鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

食べ物の名前考

2014-10-14 | エッセイ

食べ物の名前について考察してみよう。

 

鍋焼きうどんは、一人用の小さな鍋に、うどんの他、しいたけ、かまぼこ、エビ天、卵などの具材を入れて煮たものである。

この料理のどこに、焼くという行為が含まれているというのか。

正しくは、「鍋煮込みうどん」あるいは「鍋煮うどん」というべきであろう。

 

板わさは、かまぼこを切り、わさびを添えて、醤油を付けて食べるものであり、蕎麦屋などのメニューに出てくる。

板わさとは、「板かまぼこのわさび添え」の略だと思われるが、板は単なる敷物であり、わさびは添え物であって、主役はかまぼこである。

主役の名前はどこにも出てこない。

「かまぼこわさび」というのが正しく、略しても「かまわさ」というべきだろう。

 

主役の名前がない食べ物は他にもある。

磯辺焼きは、餅を焼き、醤油を絡めて、海苔を巻いたものである。

磯辺とは海苔のことだろうが、磯辺焼きだと海苔を焼いたもののようである。

主役は餅であるから、「磯辺焼き餅」あるいは「磯辺餅」といってもらいたい。

 

味噌の名前が付いた食べ物は多い。

味噌汁、味噌煮込みうどん、味噌田楽、それから我が家でよく作るへちまの味噌炒めなど・・・

一方、日本料理にとって味噌と並び、いやそれ以上に重要な地位を占める醤油の名前が付いた食べ物は少ない。

刺身は、醤油がないと成り立たない料理である。

生の魚を切って並べただけでは、おいしくも何ともなく、料理とはいえないが、これに醤油を添えると立派な料理となる。

これほど重要な醤油であるから、へちまの味噌炒め風にいうなら、「刺身の醤油付け」というのが正しい。

 

よく考えてみると、刺身という名前もおかしい。

「刺す」とは、串焼きの串を肉に刺すような行為をいうが、刺身はどう見ても切身である。

このため、切身というべきであるが、切身という名前は既に存在する。

刺身は、切身をさらに細かく切ったものだから、細切身とでもいったらいいだろう。

従って、今、我々が刺身と称しているものは、「細切身の醤油付け」というのが正しい。

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歌の中の植物

2014-08-22 | エッセイ

以前「歌の中の職業」というエッセイで、歌に出てくる職業について書いたが、今回は植物について書いてみよう。

歌詞に植物が出てくる歌は実に多い。

桜、野ばら、野菊、すみれ、ゆり・・・枚挙にいとまがない。

 

♪ 水芭蕉の花が咲いている 夢見て咲いている・・・(夏の思い出)

ミズバショウは、高地の湿原に咲く花で、簡単に見れる花ではないから憧れを感じる。

この歌に憧れて尾瀬に行く人も多いと思われ、江間章子さんの功績は絶大なものがある。

 

あまりなじみのない植物もある。

♪ あの日は雨 雨の小径に白い ほのかな からたちからたち からたちの花・・・

島倉千代子さんが歌った「からたち日記」である。

♪ からたちの花が咲いたよ 白い白い花が咲いたよ・・・(からたちの花)

という北原白秋作詞の歌もある。

からたちと聞いて、どんな植物か思い浮かびますか。

鋭いとげを持ったミカン科の植物で、ピンポン玉くらいの実がなるが食べられない。

昔は生垣に植えられたが、今は見ることがほとんどない。

 

♪ あの雲もいつか見た雲 ああそうだよ 山査子(さんざし)の枝も垂れてる・・・(この道)

これも北原白秋作詞である。

サンザシは白い花をつけるバラ科の植物だが、私は見たことがない。実は、薬用になるそうだ。

 

花だけでなく実が歌われることも多い。

♪ 赤いリンゴに口びるよせて だまってみている青い空・・・(リンゴの唄)

♪ 私は真っ赤なりんごです お国は寒い北の国・・・(りんごのひとりごと)

りんごは、最も身近な果物で愛らしいから、歌に歌われやすい。

 

♪ 山の畑の桑の実を 小篭に摘んだはまぼろしか・・・(赤とんぼ)

昔は養蚕が盛んだったから桑畑が多く、黒紫に熟した実を食べたものだが、今、桑畑を見ることはほとんどない。

だが、野生の桑の実は今でも見ることができる。

 

♪ つまんでごらんよワン しゃぶってごらんよツー 甘くてしぶいよスリー 黄色いさくらんぼ・・・(黄色いさくらんぼ)

さくらんぼは、かわいらしくて、思わずつまんでしゃぶってみたくなる。

 

古い歌ばかり並べたが、新しくハイカラな(この言葉自体古いが)花の歌もある。

♪ 空を押し上げて 手を伸ばす君 五月のこと・・・つぼみをあげよう 庭のハナミズキ

一青窈さんが歌って大ヒットした「ハナミズキ」である。

植物にも流行り廃りがあり、からたちは島倉千代子さんが亡くなったように廃れてしまったが、ハナミズキは今や大人気で、あちこちで見かける。

我が世の春を謳歌するハナミズキは、鼻高々であろう。

 

タカサゴユリ(高砂百合、ユリ科)

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馬の気持ち

2014-07-16 | エッセイ

「馬車馬のように働く」

という言葉があるように、馬は人間にこき使われてきた代表的な生き物である。

昔から軍馬、農耕馬、馬車馬として酷使され、最後は食べられることも多かった。

同じ家畜でも、豚は労働することもなく、食べて寝るだけである。

犬や猫はペットとしてかわいがられ、家族同様の扱いを受けることが多い。

同じ動物として、えらい待遇の違いである。

 

馬は頭のいい動物である。乗馬では、乗り手の力量をすぐに見抜く。

人間のことをどう思っているのだろう。

「戦争ばかりして、同じ人間同士を殺し合い、なんて野蛮で残酷な生き物なんだ。力でも足の速さでも決して負けないのに、奴らは頭がいいからどうすることもできない。この世から人間がいなくなれば、動物の天国になるのに」

とでも思っているのだろうか。

 

地球が宇宙人に征服されたと考えてみる。

宇宙人は猿のような大きさで力も弱く、素手で戦えば人間が負けることはない。

だが、彼らは知能が高く、高度な文明と強力な武器を持っているので、人間に勝ち目はない。

彼らに支配され、労働を強いられたら、少しは馬の気持ちが分かるかもしれない。

 

ポニー。

今年は午年なので、子供相手の乗馬体験をやっていた(鹿児島市喜入のグリーンファームにて)。

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天国

2014-05-30 | エッセイ

天国とはどんなところなのだろう。

昔からの教えや絵によると、気候は寒くもなく暑くもなく一年中温暖で、労働を強いられることもなく、食べ物にあふれ、きれいな花が咲き乱れて、妙なる音楽が流れている。

そんなイメージだろうか。

キリスト教でも仏教でも、よい行いをしたものは天国(仏教では浄土)に行けると説く。

昔から人間は過酷な労働に明け暮れ、飢饉のときは飢え、暑さ寒さに耐えてきたから、このような世界が理想とされたのであろう。

 

ところで、こう書いてきて、この世にも似た環境があることに気が付いた。

老人ホームである。

老人ホームは、労働することもなく、三度の食事が与えられる。

冬は暖房、夏は冷房がきいていて、一年中温暖である。

花壇に花が咲き、テレビやラジオで音楽が流れることもあるだろう。

 

このように、天国と老人ホームは似ている。

違うのは、老人ホームの人はいずれ亡くなるが、天国の住民は死なないことである(何せ、もう死んでいるわけだから)。

天国は、何の刺激もなく、恐ろしく退屈なところだと思われるが、どんなに退屈してもそれがずっと続くのだ。

そういう意味では、老人ホームより苦痛かもしれない。

 

留守をするので、コメント欄閉じています。

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犬城海岸の粘土

2014-03-02 | エッセイ

私が6~7歳の頃、皮膚病にかかったことがあり、父は

「犬城(いんじょう)に粘土を採りに行こう」

と言った。

犬城は種子島の東海岸にあり、海蝕崖が続き、馬立の岩屋という洞窟がある風光明媚なところである。

私の実家からは十数キロメートル離れている。

 

当時、犬城までの道路は整備されておらず、もちろん自家用車などない時代だった。

遠出するときや重い荷物を運ぶときは、いつも馬だった。

私は馬の背中に揺られ、父が手綱を引いて、山道を犬城まで行った。

 

犬城海岸の粘土は、波打ち際の崖の下にあった。

私は腰まで海水に浸かってその場所まで行き、父が粘土を採取する様子を眺めた。

かますに詰めた粘土を、馬に背負わせて帰った。

帰りは私も歩き、父は手綱を引くこともせず、馬が歩くのに任せた。

馬は、おとなしく私たちと一緒に歩いた。

 

粘土を袋に入れて風呂に浸け、泥湯にして入った。

数回入ると、私の皮膚病は治った。

皮膚病に効く温泉成分が粘土に含まれていたものだろう。

犬城海岸には今でも行くことがあるが、今となっては、その粘土を採取した場所を特定することはできない。

  

犬城海岸。洞窟は馬立の岩屋。(以前撮影したもの)

 

洞窟内から海を見る。

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球の神秘

2014-01-26 | エッセイ

数式の中には、完全で美しいものが多い。

球について考えてみよう。

球の表面積は、半径をr、円周率をπ(パイ)とすると

 S=4πr2

で表される。

ところで円の面積はπr2であるから、球の表面積は、その中心を通る円の面積のちょうど4倍である。

曲面と平面、形状が全く異なる二つの面積の関係が、ちょうど4倍という所に美しさを感じる。

 

次に、球がぴたりと納まる円柱を考える。

円柱の上の円(下の円)の面積はπr2である。

円柱の側面は広げると長方形になるが、その面積を求める。

長方形の長辺は円周であるから2πrである。

短辺は円の直径であるから2rである。

従って長方形の面積は

 2πr×2r=4πr2

となり、先ほどの球の表面積と同じである。

 

まとめると、球がぴたりと納まる円柱の

・球の表面積

・円柱の側面の面積

・円柱の上円と下円の合計面積の2倍

が同じであり、球の数式の美しさや神秘性を感じる。

 

そういえば天体は、小惑星などの一部を除き、地球にしろ太陽にしろ、球である。

宇宙が美しく神秘的なゆえんである。

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バイトの思い出(5)

2013-12-26 | エッセイ

学生時代、動物検疫所でアルバイトをしたことがある。

家畜を出荷する前に検査する施設であり、仕事は牛舎の清掃だった。

コンクリートの床にたまった牛糞をスコップで除去し、そのあと水道ホースで洗い流す作業だった。

馬の糞は団子のようでかわいげもあるが、牛糞はべっとりとしており、糞の飛沫が洋服に付着した。

まさにクソまみれで、きつい、汚い、臭い、の4Kの仕事だった。

これらの牛は、やがて肉牛として出荷される運命だったが、当時の私は牛肉など食べたことはなく、三畳の部屋でたまに自炊するときは、一番安い豚のコマ肉だった。

 

こんなアルバイトばかりでなく、たまにいいアルバイトもあった。

理容コンテストのモデルのアルバイトをしたことがある。

何人か応募したが、私の髪の質が合っていたのか、若い理容師さんは私を選んだ。

当日、複数の審査員の前で、コンテストが行われた。

モデルといっても、ただ座って散髪されるだけなので、こんな楽なことはなかった。

私の髪型は「ロンパリ」といい、ロンドンとパリのことらしかったが、どこがロンドンで、どこがパリなのか、モデルの私にもわからないものだった。

普段と違う奇抜な髪型というのが難点だったが、ただで散髪してもらい、しかもお金をもらえるという、珍しくいいアルバイトだった。

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スクリュードライバー

2013-07-12 | エッセイ

大学に入ってすぐ、馬術部に入部した。

馬術部を選んだのは、子供の頃、種子島の実家で農耕馬を飼っていて馬に愛着があったのと、それまで運動部の経験がなく、全員がゼロからスタートできるスポーツだったからだ。

 

歓迎コンパが開かれ、出席者に医者のOBがいたが、その人が数人を二次会に連れて行ってくれた。

場所は、城山観光ホテルのバーだった。

城山観光ホテルは鹿児島の一流ホテルであり、そこの高級バーに、種子島から出てきたばかりの田舎者の私が連れて行かれたのだ。

ステージではミラーボールが回転し、カルーセル麻紀のショーが行われていた。

 

OBはバーテンに

「この子に、スクリュードライバーを作ってやって」

と頼んだ。

後に私は、キャバレーやクラブでアルバイトをして、お酒のことも少しは詳しくなったが、このときは何も知らなかった。

スクリュードライバーが、ウォッカにオレンジジュースを混ぜたカクテルで、「女殺し」と異名をもつ強い酒であることを知るのは後のことだ。

口当たりがよく、2杯、3杯とグラスを重ねるうち、一次会ですでに酔っていた私は完全に意識を失った。

 

気が付いたのは、翌朝、寮の自室のふとんの中だった。仲間が連れてきてくれたのだ。

その日は、ひどい二日酔いに苦しめられた。

私はこのあと、様々なコンパで鍛えられ、少しずつお酒に強くなっていったが、このときは強烈なお酒の洗礼を受けたのだった。

 

ところで私は、スクリュードライバーに劣らずおいしいカクテルを、時々作って飲んでいる。

焼酎のパッションフルーツジュース割である。

氷の入ったグラスに焼酎を注ぎ、時計草の果汁を入れ、ねじ回し(スクリュードライバー)ではなく、スプーンでかき回して飲む。

トロピカルな風味のカクテルで、実においしい。

「女殺し」などという色っぽいものではなく、酒の相手をしてくれるのは古女房しかいないが・・・

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2013-06-28 | エッセイ

子供の頃、天体に興味を抱いた。

学校の図書館の天文に関する本を読み漁り(といっても、小さな学校なので5~6冊しかなかったが)、太陽、月、星たちが、どのような規則性を持って空を運行しているか知った。

毎日、月は50分遅れ、星(恒星)は4分早く進むことを知った。

種子島の実家は、人家の少ない田舎なので、月のない夜は満天の星がきらめいていた。

まさに、降るような星空だった。

上空には、白い天の川が横たわっていた。

 

星座早見版というのがあり、これで星座の名前を覚えた。

一番好きな星座は、オリオン座だった。

真冬の寒空に、凛として輝く星たちを眺めていると、悠久の世界に吸い込まれそうだった。

虫眼鏡を二つ、筒の両端に取り付け、望遠鏡を作って星を眺めた。

そんな簡単な望遠鏡でも、肉眼とは比べ物にならないほど多くの星が見えた。

スバルの星々もきれいに見えた。

 

惑星も、興味を引く対象だった。

文字通り、恒星の間を惑うように、不規則に運行していた。

金星は宵の明星、明けの明星として、どの星より明るく輝いていた。

望遠鏡で、土星の輪を見たこともあった。

初めて見た彗星は、イケヤ・セキ彗星だった。

やや低い空に、長く尾を伸ばして輝いていた。

 

星空は今も眺めることがあるが、星を見ていると、日頃の些細なことなど忘れて雄大な気分になる。

だが、その気分は二日と続かず、また雑事に追われていくのである。

 

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髪結いの亭主

2013-06-04 | エッセイ

就職したばかりの頃、所用があって東京へ行き、用事を済ませてから高校時代の友人Nに会った。Nは

「いとこがいるから遊びに行こう」

と言い、一緒に新宿まで行った。

いとこというのは、二十歳くらいの美容師さんで、目鼻立ちのはっきりした美人だった。

彼女の職場近くの喫茶店で雑談をしたが、Nが突然

「よかったら、あんた達、付き合わないか」

と言った。

思いがけない話に、私は驚いた。

彼女は、おそらくNから聞いていたのだろう。驚いた様子もなく、恥ずかしそうにしているだけだった。

私は、他に何と言っていいかわからず

「手紙のやり取りから始めましょう」

と言った。

当時、私は滋賀県に住んでおり、アパートには電話もなかった。

 

すぐに彼女から手紙が来た。それには

「お別れするとき、あなたの姿が見えなくなるまでずっと見ていました」

とか

「就職が東京だったらよかったのにね。そしたらいつでも会えたのに」

とか、書いてあった。

私はすぐに返事を書いた。

だが、当時の私は、就職したばかりで何かとあわただしかった。

手紙は間遠くなり、一度も会うことなく、彼女との間は自然消滅した。

 

その後何十年かして、Nが出張で鹿児島へ来たとき、天文館で飲みながら彼女の近況を話してくれたが、それは驚くものだった。

多くの店を抱える美容院チェーンの社長をしているというのだ。

私は、彼女の成功を祝福しつつ

「自分があの時もっと熱心で、彼女と結婚ということにでもなっていたら、髪結いの亭主で今頃は左うちわだったかも」

と思ったり

「そんな大物の女なら、私など尻に敷かれて、一生頭が上がらなかったに違いない」

と思ったりして、複雑な心境だった。

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