メランコリア

メランコリアの国にようこそ。
ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

ジョン・レノン・アンソロジー

2013-03-20 12:35:04 | 音楽&ライブ
図書館で借りたCDシリーズ。
ビートルズとジョンの集大成として、それぞれのアンソロジーを借りてみた。
映画ならメイキング、絵なら素描といった、作品が完成する前段階にはあまり興味はないから
音楽もデモテープを集めたアルバムとかは、どんなに好きなアーティストでもほとんど聴かないけれども、
そいえば発売当時は相当騒いでいたし、彼らの曲ならたとえギターでつま弾いた感じでも
部屋でなにげなく流して聴くには、いいかもしれないと思った。
ブックレットも写真豊富な1冊+和訳版1冊と合わせると、1冊の伝記ぐらいなボリュームだ
諷刺曲ってのが3曲入ってて、ディランの真似をしてるんだけど、上手い!w

Anthology Disc1-4/John Lennon

【ブックレット抜粋メモ】
「シャーロット・ムーアマンは“おかえりなさい、才能ある人!”と言って私を歓迎してくれました。
 私の古い友人たち、アンディ・ウォーホール、アレン・ギンズバーグ、オーネット・コールマンなどが、
 いろいろなところにつれていってくれました。
 私はドラゴン・レディではなく、再び一人の人間に戻ることができました」

「“ああ神様、もう二度と私にこんな思いをさせないでください!
  私は一人の人間として生きたいと願っているのです。お忘れですか?」私は心の中で言いました。
「元気そうだね」沈黙を破ったのはジョンでした。こうして、私たちは再び元の鞘に収まったのです。



「ジョンが歌っているように“だれでも失ってみて初めて、自分が手にしているものの価値が分かる”ものです。
 私たちは失う前から分かっているつもりでした・・・でも実際にはわかっていなかったのですね」オノ・ヨーコ 1998



「私たち2人がいっしょに一つのことを願うと、ずっと早くそのことが実現することに気づきました。
 聖書にも“2人の人間が一つになれば”という記述がありますが、まさしくそれは本当のことなのです。
 今では心に念じることで手に入れようとしています。そうするほうが簡単だからという理由からではありません。
 願うこと、心に念じることのほうが、旗をうち振ることよりもずっと効果的だからです。
 願いは叶います。それは魔法のようです。魔法はシンプルでリアルなものなのです。
 その秘密を解く鍵は、魔法がシンプルだと知ることです」


「人はだれでもみんな根は善人なんだと思い出すことができるのです。
 いろいろな意味でのクリーニングに精を出せば出すほど、
 願いごとが叶えられるまでの時間は、どんどん短くなっていくようです」


「この地球も大変に厳しい現実に直面していて、もうほとんどパニックになっていることは2人とも理解しています。
 それでもなお、太陽はキラキラと輝いていますし、2人の間には愛があり、この街にも、国にも、地球にだって愛があるのです。
 今すぐにでも大きな奇跡を数回は起こせます。
 大切なのは、奇跡が自分の身に起きた時、そのことに気づいて、心から感謝することではないでしょうか。
 奇跡は最初、毎日の生活の中のごく些細なこととして始まります。
やがてそれが一つの川となり、しまいには大きな海となるのです
 大丈夫、世界はよくなっていきます! この地球の運命は、私たちすべてに任されているのですから」
ジョン・レノンとオノ・ヨーコ 1979.5.27



ジョンの「こんなバカなことは二度と繰り返さない」というのは、当時は思いもよらなかった発言である。
世界一の名声を勝ち得たはずの人間が、実際にはまるで牢獄につながれたような状態で、どこまでも続く悪夢の中をさまよっていたなんて!
ジョンとヨーコは世間の非難が永遠に続くのではないかと思い悩み「プライマル・スクリーム」という心理療法を受けていた。
これは、患者の心の中のもっとも深い部分に横たわる苦痛、人生における「もっとも根源的なできごと」によって生まれた苦痛を思い起こさせるもので、
患者はその心の傷を受け入れることで心身の健康を取り戻すのである。

     

「ベッド・イン」「バッグ・イン」「ポスター・イベント」などの平和キャンペーンはユーモラスな可笑しさを基本としていた。
たとえ世界を変えようという真面目な計画であっても、そこにはユーモアがなければならない。
とくに、自分自身を笑い飛ばすようなユーモアが不可欠なのだ。


ジョンは主夫となり、世間はこの新しい「役割分担」に困惑した。
4年が過ぎ、ジョンは、新しく登場してきたニュー・ウェーブ系のバンド、とくにB-52'sの演奏を聴いておおいに感激した。
世間はやっと、ヨーコが10年前にやっていたことに追いついたのだ。


「どんな風に解釈したっていいじゃないか」とジョンは考えていた。
仏教の教えにあるように、人生には気にすべきことと、気にしなくていいことがある。
ジョンは、自分が限られた時間の中で生きているということを意識していた。



ジョンの作品が永遠に輝きを失わないのも、一見矛盾する二つの要素、二面性があったからこそなのである。
ジョンは、自分の中にある二つの要素を無理に統合しようとはしなかった。
ただ真正直に、その両方を思い切り作品の中にぶつけたのである。


ヌートピアは、土地、境界、パスポート、法律もなく、ただ人がいて、宇宙という概念がある、そんな国家だった。





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ビートルズ・アンソロジー VOL.1

2013-03-20 12:35:03 | 音楽&ライブ
The Beatles Anthology
2枚組×3セットってもの凄い曲数/驚
ディスクの1枚目がりんごの表、2枚目は輪切りにしたデザインなのもオシャレ。

 

新曲は♪フリー・アズ・ア・バード だけで、あとはこれまでのアルバム曲のデモテープだけかと思ってたら、
聞いたことない曲がたくさん 一体、バンドで活動した短期間にどれだけ書いたのか!驚
音も想像していたよりイイし、数十年ぶりに新譜が届いた感動を感じた

絶頂期のライブ音源、カバー、レコーディング中のお喋りなどから形になってゆく前段階の感じも伝わってくる。
なにより音楽が好き過ぎて、曲を書いて演奏するのが楽しくて仕方なかったんだね4人とも

 

【アンソロジーができるまで抜粋メモ】
ビートルズの歴史を集大成したテレビ番組、それをビデオ化したもの、未発表曲アルバム、本、この4つからなるビッグ・プロジェクト。
これまでも執拗に再結成、未発表曲アルバムの噂が流れたがメンバはそのつど否定し続けていたため、
本人たちの意志とは無関係に、未発表曲は発掘され続け、年とともに増えてゆき、多くのファンが非合法な海賊版を買わされていた。
1994年1月19日、ジョンが「ロックン・ロール・ホール・オブ・フェイム」に殿堂入りし、ポールとヨーコが再会。
2人の抱擁は「歴史的和解」と言われた。ヨーコはジョンのデモテープをポールに渡してレコーディングすることが発表された。

リンゴ「まるでビートルズ・サウンドそのものだ。当たり前だよね。本人たちが演奏しているんだから。
    ただ、昔のようにはいかなかったよ。はじめはジョンのテープでセッションすることがいたたまれなかった。
    いろんな感情がこみあげてきてね」

ジャケット担当は、ハンブルク時代からの友人であるクラウス・フォアマン。『リボルバー』のジャケも手がけた。
解説は、ビートルズ研究の第一人者であるマーク・ルイソン。

 


ビートルズ・アンソロジー VOL.1

【ブックレット抜粋メモ】
このVOL.1には年代順に1964年までの作品が収められている。
有名になるまでに既に100曲ものオリジナルを書いていたと語られているが、
成功した途端、デビュー前に書いた曲はほとんどレコーディングしなくなった。
「ザ・ビートルズ・ライヴ!!アット・ザ・BBC」に収められたものもある。1994年11月30日発売。
アメリカの「エド・サリヴァン・ショー」同様、イギリスには「バル・バーネルズ・サンデー・ナイト・アット・ザ・ロンドン・パラディアム」があり、そこに出演。
コメディ界のトップチームの番組「マーカム・アンド・ワイズ・ショー」にも出演。ポールは「これが一番楽しかった」と語っている。


【気になるバンド名】
コースターズ



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ビートルズ・アンソロジー VOL.2

2013-03-20 12:35:02 | 音楽&ライブ
ビートルズ・アンソロジー VOL.2

【ブックレット抜粋メモ】
VOL.2には1965年~1968年2月までの曲が収録されている。
日本のファンにとっても嬉しい1966年武道館公演の模様も収録されている。
解説を書いたのはマーク・ルイソン。関係者以外でビートルズの音源を聴くことを許された数少ない人物のひとり。
ルイソンが12年にもわたって活動を調査した結果は『ザ・ビートルズ/全記録』に著されている。

 

1966年に始まった「スタジオ時代」にも、偉大なプロデューサーであるジョージ・マーティンのサポートで数多くの名曲を生み出された。
メンバーは5年間ほとんど毎日働き続けていた。そこで、♪デイ・トリッパー のシングルと『ラバー・ソウル』リリースし、
結果として最後となったイギリスツアー後、1966年1月~3月まで休暇をとった。4人は見違えるほど元気になって再び活動する。
♪トゥモロー・ネバー・ノウズ をきっかけに、ポップから新しいロックへと発展した。
東京での5回にわたるコンサートのうち2回を日本テレビが撮影しており、ここにはそのうちの2曲が収録されている。
この日から60日後、メンバはライヴ活動をいっさい停止した。

 

【アンソロジー・プロジェクトについて抜粋メモ】
『アンソロジー1』は、アメリカのビルボード誌で初登場1位。これはビートルズの全アルバムを通じて初
3人のメンバが揃ったことも1969年以来。プロジェクトも25年でようやく実を結んだ。

 

「ビートルズは常に4人で活動してきた。なにかが欠けていると思ったんだ。それはもちろん、ジョンの存在だ。
 そう思うと、アイデアそのものに欠陥があるような気がして空しくなった」

ポール「ジョンがこれ(♪フリー~)を僕に弾いてみせたら、すぐにセッションを始めただろう。
    思ったよ。ちくしょう、この曲をジョンといっしょにやれたら最高なのにな・・・って」



「神聖なるジョンの曲に手を加えるなんて、遺産を汚すつもりか」という批判も聞こえてきそうだった。
そこで、その状況を乗り切るために、ポールはある設定を考えた。
アルバムをほぼ作り終えたところで、ジョンは休暇に出かけてしまったということにしたのだ。
“完成してない曲があるけど、みんなで仕上げといてくれ”と言い残して。
『サージェント~』同様、ポールはこういうストーリーを作るのが得意だ。
実際、後期のビートルズは、スタジオに全員揃わないことはよくあることだった。
こういう設定にしたことで、3人の気持ちは楽になった。プロデューサーとして呼ばれたのはジェフ・リン
マーティンはアルバム自体はプロデュースしているが、それは過去に自分でやってきた作品だから彼が適任であり、
新曲には新しいプロデューサーが必要だというのがジョージの考えだった。


マーティン「'70、'80年代には早すぎたかもしれないが、今は受け入れられる時期だと思います」


♪I'm Only Sleeping
みんなは僕を怠け者だと思ってる
奴らのほうこそ頭がどうかしてるのさ
ものすごいスピードであちこち駆け回って
その無意味さにちっとも気づかない
どうか僕の1日を台無しにしないで
僕ははるかな国をさまよっている
とにかく、このまま眠っていたいんだ


♪ジャイ・グールー・デヴァ・オーム(神に感謝)




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ビートルズ・アンソロジー VOL.3

2013-03-20 12:35:01 | 音楽&ライブ
ビートルズ・アンソロジー VOL.3

【ブックレット抜粋メモ】
VOL.3は、1968年~1970年のレコーディング曲。
新曲はないが、オープニングは、マーティンが作曲した♪ア・ビギニング で始まり、♪ジ・エンド で終わる。

 

♪カム・アンド・ゲット・イットは、ポールがデモと寸分違わぬ形でアイビーズのヴァージョンをプロデュースした。
アイビーズがバッドフィンガーと改名した後にリリースされたこの曲は、ピーター・セラーズとリンゴが共演した映画
『マジック・クリスチャン』のテーマ曲となった

 

♪オー!ダーリン の演奏中にジョンが言っている「ニュース」とは、ヨーコと前夫の離婚が成立したこと。
「自由になった」と喜び、ポールのヴォーカル曲なのに、ジョンが即興で歌ってしまっているw
この後、1969年3月にジョンとヨーコは結婚する。その1週間前にはポールとリンダが結婚。



1969年1月30日、4人はアップルビルの屋上で予告なしのライヴをする。「ルーフトップ・セッション」などと呼ばれる。
4人はそれぞれの道を歩き始め、1970年4月10日の新聞の一面で「ポールの脱退」として報道され、解散が公となった。
(実際は、ポールが一番離れたくなかったってことか?

 


【アンソロジー・プロジェクトについて抜粋メモ】
ドキュメンタリーは、日本ではテレビ朝日で12月31日に5時間半にわたって一挙放送された(知らなかった・・・
ドキュメンタリーは、全8巻、約10時間。
♪フリー~と、♪リアル・ラヴ は、アメリカでゴールド・ディスクに輝いた
これでゴールド・ディスクを獲得したビートルズのシングルは22枚となり、1アーティストが持つ最高記録を更新した。
また『アンソロジー』以降、オリジナル・アルバムが600万枚以上売れている。




♪The End
受けとる愛は、与える愛に等しい
愛とは自分自身でうみだすものなんだ

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『のらねこ。』中川こうじ

2013-03-20 12:21:53 | 
『のらねこ。外で暮らす猫の姿をありのままにとらえたフォトエッセイ』(エンターブレイン)
中川こうじ/著

Street Cat's
著者の中川さんが管理人をしているサイト。
里親募集を行ったり、各地のノラネコ保護活動に写真家として協力し、写真展も開催されている。

【内容抜粋メモ】

 

人はときにキバをむき、ときにやさしい
だから、どこまで信じていいのかわからない
とにかく、生きることに専念している p56


 

食べるときは、分けあって食べる
眠るときは、敷物を分けあって使う
楽しいこともつらいことや悲しいことも分けあっていく
生きようとする力も生きているという実感も
ときには命さえも分けあって、
支えあって、生きてゆく p74




ぼくは思う。人間は生き物の頂点ではなく、地球の生物の一員だと。
そして、その命は共存してこそ初めて、生きているといえるのだと。 あとがき


街角で見かけるノラさんを可愛く撮ったフォトエッセイだと思って読んだらまったく違っていた。
私は、これまで“猫がのんびり路上で暮らしている町は、人ものんびりと暮らせる町だ”と思ってきたけれども、
中川さんはそれを真っ向から否定する。
「それはヒトの身勝手な言い分だ」と叱責された気がした。

ノラは毎日生き延びるのに必死なんだ。
1日生き延びるための食べものを探し歩き、
1日生き延びるための寝床を探し歩き、
たまにヒトに可愛いと撫でられたかと思うと、
次には殴られたり、もっと醜い仕打ちをされる。

 

助け合い、分け合うココロを失った厳しい現実は、
「人間社会の縮図」でもあると、中川さんは書いている。
実際、数えきれないほどのか弱い命を自らの手の中で失い、
その写真の一部は本書にもおさめられている。
これが現実なんだ。

離島で漁師さんから魚をもらって生きているコらもいる。
ヨーロッパの街角で暮らすノラは、町中のヒトに見守られて幸せそうにしている写真集もある。
あれも全部ウソなんだろうか?
それとも日本の都心で生きるノラの生活が特別過酷なのか???

これまで街角でにゃんこを見かけるたびほっこりしていた気持ちが根底から否定されてしまった。
かといって今の自分に何をしてあげらるか分からない。
町に住むノラさんたちが1日も早く、ひとりでも多く、良縁と巡り会って、
それぞれの安心できる家庭で寿命がまっとうできますように。ように/祈×∞

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宮沢賢治『若い木霊』

2013-03-20 12:11:24 | 
『若い木霊』(福武書店)
宮沢賢治/文 荻野宏幸/絵

▼あらすじ
若い木霊(こだま)は、自分の樹から離れて、ほかの樹をたずねながら、
春が近いというのに、まだ静かに眠っているのをからかってゆく。
途中でカエルや、かたくりや桜草が「鴾の火」の話をするたびに心臓がドキドキする若い木霊。

そこに噂の鴇が飛んできたので、急いで「鴇の火を持っているなら少し分けてくれないか」と頼むと、
鴇は「ついておいで」と桜草の生える場所に連れていく。
若い木霊はそこに飛びこむが、どれが鴇の火か分からず、帰ろうとすると、
さっき自分がバカにしたやどり木から「鴇にだまされた。ウワーイ」とはやし立てられる。



一疋の蟇(ひきがえる)がそこをのそのそ這って居りました。
若い木霊はギクッとして立ち止まりました。
それは早くもその蟇の語(ことば)を聞いたからです。

「鴾の火だ。鴾の火だ。もう空だって碧(あお)くはないんだ。
 桃色のペラペラの寒天でできているんだ。いい天気だ。ぽかぽかするなあ。」

若い木霊の胸はどきどきして息はその底で火でも燃えているように熱くはあはあするのでした。



大体、賢治の話は幻想的だけれども、この話もとってもフシギだ。
いきなり若い木霊の愚痴のようなセリフから始まっているから、
最初の原稿が1枚飛んでいるんじゃないかと、思わず確認してしまった。

季節的には、今とほぼ同じくらいか。
結局「鴇の火」とはなにか? 夕焼けかなあ?

絵はクレーのよう。
形の見えない木の精や、草花、山などを
生命が宿って動き出しそうに大胆に描いている。
本書が閉架扱いになっているのが惜しい。
まだまだ賢治の短編が絵本化されればいいな。


やどり木
他の木に寄生する草木。エノキ・桜など落葉樹の樹上に寄生し、二また状によく分枝し、球状になる。

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