鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

加治木石を訪ねて(1)石蔵

2024-05-22 | 史跡

姶良市加治木町で採掘された加治木石という石があります(今は採掘されていない)。二瀬戸に石切場があったので二瀬戸石とも言います。

石蔵などの建物、石垣、石塀、石灯籠、鳥居などに幅広く用いられました。加治木にあるこれらの石造物や石切場跡を訪ねるまち歩きをしました。

 

加治木郷土館(右)と図書館(左奥)です。

 

庭に多くの石造物があります。左は田の神。

 

中央は鬼面(魔除け)、両側は仁王像です。

 

郷土館の入口に加治木石が使われています。

 

加治木石は、火砕流堆積物が固まってできた溶結凝灰岩です。薄い黄色味を帯びた色合いが美しく、気泡が多いため断熱性や保湿性があり、建築材料として優れています。

 

加治木石(二瀬戸石)の壁の前に、桃木野石でできた田の神があります。1762年造立の神像型田の神で、あごひげがあります。このタイプは小林方面から伝わったそうです。

桃木野石は、二瀬戸石とは別の火砕流堆積物の溶結凝灰岩で、加治木の桃木野に石切場がありました。二瀬戸石を白石、桃木野石を黒石と言います。二瀬戸石だけを加治木石と言い、桃木野石はそう言わないようです。

 

図書館の裏に、加治木石でできた石蔵があります。

 

重厚な入口。郷土館の館長さんに案内していただきましたが、今は使っていないそうです。

 

美しい壁。

 

凹凸をつけてカットし、独特の美しさを出しています。

 

上部。庇が張り出した凝った造りです。

 

石蔵の裏は柁城(だじょう)小学校で、校庭にセンダンの巨木があります。

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内山田の鼻んす

2024-05-16 | 史跡

霧島市隼人町内山田の鼻んすを紹介します。

 

鼻んすは用水路のトンネルのことです。

江戸時代の1711~1716年に、新田開発のため造られた宮内原用水で、天降川上流の水天渕から取水しています。

 

鼻んすとは鼻の穴のことで、形が似ていることからそう呼びます。

 

2連アーチトンネルにしているのは、トンネルが崩れるのを防ぐためです。

今はコンクリートやモルタルで補強していますが、元は素掘りトンネルだったでしょう。

 

右のトンネル。

 

左のトンネル。アーチ部はモルタルで覆っているだけです。

 

下流を望む。

 

上流から見たものです。平成14年の道路建設で一部削られましたが、消滅を免れました。

 

上流から見た近景。江戸時代の土木技術を知る貴重な遺産です。

 

上流を望む。この上流に鹿児島神宮があり、その前を流れています。

天降川の水天渕の取水口はこちらです。

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日秀神社(2)

2024-05-15 | 史跡

霧島市隼人町の日秀神社の続きです。

 

日秀神社社殿の横にある阿弥陀堂です。日秀上人の遺骨が納められているそうです。

 

阿弥陀堂の横に、日秀上人が彫ったという仏像が並んでいます。聖観音、如意輪観音、千手観音、十一面観音、馬頭観音、準提観音などです。

 

枚数が多くなりますが、力作なので左から見ていきます。

 

千手観音。

 

優美な観音様たちです。

 

左は如意輪観音、中央は十一面観音。

 

右は千手観音。

 

右の4体です。一人でこれだけ彫るのは大変だったでしょう。

 

頭部と下半身がない仁王像。

 

スダジイの巨木の下に、三光院墓碑群があります。(三光院は日秀上人が開いた寺)

 

三光院時代の墓碑がたくさんあります。右は立派な五輪塔。

 

二つの大きな墓碑。

 

巨石の前にも五輪塔などが並んでいます。

 

前の写真の奥の石塔。

 

スダジイの根元です。

 

五輪塔が二つ刻まれた石塔です。

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日秀神社(1)

2024-05-14 | 史跡

姶良市隼人町の日秀神社を紹介します。鹿児島神宮北西の小高いところにあります。

 

車2台止められる駐車場から歩いて行きます。

 

一の鳥居です。

 

両側にみかん畑が広がる参道を上がって行きます。

 

振り返ると、隼人の町の向こうに錦江湾が見える絶景が広がっているのですが、この時は小雨模様で視界が悪かったです。

 

二の鳥居です。

 

日秀神社です。ここには、日秀上人が室町時代の終わり頃建てた三光院というお寺がありましたが、廃仏毀釈で廃寺となり、跡に日秀神社が建てられました。

 

参道右側のイチョウの巨木です。

 

社殿。日秀上人は加賀の人で、琉球、坊津を経てここへ来ました。1527年、鹿児島神宮が焼失した際、再建に尽力しました。

 

社殿の前の石灯籠。

 

梵字が刻まれた立派な石塔があります。

 

梵字です。

 

下には仏像が刻まれています。

次回は、三光院墓碑群を紹介します。

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中組の青面金剛他

2024-04-28 | 史跡

いちき串木野市川上中組の史跡を二つ紹介します。

 

中組公民館近くの道路脇に石祠があります。

 

道路より見る。向こうは八房川で堰があります。

 

石祠です。

 

中に青面金剛が祀られています。頭が3つあります。

 

足元に鶏が2羽、猿が3匹います。青面金剛は「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿を従えているそうです。

 

後ろの文字。上に「寄進」、中央右に「施主」の文字があり、下に人名が刻まれています。

〇〇門という名が多く、建立年は不明ですが江戸時代と思われます。

 

青面金剛の道路向かいに祠があります。

 

祠の中の像。誰かわかりません。

 

祠の後ろに、川上中組墓塔群があります。

 

多くの五輪塔が並んでいます。

 

市来氏の分家である河上氏一族の墓であると言われています。

 

右の五輪塔。時代は鎌倉弘安期(1278~1287年)の墓とされています。

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島津歳久及び殉死者の供養塔

2024-04-26 | 史跡

薩摩川内市田海町の島津歳久及び殉死者の供養塔を紹介します。

 

天沢寺跡です。

 

2体の仁王像があります。

 

頭部のない仁王像。

 

こちらは上半身がありません。

 

鎮守碑です。

 

クスノキの巨木の奥に、島津歳久及び殉死者の供養塔があります。

島津歳久は島津四兄弟(義久、義弘、歳久、家久)の三男で、島津氏が豊臣秀吉に降伏した後も最後まで抵抗を続けました。

 

島津家の家臣・梅北国兼が一揆をおこし、秀吉に反旗を翻しました。秀吉はこの一揆に歳久の家臣が多く参加していたと知り、激怒します。秀吉は義久に歳久の首を差し出すよう命じ、義久は歳久を自害させました。

 

島津歳久及び殉死者24名の供養塔です。

殉死者の中には東郷(田海町の隣)出身の家臣が多く含まれていました。

 

境内の古井戸です。

 

古井戸から奥へ進むと多くの墓があります。

 

文化十一年(1814年)の文字がはっきり残っています。

 

立派な五輪塔です。

 

何かの模様が刻まれた石祠。

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杉馬場の不動尊

2024-04-24 | 史跡

薩摩川内市樋脇町杉馬場の不動尊を紹介します。

 

杉馬場バス停近くの県道市比野東郷線の脇にあります。

 

道路より見る。

 

正面に石祠、右に石像があります。

 

右の釈迦石仏。左に宝塔があります。

 

釈迦石仏は右手が欠け、顔は風化しています。

 

石祠です。

 

中に不動尊(不動明王)があります。

 

剣を持ち、憤怒の形相で炎に包まれた不動尊。

 

後ろから見た釈迦石仏。頭に螺髪があります。

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東郷橋

2024-04-15 | 史跡

川内川に架かる九州土木遺産の東郷橋を紹介します。

 

左岸(前回の楠元駅跡付近)から見た東郷橋。こちらが薩摩川内市楠元町、向こうが薩摩川内市東郷町です。

 

親柱。

 

上流左岸のたもとより見る。

 

上流左岸より見る。陸軍演習のための資材搬入路として架橋されたと言い伝えられています。

 橋長:149.1m

 幅員:5.1m

 完成年:1935年(昭和10年)

 型式:鋼下路式単純トラス

 

二つの中抜式橋脚。基礎工は木杭基礎、もしくは井筒基礎と推察されています。

 

トラスです。架橋から90年近くたった今でも、幹線道路(県道)の橋として供用されています。

 

橋から川内川上流を望む。

 

下流を望む。

 

上流右岸より見る。

 

橋脚には、はん濫危険水位などの表示があります。

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楠元駅跡

2024-04-14 | 史跡

薩摩川内市楠元町にある、国鉄宮之城線の楠元駅跡を紹介します。

 

川内川に架かる東郷橋の左岸にあります。

 

駅舎です。市道建設に伴い移設されました。

 

古い電灯。

 

大正13年開業で、昭和62年の宮之城線全線廃線に伴って廃駅となりました。

 

庭に鉄道遺構が残されています。

 

分岐器。

 

これは何でしょうか。

 

歯車付きの車輪。

 

腕木式信号機。

 

腕木。これが停止です。右の赤、青の円盤はなくなっています。

 

下の錘。腕木とワイヤーで結んでいました。

次回は、九州土木遺産の東郷橋を紹介します。

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中組の仁王像他

2024-04-04 | 史跡

いちき串木野市川上中組の仁王像を紹介します。

 

中組公民館です。左の桜(ソメイヨシノ)の下に仁王像があります。

 

桜の下の仁王像。

 

吽像です。珍しく破壊されていません。腕の筋肉が立派です。

 

吽像の顔のアップ。阿像はありません。

 

隣の花畑の向こうに仏像があります。

 

蓮台の上に座った仏像。

 

寺跡でもなさそうですが、なぜここに仁王像や仏像があるのかわかりません。

 

公民館の裏の田んぼに、レンゲソウが咲いていました。

 

レンゲソウと桜。日本の原風景です。

 

公民館横の三差路を北へ行くと、右の岩壁に石像物があります。

 

ここにも仏像があります。花が添えられ、大切にされているようです。

 

岩穴の中の仏像。案内板はなく、由来はわかりません。

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