも確保できなかった。
 夕方から湿度が高くなり、気温以上に温かく感じた。上着の下に着ていた夏物のセーターは脱いでリュックにしまった。明日も本日と同じような気温らしいが、天気は晴れるとのこと。
 明日は夕刻まで予定は入っていない。夕刻からは都内まで出かける。夕刻まで読書三昧、ないしは「田中一村展」の感想記事のアップをめざすことも。
 本日は特に疲労のたまることはしなかったが、だいぶ疲れた。早めに入浴&就寝としたい。

 


ハナミズキの紅葉

2024年11月06日 09時30分19秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨晩は通り雨のように短時間の雨が降った。夜の天気予報がピタリと当たった。気温は平年並みらしいが、今年は寒く感じる。部屋のなかも20℃を下回っていた。風は北風、厚い雲が空を覆っている。日中は曇の予報で陽射しはあまり期待できない。
 本日は「古墳と埴輪」をリュックに入れて出かける。読書時間を確保できるか、自信はない。

 ハナミズキの紅葉は早い。木によって赤味の発色の度合いが大きく違う。


減量計画は無事終了

2024年11月05日 22時51分53秒 | 病い

 朝から昼にかけていつものかかりつけの内科で、採血・採尿・体重測定の検査。待合室は連休明けということで、それなりの人数の患者がいたのですぐには順番は回ってこなかった。
 体重は6月中旬に減量を初めて、急激すぎたきらいはあるが、9月初旬までに-15キロの目標を達成。血圧があまりに低くなりすぎたこともあり、1キロほど元に戻してからじっくりと2か月かけて-2.5キロとすることが出来た。血圧もいい数値のところで安定した。検査結果が出て医師の診断は来週の予定。
 一応これにて減量計画は終了するつもり。とはいえ、急激に食事をもとに戻すわけにはいかないので、少しずつ炭水化物の量を増やすこととしたい。9月以降は少しずつ饂飩や蕎麦、お粥を食べ始めた。そろそろパン食や中華麺・スパゲティなども食べ始めたい。
 ということで、本日の昼は妻とラーメン店に入り、今年に入って初めてラーメンを食べてみた。もともと量はそれほど多くない店で、一人前を注文したものの、食べる量を減らしていたので量が多いと感じた。スープはほぼ残した。食べられる量は明らかに少なくなっている。



 スーパーでの買い物につき合ってから、近くの公園のベンチひと休み。買い物の一部を私のリュックに詰め、私は横浜駅まで歩いて喫茶店へ。「古墳と埴輪」の読書を再開。第3章を少しばかり復讐した後、第4章「古墳の儀礼と社会の統合」を少々。
 いつものとおり書店、家電量販店、百円ショップを一回りしてから、ウォーキングを兼ねて帰宅。残念ながら読書はあまり進まず。
 帰宅してみたら、退職者会ニュースの初校が送信されていた。ありがたいことにとてもきれいにできあがっている。しかしチェックの結果、3カ所ほどの修正をお願いした。

 明日も一日出かける予定。病院で新型コロナのワクチンとインフルエンザワクチンの情報や値段も聞いてきた。コロナワクチンが自費になったので、二つ合わせて一人5200円となってしまう。いつ接種するか、相談である。


「図書11月号」から その2

2024年11月04日 20時59分40秒 | 読書

 午後は二人でサイフォンで美味しいコーヒーを飲ませてくれる喫茶店に久しぶりに出向いた。オープンサンド1人前を二人で分けて食べた。

 さらに近くの駅の商業施設で衣料品を購入後、私は再度別の喫茶店で「図書11月号」の読書。妻は食料品の購入。

 本日目を通したのは次の2編

・欲望の対象としての狂女     中村 佑子
・ヘビダコの顔          川端知嘉子
・大帝国のシェイクスピア     前沢 浩子
北米植民地が独立すると、イギリスの植民地支配の重心はインドに移った。・・・イギリスの支配地域の拡大はシェイクスピア作品の世界的な拡散の歴史でもあった。
このようにしてシェイクスピアを中心とするイギリス国文学の正典は、大英帝国の支配構造が整備されていく過程で定まり、アカデミズムのなかに組み込まれていった。

 お疲れモードのような私の頭は、今月号の内容は響かなかった。今月号はこれで終了。

 帰宅後は、昨日に続いて田中一村の図録の解説に目を通した。
 


秋晴れの日

2024年11月04日 12時46分59秒 | 読書

 気持ちの良い秋晴れの日。午前中は「田中一村展」の感想のまとめの準備作業。展覧会の図録や、東京美術の「もっと知りたい田中一村」を読みながら多少の知識を得た。
 胃腸の具合が今ひとつなので、2時間ほどで作業は中止。昼食は控えることにした。

 一昨日は具合が良くないので、寝ながら「図書11月号」の3篇に何とか目を通した。

・ある図像の流転      西山 克
・言霊の迷宮        板東 洋介
・いい星の下に生まれて   遠藤 泰子

 昨日は喫茶店で
・海辺の美術史       徳田 佳世
・情熱と運に導かれて    辻  美船
の2編を読んだ。

 特に引用したい箇所や面白いと感じた個所はなかった。

 本日の午後は喫茶店で残りを読んでしまいたい。

 


野球観戦

2024年11月03日 23時21分50秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 ベイスターズが日本シリーズを制して妻はご満悦。クライマックスシリーズからドキドキしながら応援していた妻は、スポーツそのものを楽しむことはないし、応援も大騒ぎなどせずに静かな観戦がモットー。いいご褒美となったようだ。
 スポーツとスポーツの応援ということにまったく興味のない私は、お付き合い程度で観戦している。ただし、野球場で速い打球の音を聞いたり、鋭い打球が空に向かって飛んでいくのを目で追いかけるのは爽快であると思う。どのチームの誰の打球なのかについてはとんと興味がない。打球そのものの軌跡=放物線の行方を追うのが、私の観戦スタイル。

 明日は休日でもあり、優勝セールで繁華街は混雑しそう。混雑回避のためには、静かにウォーキングや散歩を楽しむか、あるいは読書三昧か。明日は天気が良さそうなので、秋の陽射しを受けるために外に出かけたい。ウォーキングを兼ねて、区内の図書館まで足を伸ばすのもいいかもしれない。
 明日の体調次第である。

 


桜紅葉

2024年11月02日 21時46分42秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 気分はずいぶんと楽になった。風邪のようでもない。二晩続きで寝る前に冷えたことに対する体の防御反応だったということにしておこう。本日は早寝が肝要。

 警報は解除され、現在は「大雨・雷・強風注意報」が残っている。まだ土砂災害への警戒は必要であるが、雨の峠は超えたようだ。



 本日の荒れた天気の代わりに、晴れていた30日に見つけた桜紅葉と秋の雲を布団の中で思い出した。ようやく桜の葉も色づき始めた。
 桜の紅葉した葉が「美しい」と思うようになったのは最近のこと、定年以降のことである。斑点やシミ様の黒っぽい痕跡があり、昔は「美しい」とは思えなかった。
 しかし不思議なものである。ある時にふと、心惹かれた時があった。どこだったかは覚えていないのだが、日が当たり秋の空に鮮明に翻っていたのを見たのだと思う。葉の表面の黒い斑点を包み込むようなオレンジ色が、私の気分に寄り添ってきた。それ以来、注目するようになった。
 春の桜の花との対比を思い浮かべるのもいい。秋の雲に映える桜紅葉も悪くない。しかし最近では私は桜の花の温かみとは別のものとして、桜紅葉には冷たい晩秋の雨が似合うと勝手に思っている。晩秋の冷たい雨から葉を守るようなオレンジ色に温かみを感じる。

★綿雲のましろき桜紅葉かな    日野草城
★壺の丘どれも虫くひ桜もみぢ   佐藤鬼房

 


雷鳴と強い雨

2024年11月02日 19時47分32秒 | 天気と自然災害

 先ほど夕食を食べようとしたら、突然鋭く雷鳴がして、雨が強くなった。カーテンを閉め切っていたので、稲光は見えなかった。ほとんど同時に大雨(浸水害)警報が出たとのメールが届いた。慌ててパソコンの電源を落とした。
 気象庁のレーダー雨量計では時間雨量換算で50ミリを超す雨の区域が私の住んでいるところを通過していった。
 東海道線、京急線で運転の見合わせや遅れが発生しているとの情報も来た。テレビではテロップが流れ、神奈川県に記録的短時間大雨情報が出たとのこと。

 さいわいなことに、夕食を食べ終わるころには強い雨も弱まり、雷鳴も聞こえなくなった。雷鳴がしなくなったので、パソコンの電源を入れることにした。このまま回復に向かってほしいものである。雨の区域は途切れてはいないが、猛烈な雨の区域は通り過ぎた。
 本日は気分がすぐれなかったので、アルコールはなし。

 


気分がすぐれず

2024年11月02日 17時57分45秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 朝の10時過ぎには大雨・雷・強風・波浪注意報が出た横浜市域。夕方になり雨が強まってきた。18時前になって洪水注意報も発表された。17時の外気温は17℃を下回っている。これから夜半にかけてさらに強い雨が降るとの予報になっている。

 一昨日・昨日と続けて日付が変わった直後にパソコンの前で椅子に座ったまま寝てしまった。寝ていたのは1時間未満であるが、寒さで目が覚めた。少し寒気がしたが、血圧も体温もいつもとは変わっていなかったので、そのまま布団の中に直行。
 しかし昨晩は3時過ぎまで頭が重く、体もだるく寝付けなかった。やむを得ず総合感冒薬を1回分服用してみた。含まれている睡眠薬の効果であろうか、すぐに寝付いたようだ。目が覚めたのは9時半過ぎ。充分に寝たという満足感はあったが、頭がスッキリしない。
 血圧・脈拍・体温ともにいつものとおりであった。しかし用心のため紅茶とヨーグルトの朝食後、再度布団の中へ。結局12時半過ぎまで寝てしまった。

 妻が葱をたっぷりと入れたうどんを作ってくれた。そのまま布団の中で先ほどまで愚図愚図としていた。17時過ぎになってようやく気分が元に戻ってきた。
 雨のお陰で、一日休養日とすることができた。雨に感謝しておこう。

 先ほど、神奈川県西部・東部に竜巻注意情報を気象庁が発表した。

 


「図書11月号」から その1

2024年11月01日 21時50分30秒 | 読書

 本日より11月、曇り空だったがときどき日が射し、湿度が高かったこともあり、意外と寒くはなかった。夕方からはときどきポツポツときたが傘を指すほどではなかった。深夜から明日以降は雨が強まる予報になっている。

 午前中は親の通院の付き添い。午後から家電量販店で買い物をするために出かけた。横浜駅までかなり早い速度でウォーキング。新しいノートパソコンの周辺機器を複数購入。ポイント清算のため、費用はかからず。
 いつものとおり書店に立ち寄り、いくつかの書籍を立ち読み。配布されていた「図書11月号」を手に喫茶店で4編ほど読んでから帰宅。



 本日目を通したのは、

・反逆者も国家のために死ぬ      将基面貴已
反逆罪の歴史とは、中世末期に勢いを得た政治権力が近代国民国家へと成長するとともに聖なる存在へと変貌した過程である。聖なるものは人を殺すことで聖性を主張する。それが忘れられがちな国家の本姓の一面である。

・私よ 母の車椅子を押せ       原田 宗典

・数学と本              河東 泰之

・清盛と港・船            髙橋 昌明
清盛は新しがり屋のハイカラ人間だから、帆船の優雅さに惚れ、いわば高級外車の感覚で、愛用したのかもしれない。清盛の宗船には中国の船乗りたちが乗り組んでいた。・・清盛は中国語の片言を話せたかもしれない。確信に近い筆者の夢想である。

 バスを二つほど手前で降りるとポツポツと降っていたが、傘は必要ない程度。少し遠回りして3000歩程のウォーキング。

 帰宅後は「田中一村展」の図録から画像をいくつか選択。そろそろ感想を記さないと忘れてしまいそうである。