鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

牛島

2016-09-08 | エッセイ

小学生の時、国語の教科書に、全国各地の小学生が自分の郷土を紹介する、という内容の文が載っていた。

最初の報告は室蘭からだった。

室蘭は鉄の町で、大きな煙突から煙がもくもく出ている、といったことが、幾分自慢げに書いてあった。

日本が大気汚染、水質汚染などの公害問題で騒がれるのはこの後のことであり、当時は、巨大な煙突から出る煙は復興と繁栄の象徴だったのだ。

 

この中に、牛島からの報告があった。

牛島は瀬戸内海の小島であり、みかんの栽培が盛んであることが報告されていた。

山の斜面にみかんの苗を植えており、島がみかんでいっぱいになるように、といったことが書かれていた。

同級生の一人が地図帳を広げ、

「これが牛島じゃないか? 形が牛に似ているよ」

と言った。

指さした先を見ると、それはなんと小豆島であった。

 

私はその後、牛島はどこにあるどんな島か考えたことはなかったが、最近思い出して調べてみたくなった。

昔なら、百科事典にも載っていないであろう牛島のことを調べるのは大変だったろうが、今は簡単である。

牛島は香川県丸亀市に属し、丸亀の北7.7kmのところにあり、東には瀬戸大橋(瀬戸中央自動車道)が通っている。

 28の島々からなる塩飽(しわく)諸島の中で、4番目に小さい島である。

島の周囲4.2kmで、里浦と小浦の2集落があり、人口は9世帯11人だそうである。

かつて栄華を誇り「瀬戸内海の海上王」と言われた豪商、丸尾五左衛門の本拠地だったとか・・・

今は過疎化が進み、みかん栽培は自家用程度らしい。

ネットには、島の風景など様々な写真が載っており、遠い昔に知った牛島のことが身近に感じられた。

牛島のことは、下のホームページに詳しい。

http://find-travel.jp/article/8320

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食べ物の名前考(2)

2016-06-02 | エッセイ

食べ物の名前には、材料、料理法、調味料で表したものがある。

サバの味噌煮。

材料はサバであり、これを味噌味(あじ)で煮たものである、と、まことに明瞭でわかりやすい。

サンマの塩焼き、しかり。

だが、食べ物の名前は、このようにわかりやすいものばかりではない。

 

しらたきというのがある。こんにゃくの細いやつである。

こんにゃくは、色は黒っぽく、形は何の変哲もない板状で、使われる料理といえば煮物かおでんがほとんどである。

おしゃれな食べ物とは言いがたく、田舎者という感は免れない。

こんにゃくの一部がこれを嫌い、色を白くし、姿を細くして、きれいな滝に見立てて白滝と名乗ったのである。

 

○○のみぞれ鍋やみぞれ和えという料理がある。

みぞれとは、大根おろしのことである。

大根は、庶民的な食べ物で皆に愛されるが、大根役者、大根足というように、小馬鹿にされるところがある。

さらに「おろし」だから、大根より下に見られている。

大根の一部がこれを嫌がり、

「ほら、空から降ってくる霙(みぞれ)のようにきれいでしょ」

と、みぞれを名乗ったのだ。

 

だが、しらたきもみぞれも、いかに姿を変え名前を変えようと、しょせん元はこんにゃくであり、大根であって、お里は知れているのである。

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電卓

2016-02-26 | エッセイ

電卓で遊んでみた。

電卓に、1111111111と10桁打ち込む。

次にこれを二乗する。同じ数字をかけるのである。

表示された結果は

1.234567901×10の18乗

である。

1から順番に並ぶが、7のあと8を飛ばして9になっている。

 

以下は、小数点や10の何乗の部分は無視し、数字だけ表示する。

2222222222の二乗は4938271604である。

以下同じ計算をする。

3の場合は、1111111111となり、みごとに1が並ぶ。

4の場合は、1975308642である。

5の場合は、3086419752となり、30864や1975の並びが4の場合と同じであり、関連が見られる。

6の場合は、4444444444となり、すべて4である。

7の場合は、6049382715となり、4938271の並びが2の場合と同じである。

8の場合は、7901234566となり、順番に並ぶが、1の場合と同じく8を飛ばしている。また、6の次が6である。

9の場合は、9999999998となり、9が並び最後が8となる。

 

つまり1、3、6、8、9の場合は、同じ数字が並ぶか、または順番に並ぶが、微妙に規則性からずれているものもある。

そのほかの場合も並びが似ており、何らかの関連性が見られる。

このほかに、2222222222×3333333333などの多くの組み合わせがあり、結果にはそれぞれ面白い数字が並ぶ。

お暇な方はやってみて下さい。

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荒地の恋

2015-12-06 | エッセイ

ロアルド・ダールは、奇妙な味の短編小説で知られるイギリスの作家である。

久しぶりに彼の小説「あなたに似た人」を本棚から取り出して、少し驚いたことがある。それは

「えっ、訳者は田村隆一なのか」

ということだった。

あなたに似た人 ロアルド・ダール 田村隆一訳 ハヤカワ文庫

 

この本を買ったときは、田村隆一のことは何も知らなかったが、最近、ねじめ正一の「荒地の恋」を読んで知った。

「荒地の恋」は、二人の詩人、北村太郎と田村隆一のことを書いた本である。

一応小説であるが、実名で出てき、事実に即しているから、評伝といってもいいだろう。

 

北村と田村は中学のときからの詩仲間で、「荒地」という同人誌をやっている親友だった。

北村は新聞社の校閲係をしながら、幸せな家庭を持ち、詩作をやっていた。

ところが、定年間近の50代半ば、妻と子供を捨て、田村の妻の明子と一緒になる。

それが地獄の始まりで、まさに荒地の恋だった。

北村の妻の治子は、何の落ち度もないのに突然夫に捨てられ、深く傷つき精神的におかしくなる。

明子と一緒になった北村は職を失い、経済的に困窮していく。

 

田村と明子も相当変わった人物で、普通の夫婦とは言い難いところがある。

田村は酒と女に溺れ、結婚と離婚を繰り返し、明子は田村の4番目の妻だった。

明子は有名彫刻家の娘で、わがままで感受性が強く、精神的に病んでいく。

妻を寝取られた田村と北村の関係は、決定的に壊れそうなものだが、田村は酔っ払っては北村に電話をかけて会いたがる。

やがて北村は明子と別れ、詩の朗読会で知り合った阿子という若い女性と関係を持つ。

 

なんとも異様な物語が展開されるが、単なる不倫小説、スキャンダルではなく、ひとつの詩論、芸術論となっているのは、著者のねじめ正一が詩人でもあるからだろう。

北村が、どこか魔性の匂いを持つ明子に惹かれたのは、芸術家としての最後のあがきだったのかもしれない。

北村も田村もどうしようもない男として描かれるが、詩の世界では有名な人のようで、多くの詩と翻訳を残している。

結局、著者が言いたかったのは

「ぬくぬくした環境の中では、人の魂に届くような詩は生まれない」

ということだったのだろうか。

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能登の女

2015-10-06 | エッセイ

金沢に住んでいたとき、能登半島での仕事があり、宇出津という港町の民宿に1ヶ月ばかり滞在したことがある。

家庭的な、本当の民宿らしい民宿であり、食事は囲炉裏を囲んで家族と一緒にした。

能登の港町であるから、食卓には新鮮な海の幸、山の幸が豊富に並んだ。

客が私一人というときもあり、民宿の親父さんと二人で酒を飲みながら食事をすることもあった。

親父さんから、能登の話などを聞くのは楽しかった。

 

民宿には一人娘がいた。

年のころ22~23歳で、私より3~4歳下だった。

民宿の手伝いをして、かいがいしく働いていた。

私の身辺の世話をしたり、私が親父さんと飲んでいる脇で給仕をしてくれたりした。

清楚で、かわいい顔立ちをしており、控えめではあるが胸の奥に芯の強さを秘めたような娘だった。

都会の女性には見られない純朴さと、風雪に耐える能登の女のイメージがあって、私は惹かれていった。

彼女もまた、私に見せる笑顔に恥じらいを浮かべ、私に好意を寄せているらしいことは、その素振りから察せられた。

 

親父さんは、私と二人で飲んでいるとき、「もう決まった人はいるのか」と尋ねた。

そのときの私は、婚約者はおろか、恋人といえる人さえいなかったので、正直にそう答えた。

親父さんは、はっきりと口に出しては言わなかったが、どうも娘と私を一緒にしたいふうだった。

親が望んでおり、私たちも好意を抱いているのだから、結婚の障害などないはずだった。

 

しかし、親父さんが望んでいるのは、娘を嫁にやることではなく、婿を迎えて民宿を継いでもらいたい、ということらしいのは、言葉の端から容易に推察できた。

そのときの私は、これからの一生を能登で過ごす決心はつかなかった。

仕事が終わって民宿を去るとき、親父さんは落胆した表情で「ぜひまた来てください」と言った。

 

今思うと、能登半島の民宿の親父として一生をおくるのも、それはそれで、また別の、ささやかで穏やかな人生だったのではないかという気がする。

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電報

2015-08-08 | エッセイ

新しい技術にとって替わられ、滅んでいったものは数多い。

 

私が若いときワープロはなく、公式文書は、タイピストが和文タイプライターで作成していた。

ワープロが出初めたとき、タイピストからの「和文タイプは滅びない」という投書が新聞に載ったことがある。

理由は、「ワープロの文字は汚いが、タイプの文字は美しいから」というものであった。

確かに、当時のワープロ文字はドット数が少なく、ギザギザした文字で汚かった。

だが、その人は技術の進歩を甘く見ていたのだ。

ワープロはドットの問題などたちまち解決し、活字に劣らない美しい文字で印刷できるようになった。

やがて、和文タイプライターもタイピストという職業も、完全に駆逐されてしまった。

 

私が子供の頃は一般家庭に電話がなく、緊急の連絡は電報だった。

夜中に電報配達員が来ると、たいてい「○○シス」といったような悪い知らせだった。

合否電報というのもあった。

大学入試の結果を電報で知らせるもので、電文は「サクラサク」、「サクラチル」が一般的だったが、その地方特有のものもあった。

例えば、私が今適当に考えたのだが

秋田なら「アキタオバコホホエム」

岡山なら「モモタロウオニタイジス」

鹿児島なら「キンコウワンニニジタツ」

といった具合である。もちろんどれも合格電報である。

 

電文はカタカナなので、こんなジョークもあった。

子供が親に「カネオクレタノム」と電報を打ったら、親から「ダレガクレタカノムナ」と返信があった。

子供は「金送れ。頼む」と電報したのだが、親は「金をくれた。飲む」と勘違いし、

「誰がくれたか。飲むな」と返電した、というジョークである。

 

その後、一般家庭に電話がいきわたり、今は個人が携帯電話を持って、いつでもどこでも電話やメールで簡単に情報を伝達できる時代になった。

では、電報の役割は終わったのかといえばそうではない。

慶弔電報として、しっかり生き残っている。

今、電報のほとんどはこれである。豪華な電報もあり、値段も結構高い。

電報は、緊急情報伝達手段からセレモニーの小道具へと役割を変え、技術の進歩をかいくぐってしぶとく生き残った稀有な存在といえるだろう。

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おしゃま

2015-07-06 | エッセイ

おませな女の子のことを「おしゃま」という。

これは、江戸時代に流行した次の歌が語源だそうだ。

「猫じゃ猫じゃとおしゃます(おっしゃいます)が、猫が下駄はいて杖ついて、絞りの浴衣で来るものか」

この歌は、お妾さんが間男を引き入れているのが旦那に見つかり、猫じゃと言い訳したのをからかったものだそうだ。

この歌の猫とおしゃまが結びつき、猫は人に甘えたり、よそよそしくしたりすることから、おませな女の子を猫にたとえて「おしゃま」と言うようになった。

ちなみに、この歌のあとはオッチョコチョイノチョイと続き、これが「おっちょこちょい」の語源にもなっている。

 

男勝りの活発な女の子を「お転婆」という。

婆さんが転ぶでは、おてんばな女の子のイメージに合わないが、これは当て字である。

この語源は、出しゃばって早足に歩く女の子のことを「てばてば」と言ったので、これに接頭語の「お」がついて「おてんば」になったという説がある。

また、宿駅で公用に使われた御伝馬(おてんま)という馬は、餌も十分に与えられ、普通の馬より元気よく跳ね回るので、そこから来たという説もあるそうだ。

 

わがままで好き勝手に振る舞う女を「じゃじゃ馬」という。

馬はあばれ馬のことだが、じゃじゃとはなんだろう。

この語源には

芝居で見物人がどよめくのを「じゃじゃ(やんやと同じ)」と言ったことから。

幼児が駄々をこねるという意で「じゃじゃをこねる」と言ったことから。

などの説がある。

 

勇み肌で粋な若い女を「おきゃん」という。

これは漢字で御侠と書く。

侠は任侠(にんきょう)の侠である。

元々は、そういう性格の人に対して、男女を問わず侠(きゃん)と言っていたが、明治以降、これに御をつけて若い女をさす言葉になったそうだ。

 

今回は、少し変わった女に関する語源でした。

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バイトの思い出(6)

2015-06-06 | エッセイ

家庭教師のアルバイトをしたことがある。

教えたのは、鹿児島で少し名の知れた飲食店を経営している家庭の、小学生の男の子だった。

自宅は、22歳くらいのお手伝いさんが住み込んでいる、鹿児島では上流家庭といっていい家だった。

男の子は、4年生にして早くも算数でつまづいており、はっきり言ってあまり出来のいい子ではなかった。

だからこそ家庭教師を頼んだのであろうが・・・

 

中学2年の兄と高校3年の姉がいたが、姉のほうが

「ここ、教えて」

と言ってくることがあり、時々彼女にも教えた。

体をくっつけるようにして一緒に机に向かい、勉強を教えるときは、少しどきどきした。

ちなみに、姉は東京の有名お嬢様大学へ進学した。

 

その後何十年かして、テレビで「鹿児島のおいしい店」を紹介する番組があり、その店が紹介された。

年老いたお父さんと若旦那が映された。

若旦那は、長男ではなく私が教えた次男のほうだった。

私は、立派に店を継いでいる次男の姿を見て

「あの出来の悪かった子が・・・」

と感慨深いものがあった。

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いらか

2015-05-06 | エッセイ

妻と散歩していると、遠くに鯉のぼりが泳いでいるのが見えた。

♪ いらかのなみとくものなみ かさなるなみのなかぞらを・・・

妻が歌いながら

「いらかって何?」

「瓦(かわら)のことだよ。瓦を波に見立てて、瓦の波と雲の波の間の空を、鯉のぼりが泳いでいる、という意味だよ」

「そうなの」

 

会話はそれで終わったのだが、しばらくすると正面に日本瓦の屋根が見え、それが波打っているようだったので

「ほら。あの屋根の瓦が波打っているように見えるのを、いらかの波と言ったんだよ」

「えっ。かわらって屋根の瓦のことなの」

「そうだよ。さっきから説明してるじゃないか。何だと思ったの」

「川原(かわら)かと。川の波のことかと思った」

「鯉のぼりは、人家の庭の上で泳ぐものだろう。その下にどうして川があるんだよ」

「川を横断して、鯉のぼりがたくさん泳いでいるじゃない」

「それは最近の風潮だろう。この歌は、家の横で屋根より高いところを、鯉のぼりが泳いでいる風景を歌ったものだよ」

「そうなのね」

とまあ、何ともお粗末な会話であった。

 

いらかの波と鯉のぼり。

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どぼじょ

2014-12-04 | エッセイ

土木系の仕事に従事する女性のことを「どぼじょ」というそうだ。

 

土木と聞いて、どんなイメージを持ちますか。

一般国民の多くが土木に抱くイメージは、

危険、汚い、きつい、泥臭い、土方、田中角栄に象徴される土建屋、民主党のスローガンだった「コンクリートから人へ」・・・

といった負のイメージが強いのではないだろうか。

思うに、木はともかく、土のイメージがよくないのでないか。

どうしても、泥臭い、泥まみれ、泥をかぶる、といった印象が付きまとう。

このため、大学では土木学科から建設学科などへ改称したところも多い。

 

しかし土木は、土・岩などの自然、コンクリート・鉄などの材料、水理、測量、機械といった幅広い知識が必要な総合技術であり、国のインフラを支え、災害を防ぐ重要な仕事である。

万里の長城、仁徳天皇陵などの巨大古墳、運河、ダム、橋梁、トンネルなど、地図に残る大きな構造物はすべて土木の成果である。

どぼじょ達には、誇りを持って大いに頑張ってもらいたい。

 

それにしても、「どぼじょ」という名前はスマートではない。

建築系女子のことを何というか知らないが、いうなれば「けんじょ」であろう。

こちらは賢女にも通じ、スマートである。

どじょ(土女)はどうか。

これも、どじょうのようで泥臭い。

シンプルに「土木女子」というほうが、わかりやすくていいのではないだろうか。

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