昨日、鹿児島中央駅前の「若き薩摩の群像」を紹介しましたが、その像の中に初代文部大臣の森有礼(ありのり)がいます。
そこで、森有礼誕生地を訪ねました。
鹿児島市春日町にある、森有礼誕生地の碑。
森は、1847年、この地で生まれました。
17歳のとき、五代友厚らと共に派遣留学生に選ばれて渡欧し、帰国後は新政府の外交官として、清国やアメリカに駐在しました。
1885年、我が国最初の伊藤博文内閣に文部大臣として就任し、学校制度を整えました。
西洋文明の普及に努め、廃刀論、信仰の自由、男女同権、一夫一婦制、さらには「英語を国語に」という提言や、契約結婚の実行など、当時としてはきわめてハイカラな(悪くいえば西洋かぶれ?)思想の持ち主でした。
当時の日本はそんな彼を受け入れず、1889(明治22)年、憲法発布日の朝、官邸で刺殺されました。
森有礼誕生の碑から、道路を挟んだ反対側に春日神社があります。
奈良の春日大社を本社とする、鹿児島五社の一つです。
この付近はかつて海で、薩摩藩が琉球を攻めた際の軍港があった場所です。
稲荷川の河口に当たるこの付近は港町として栄えましたが、たび重なる洪水で土砂が堆積し、港は甲突川河口に移されました。
神社の境内にある、薩摩水軍軍港跡の碑。
境内にある、鹿児島市保存樹に指定されているクスノキ。
幹周り:4.18m
樹高:25.5m
樹齢:180年
そこで、森有礼誕生地を訪ねました。
鹿児島市春日町にある、森有礼誕生地の碑。
森は、1847年、この地で生まれました。
17歳のとき、五代友厚らと共に派遣留学生に選ばれて渡欧し、帰国後は新政府の外交官として、清国やアメリカに駐在しました。
1885年、我が国最初の伊藤博文内閣に文部大臣として就任し、学校制度を整えました。
西洋文明の普及に努め、廃刀論、信仰の自由、男女同権、一夫一婦制、さらには「英語を国語に」という提言や、契約結婚の実行など、当時としてはきわめてハイカラな(悪くいえば西洋かぶれ?)思想の持ち主でした。
当時の日本はそんな彼を受け入れず、1889(明治22)年、憲法発布日の朝、官邸で刺殺されました。
森有礼誕生の碑から、道路を挟んだ反対側に春日神社があります。
奈良の春日大社を本社とする、鹿児島五社の一つです。
この付近はかつて海で、薩摩藩が琉球を攻めた際の軍港があった場所です。
稲荷川の河口に当たるこの付近は港町として栄えましたが、たび重なる洪水で土砂が堆積し、港は甲突川河口に移されました。
神社の境内にある、薩摩水軍軍港跡の碑。
境内にある、鹿児島市保存樹に指定されているクスノキ。
幹周り:4.18m
樹高:25.5m
樹齢:180年