・令和元年8月6日 広島平和記念式典
長崎市の平和公園です
長崎原爆慰霊者 犠牲者慰霊 平和祈念式典が行なわれています
8時の開場から参列者が集まり始め、満席となっています
会場の気温は35.8℃
「原爆落下中心地碑」
昭和20年8月9日午前11時2分 原子爆弾が炸裂しました
熱線、爆風、放射線が人々に襲いかかりました
爆心から1 km 以内にいた人は、ほとんどが即死
その年だけで合わせて7万人を超える人たちが亡くなったと言われています
今年新たに3402人の名前が原爆死没者名簿の中に書き加えられ
その名前が奉安されました
被爆者が18万2601人になりました
式典会場では長崎市議会議長による式辞が行われています
この後、式典会場では献水が行われます
原爆により焼け野原となった地で
水を求めて亡くなっていった人達を慰める為に水が捧げられます
74年前のあの日
体内まで焼けただれた被爆者は
「水を、水を」と求めながら お亡くなりになりました
捧げられます清らかな水は 長崎市内の西町など
被爆者が求めた長崎市内東西南北の水と 平和の泉の水です
献水なさるのは 遺族代表、被爆者代表、高校生代表、中学生代表、小学生代表です
献花
遺族代表、被爆者代表、長崎市長、長崎市議会議長が生花を捧げます
内閣総理大臣安倍晋三氏献花
2年前 国連で核兵器禁止条約が採択されました
以来、日本政府はこの条約に反対の立場をとり続けています
唯一の戦争被爆国である日本の姿勢が国際社会から問われています
(他の国の人たちが禁止しようとしているのに
落とされた国が反対しているって一体どういうことなんだろう?
そんな中、核兵器廃絶を世界に訴え注目されている
一人のリーダーが今年11月 長崎を訪れる予定になっています
2015年9月25日国連総会
ローマカトリック教会のフランシスコ法王
「核兵器のない世界を今こそを作る必要がある」
2018年1月15日
フランシスコ法王が核兵器廃絶への思いをより強くした1枚の写真があります
「焼き場に立つ少年」
原爆投下後の長崎で、亡くなった弟を背負い
火葬の順番を待つ少年の姿を捉えたものです
法王はこの写真に「戦争がもたらすもの」というメッセージを添えてその重要性をアピールしました
こうしたフランシスコ法王の姿勢は、長らく核兵器廃絶を訴えてきた長崎の被爆者たちを勇気づけました
74年前 原爆はカトリック信者の多い浦上地区に投下されました
およそ1万2000人の信者のうち 7割以上が犠牲になったと言われています
当時、東洋一と言われていた浦上天主堂も一瞬にして破壊されました
浦上天主堂の壁の残骸です
爆心地近くに保存され、被爆の実相を今に伝えています
その一方で、この1年の間、核兵器をめぐる世界情勢は厳しさを増しています
「INF」中距離核ミサイル全廃条約の破棄をめぐるアメリカとロシアの対立
イランの核開発をめぐる情勢は予断を許しません
今後、日本が核兵器廃絶のため、立場の違う国々と
どのように協力し、その議論をリードしていくのか
改めてその指導力が問われています
平和公園の一角 平和の泉には千羽鶴が飾られています
これは今日 ここを訪れた人たちが納めたものです
そして、毎年この日に合わせ、全国からたくさんの千羽鶴が寄せられています
そこに添えられたメッセージです 千羽鶴に託した 平和への願いです
「恒久平和」
「平和を願い心ひとつ」
式典ではこの後、上空で原爆が炸裂した11時2分から
原爆犠牲者に哀悼の意を表し平和を願って黙祷が捧げられます
黙祷
長崎平和宣言
長崎市長が全世界に向かって平和宣言を行います
この宣言文は 国連加盟の各国をはじめ、全国の地方公共団体などへと送るとともに
インターネットを通じて全世界に発信します
(このアナウンスをしているのは男女の学生なのか
長崎平和宣言
目を閉じて聞いてください
幾千の人の手足が吹き飛び 腸(はらわた)が流れ出て 人の体にウジ虫がわいた
力ある者は肉親を探し求めて 死骸を見つけ そして焼いた
人間を焼く煙が立ち上り 罪なき人の血が流れて 浦上川を赤く染めた
ケロイドだけを残して やっと戦争が終わった
だけど 父も母ももういない 兄も妹も戻ってはこない
人は忘れやすく 弱いものだから 過ちを繰り返す
だけどこのことだけは忘れてはならない
このことだけは繰り返してはならない
どんなことがあっても
これは、1945年8月9日午前11時2分
17歳のときに原子爆弾により家族を失い 自らも大怪我を負った女性が綴った詩です
自分だけではなく、世界の誰にも二度とこの経験をさせてはならないという強い思いがそこにあります
原爆は、人の手によって作られ、人の上に落とされました
だからこそ人の意思によってなくすことができます
そしてその意志が生まれる場所は、間違いなく私たち一人一人の心の中です
今、核兵器をめぐる世界情勢はとても危険な状況です
「核兵器は役に立つ」と平然と公言する風潮が再びはびこり始め
アメリカは小型でより使いやすい核兵器の開発を打ち出しました
ロシアは新型核兵器の開発と配備を表明しました
その上、冷戦時代の軍拡競争を終わらせた 「INF」中距離核戦力全廃条約は否定され
核兵器を削減する条約「新start」の継続も危機に瀕しています
世界から核兵器を無くそうと積み重ねてきた人類の努力の成果が次々と壊され
核兵器が使われる危険性が高まっています
核兵器がもたらす生き地獄を繰り返してはならないという
被爆者の必死の思いが世界に届くことはないのでしょうか
そうではありません
国連にも多くの国の政府や自治体
何よりも被爆者をはじめとする市民社会にも
同じ思いを持ち、声を上げている人たちは大勢います
そして、小さな声の集まりである市民社会の力は
これまでにも世界を動かしてきました
1954年のビキニ環礁での水爆実験を機に、世界中に広がった反核運動は
やがて核実験の禁止条約を生み出しました
一昨年の核兵器禁止条約の成立にも市民社会の力が大きな役割を果たしました
私たち一人一人の力は微力ではあっても、決して無力ではないのです
世界の市民社会のみなさんに呼びかけます
戦争体験や被爆体験を語り継ぎましょう
戦争が何をもたらしたのかを知ることは、平和を作る大切な第一歩です
国を超えて、人と人との間に信頼関係を作り続けましょう
小さな信頼を積み重ねることは、国同士の不信感による戦争を防ぐ力にもなります
人の痛みがわかることの大切さを、子どもたちに伝え続けましょう
それは子どもたちの心に、平和の種を植えることになります
平和のためにできることはたくさんあります
諦めずに、そして無関心にならずに、地道に平和の文化を育て続けましょう
そして「核兵器はいらない」と声をあげましょう
それは小さな私たち一人一人にできる大きな役割だと思います
全ての国のリーダーの皆さん
被爆地を訪れ、原子雲の下で何が起こったのかを見て、聞いて、感じてください
そして核兵器がいかに非人道的兵器なのか心に焼き付けてください
核保有国のリーダーの皆さん
核不拡散条約 NPT は、来年、成立からちょうど50年を迎えます
核兵器をなくすことを約束し、その義務を負ったこの条約の意味を
全ての核保有国はもう一度思い出すべきです
特にアメリカとロシアには、核超大国の責任として
核兵器を大幅に削減する具体的道筋を世界に示すことを求めます
日本政府に訴えます
日本は今、核兵器禁止条約に背を向けています
唯一の戦争被爆国の責任として、一刻も早く核兵器禁止条約に署名・批准してください
そのためにも、朝鮮半島非核化の動きを捉え
「核の傘」ではなく「非核の傘」となる
北東アジア 非核兵器地帯の検討を始めてください
そして何よりも「戦争をしない」という決意を込めた日本国憲法の平和の理念の堅持と
それを世界に広げるリーダーシップを発揮することを求めます
被爆者の平均年齢は既に82歳を超えています
日本政府には高齢化する被爆者のさらなる援護の充実と
今も被爆者と認定されていない被爆体験者の救済を求めます
長崎は、核の被害を体験した町として
原発事故から8年が経過した今も 放射能汚染の影響で苦しんでいる
福島の皆さんを変わらず応援していきます
原子爆弾で亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げ
長崎は広島とともに、そして平和を築く力になりたいと思う
すべての人たちと力を合わせて
核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します
(とても具体的に各国の名前を挙げ
日本政府に対しても 直接的に わかりやすい言葉で 訴えた
とても良いスピーチだと思った
鳩が放たれる 拍手が起こる
被爆者代表・山脇佳朗さん(85)による平和への誓い
山脇さんは、11歳の時に被爆 父親を原爆で亡くしました
60歳を過ぎてから独学で英語を学び、海外へも出向いて、英語で被爆体験を伝える活動をしていました
平和への誓い
1945年8月 アメリカが広島・長崎に原爆を投下し
20数万人の命が奪われました
私は当時11歳 爆心地から約2kmの自宅で被爆しました
母と4人の弟と妹は佐賀に疎開していて難を逃れましたが
父は爆心地から500メートルの工場で爆死していました
私たちはきょうだい3人で 焼け残りの木片を集めて
焼け落ちた工場のそばで、父の遺体を荼毘に付しました
しかし、焼けていく父の遺体を見るに耐え切れず
燃え上がる炎を見ながらその場を離れました
翌日、遺骨を拾いに行きました
でも遺体は半焼けで、完全に焼けていたのは 手足の一部だけでした
「せめて頭の骨だけでも拾って帰ろう」と兄が言い
火箸で頭の部分に触れたら、頭蓋骨は石膏細工を崩すように破れ
白濁した半焼けの脳が流れ出したのです
兄は悲鳴をあげて火箸を捨てて逃げ出しました
私もその後を追って逃げ出したのです
私たちはこんな状態で 父の遺体を見捨ててしまいました
原爆で火葬場も破壊されたため、家族や身内を亡くした人々は
私たちと同じように 無残な体験をしなければならなかったのです
それだけではありません
かろうじて生き残った人々は、熱線による傷や
放射能による後遺症に悩まされながら生きていかねばなりませんでした
私は原爆の被害を受けて20数年後、急性肝炎、腎炎を発症し
今なお治療を続けています
さらに60数年後には胃がんに侵され、2008年、2010年に
がんを摘出する手術を受けました
あの時、私と一緒に行動した兄と弟もがんに侵され 治療を続けています
あれから74年
被爆者の私たちは、多くの方々と核兵器廃絶を訴え続けました
六十歳を過ぎて英語を独学で学び
2015年11月 長崎で開催された会議では
世界の科学者に核兵器廃絶に力を貸してくださいと訴えました
しかし、ロシア、アメリカなどの国々は
今なお1万3880発もの核兵器を保有していると言われています
さらにアメリカは、ロシアとの間に締結している
中距離核戦力全廃条約からの離脱を宣言し、実行しました
2月にはトランプ政権になってから2回目の臨界核実験を行ったと報じられています
これは核兵器の廃絶を願う人々の期待を裏切る行為です
被爆者は日を追うごとに亡くなっています
私はこの場で安倍総理にお願いしたい
被爆者が生きている間に、世界で唯一の被爆国として
あらゆる核保有国に「核兵器をなくそう」と語りかけてください
この問題だけはアメリカに追従することなく
核兵器に関するすべての分野で、核兵器廃絶の毅然とした態度を示してください
もちろん私も死ぬまで核兵器廃絶を訴え続けます
74年前、広島・長崎の原爆で失われた
20数万人の人の命、後遺症に苦しみながら
生き残っている被爆者に報いるべきだと思います
私は第2次世界大戦によって 310万人もの命を犠牲にした日本が
戦後に確立した平和憲法を守り続け
戦争や核兵器のない世界を実現する
指導的な役割を果たせる国になってほしいと念願し平和の誓いといたします
Please lend us your strength to eliminate nuclear weapons from the face of the earth
この世界から核兵器を廃絶し
and make sure that Nagasaki is the last place on Earth to suffer an atomic bombing
長崎を最後の被爆地とするために皆さんの力を貸してください
会場から大きな拍手が起きる
(これこそが 被爆者のナマの声 まさに 語り部
高齢化で どんどん こうした声が失われていく
目の前で名指しをされて 切なる願いを託された首相は
これからも同じ態度を取り続けることができるだろうか?
児童合唱
長崎市立城山小学校の5年生と6年生51人が歌います
爆心地から約500mの場所にある城山小学校では
原爆によって1400人余りの児童が命を落としました
♪子らの み魂よ 詞 島内八郎 曲 木野普見雄
めぐりきぬ この月 この日
思い出は 白雲のかなた
ひらめきの またたく ひまに
声もなく 空しく 散りし
今日ここの 夏草のうえ
すぎし日の 友の姿に
とむらいの 真をこめて
はるかなる 空にへだてし
なつかしの み魂をしのぶ
すみわたる 城山の空
うちひらく つるの港に
平和なる光 みつれば
先生よ 子等の み魂よ
安らぎて 永久(とわ)に ましませ
(この子たち またその子どもたち みんなが
健やかに 平和な国で ずっとずっと笑って暮らしていけますように/祈×∞
安倍総理大臣の挨拶
本日、被爆74周年の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典にあたり
原子爆弾の犠牲となられた 数多くの御霊に対し謹んで哀悼の誠を捧げます
そして今なお 被爆の後遺症に苦しまれている方々に心からお見舞いを申し上げます
今から74年前の今日 一発の原子爆弾により
一瞬にして街は焦土と化しました
7万とも言われる 尊い命が失われました
人々の夢や明るい未来が 容赦なく奪われ一
命を取り留めた方々にも 筆舌に尽くしがたい苦難の日々をもたらしました
(これは広島の式典時のコピーか?
核兵器によってもたらされた長崎と広島の惨禍をけっして繰り返してはなりません
唯一の戦争被爆国として 核兵器のない世界の実現に向けた努力をたゆまず続けること
これは令和の時代においても変わることのない我が国の使命です
新しい時代を平和で希望に満ち溢れた時代としなければなりません
近年、世界的に 安全保障環境は厳しさを増し
核軍縮を巡っては 各国の考えの隔たりが拡大しています
我が国は核兵器のない世界の実現に向け、非核三原則を堅持しつつ
被爆の悲惨な実相への理解を促進して
核兵器国と非核兵器国の橋渡しに努め
双方の協力を得ながら 対話を粘り強く促し
国際社会の取り組みを指導していく決意です
明年は核不拡散条約50周年という節目の年を迎え
5年に1度の 核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議が開催されます
(毎年開いておくれ
滑舌悪くて聞き取りにくい 選挙の時のあの勢いはどこに行った?
この会議において、意義ある成果を生み出すために
昨年11月、この長崎で開催された 核軍縮に関する賢人会議の提言等を
十分踏まえながら各国に積極的に働きかけていく決意です
私たちには唯一の戦争被爆国として、核兵器の非人道性を
世代や国境を越えて伝え続ける務めがあります
被爆者の方々から 語られた被爆体験をしっかりと若い世代へと語り継いでいく
そして長崎や広島を訪れる世界中の人々が
被爆の悲惨な実相に触れることで平和への決意を新たにすることができる
そうした取り組みを我が国として確実に推し進めて参ります
被爆者の方々に対しては、保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め
被爆者の方々に寄り添いながら、今後とも援護策を総合的に推進してまいります
特に原爆症の認定について、引き続き1日も早く
結果をお知らせできるよう、できる限り迅速な審査を行ってまいります
結びに、市民の皆様のたゆまないご努力により
国際文化都市として見事に発展を遂げたここ長崎市において
核兵器のない世界と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことをお誓い申し上げます
原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と
ご遺族、被爆者の皆様ならびに参列者、長崎市民の皆様のご平安を祈念いたしまして
私の挨拶といたします
これにも一応拍手
この人を支持する人って 核兵器に関して どんな思いでいるのだろうか?
国際連合 事務次長 兼 軍縮担当 上級代表 中満泉さん
アントニオ・グテーレス国連事務総長の挨拶です 中満泉事務次長が代読します
中満事務次長は、日本人女性として初めて国連軍縮担当のトップに任命されました
2年前に続いての挨拶です
中満氏:
1945年 8月9日に 長崎に投下された 原子爆弾の犠牲者の皆様に
謹んで哀悼の意を捧げ、被爆者の方々に 心からの敬意をお伝えできることを
私はとても光栄に思います
戦後、この町は世界平和と国際平和を導く光となって蘇りました
私は昨年 長崎を訪れた際に、この事を目の当たりにし 深く感銘を受けました
勇敢な生存者である被爆者の証言、そして この町に降りかかった大きな悲劇が
二度と繰り返されないように尽くされてきた 被爆者の方々の ひたむきな姿が私の心に触れました
私は昨年、ここ長崎で今なお続く 核戦争の脅威について述べました(代読でね
核保有国の間で高まる緊張や、既存の軍備管理や
軍縮条約の弱体化、失効に直面する中、核の危険は依然として存在しています
国際社会は、これらの条約がもたらしてきた
安全保障の利益を守るために力を合わせなくてはなりません
私たちは真の対話と、交渉の基礎となる協力関係や信頼を強化し
透明性を高めるために ともに行動しなければなりません
しかしそれだけでなく、更なる努力が必要です
核兵器が二度と使用されないことを
唯一確実に保証できるのは、その完全な廃絶だけです
これに向かって努力を続けることは、引き続き国連の
そして私個人の軍縮における最優先課題です
核兵器廃絶を強く訴える原動力として 被爆者の方々の証言以上のものはありません
彼らの証言を次世代のために守り、継承する市民社会
長崎・広島両市、そしてそれを支援する日本政府の活動に私は感謝しています
昨年、この長崎で 私は多くの若い人たちともお会いしました
彼ら 将来の世界平和を担う若者達にはっきりと伝えたいことがあります
あなた方は私たちと共通の未来を守るために
世界に変革をもたらす究極の力なのです
このメッセージを携えて 共に前進することで
核兵器のない世界という、私たちの共通目的を必ず実現いたしましょう
長崎県知事 中村法道氏の挨拶
祈念式典にあたり 長崎県民の皆様とともに
原爆犠牲者の御霊に謹んで哀悼の誠を捧げます
74年前の今日 長崎に投下された 一個の原子爆弾は
一瞬にして 7万4000人もの命を奪い 町を破壊し
かろうじて命を取り留めた人々の心と体にも
生涯癒えることのない傷跡と放射線による健康障害を残しました
(安倍さんのコピーをもらったのか?
このプランの中 長崎は残された人々の懸命な努力によって復興を遂げ
今日では緑豊かな平和を願う美しい街に生まれ変わりました
この平和を守りぬくことが 私たちの使命であります
私達は長崎の惨禍を繰り返さないとの決意のもと
国境を越え、世代を越えて、原爆の悲惨さや非人道性を 訴え続けて参りました
昨年は6回目となる 核兵器廃絶 地球市民集会ナガサキを開催し
国内外から参加された 多くの皆様とともに 長崎アピールを採択し発信しました
長崎を最後の被爆地にと
(そういうことってニュースとして 全国の1人ひとりに 伝わってこないんだよな
印象に残らないというか
しかしながら、こうした被爆地の思いとは程遠く
人類を滅ぼしてなお余りある核兵器の存在が
大きな脅威となって世界を包んでいます
この8月には アメリカとロシアの 中距離核戦力全廃条約が
代替措置もなく失効し、新たな 核軍拡競争の恐れが高まっております
こうした中、今年は ローマ法王の 長崎訪問が期待されております
法王は「戦争がもたらすもの」との 言葉を添えて
「焼き場に立つ少年」のカードを配布されるなど
核兵器のない世界の実現を訴えておられます
法王には、ここ長崎から改めて各兵器廃絶と平和へのメッセージを発信していただき
世界の平和を祈る人々の大きな力になっていただくことを強く願っております
日本政府におかれては 唯一の戦争被爆国として
常に国際社会の先頭に立つ、核兵器のない世界の実現に向けて
あらゆる努力を尽くされるようお願いいたします
また、被爆者の平均年齢は82歳を超えました
皆様の切なる想いを 深く受け止め
より救済の立場に立った 原爆症の認定や
被爆体験者事業の充実など援護施策の更なる充実をお願い致します
8月9日は長崎県民にとって 永遠に忘れることのできない 祈りの日であり
三たび核兵器による惨禍を 起こさせない誓いの日であります
ここに 原爆の犠牲となられた多くの御霊の 安らかならんことをお祈りするとともに
被爆者や 被爆体験者のご健康を願い
今後とも核兵器のない世界の実現のために
更なる努力を重ねることをお誓い申し上げます
千羽鶴の合唱
式典会場では純心女子高校の生徒による合唱が行われます
千葉県の横山鼎さんの作品 曲は長崎市出身の作曲家大島ミチルさんに作っていただきました
本日は大島ミチルさんの母校 純心女子高等学校の皆さんに歌って頂きます
♪千羽鶴 詞 横山鼎 曲 大島ミチル
平和への誓い新たに 緋の色の鶴を折る
清らかな心のままに 白い鶴折りたたみ
わきあがる熱き思いを 赤色の鶴に折る
平和への祈りは深く 紫の鶴を折る
野の果てに埋もれし人に 黄色い鶴折りたたみ
水底に沈みし人に 青色の鶴を折る
平和への願いをこめて 緑なる鶴を折る
地球より重い生命(いのち)よ 藍の鶴折りたたみ
未来への希望と夢を 桃色の鶴に折る
未来への希望と夢と 虹色の鶴に折る
(どんな言葉よりも歌のほうが直接心に響くな
あの日から74年
長崎の人々は、原子爆弾がもたらす被害と脅威を伝え
核兵器の廃絶を訴え続けてきました
しかし、その懸命の訴えにもかかわらず、核兵器廃絶への道は依然として険しいままです
被爆者達は今もなお、命の限り 叫び続けています
核兵器廃絶と平和の願いを世界へ そして未来へ
ここが最後の被爆地になること それが長崎の願いです
長崎市の平和公園です
長崎原爆慰霊者 犠牲者慰霊 平和祈念式典が行なわれています
8時の開場から参列者が集まり始め、満席となっています
会場の気温は35.8℃
「原爆落下中心地碑」
昭和20年8月9日午前11時2分 原子爆弾が炸裂しました
熱線、爆風、放射線が人々に襲いかかりました
爆心から1 km 以内にいた人は、ほとんどが即死
その年だけで合わせて7万人を超える人たちが亡くなったと言われています
今年新たに3402人の名前が原爆死没者名簿の中に書き加えられ
その名前が奉安されました
被爆者が18万2601人になりました
式典会場では長崎市議会議長による式辞が行われています
この後、式典会場では献水が行われます
原爆により焼け野原となった地で
水を求めて亡くなっていった人達を慰める為に水が捧げられます
74年前のあの日
体内まで焼けただれた被爆者は
「水を、水を」と求めながら お亡くなりになりました
捧げられます清らかな水は 長崎市内の西町など
被爆者が求めた長崎市内東西南北の水と 平和の泉の水です
献水なさるのは 遺族代表、被爆者代表、高校生代表、中学生代表、小学生代表です
献花
遺族代表、被爆者代表、長崎市長、長崎市議会議長が生花を捧げます
内閣総理大臣安倍晋三氏献花
2年前 国連で核兵器禁止条約が採択されました
以来、日本政府はこの条約に反対の立場をとり続けています
唯一の戦争被爆国である日本の姿勢が国際社会から問われています
(他の国の人たちが禁止しようとしているのに
落とされた国が反対しているって一体どういうことなんだろう?
そんな中、核兵器廃絶を世界に訴え注目されている
一人のリーダーが今年11月 長崎を訪れる予定になっています
2015年9月25日国連総会
ローマカトリック教会のフランシスコ法王
「核兵器のない世界を今こそを作る必要がある」
2018年1月15日
フランシスコ法王が核兵器廃絶への思いをより強くした1枚の写真があります
「焼き場に立つ少年」
原爆投下後の長崎で、亡くなった弟を背負い
火葬の順番を待つ少年の姿を捉えたものです
法王はこの写真に「戦争がもたらすもの」というメッセージを添えてその重要性をアピールしました
こうしたフランシスコ法王の姿勢は、長らく核兵器廃絶を訴えてきた長崎の被爆者たちを勇気づけました
74年前 原爆はカトリック信者の多い浦上地区に投下されました
およそ1万2000人の信者のうち 7割以上が犠牲になったと言われています
当時、東洋一と言われていた浦上天主堂も一瞬にして破壊されました
浦上天主堂の壁の残骸です
爆心地近くに保存され、被爆の実相を今に伝えています
その一方で、この1年の間、核兵器をめぐる世界情勢は厳しさを増しています
「INF」中距離核ミサイル全廃条約の破棄をめぐるアメリカとロシアの対立
イランの核開発をめぐる情勢は予断を許しません
今後、日本が核兵器廃絶のため、立場の違う国々と
どのように協力し、その議論をリードしていくのか
改めてその指導力が問われています
平和公園の一角 平和の泉には千羽鶴が飾られています
これは今日 ここを訪れた人たちが納めたものです
そして、毎年この日に合わせ、全国からたくさんの千羽鶴が寄せられています
そこに添えられたメッセージです 千羽鶴に託した 平和への願いです
「恒久平和」
「平和を願い心ひとつ」
式典ではこの後、上空で原爆が炸裂した11時2分から
原爆犠牲者に哀悼の意を表し平和を願って黙祷が捧げられます
黙祷
長崎平和宣言
長崎市長が全世界に向かって平和宣言を行います
この宣言文は 国連加盟の各国をはじめ、全国の地方公共団体などへと送るとともに
インターネットを通じて全世界に発信します
(このアナウンスをしているのは男女の学生なのか
長崎平和宣言
目を閉じて聞いてください
幾千の人の手足が吹き飛び 腸(はらわた)が流れ出て 人の体にウジ虫がわいた
力ある者は肉親を探し求めて 死骸を見つけ そして焼いた
人間を焼く煙が立ち上り 罪なき人の血が流れて 浦上川を赤く染めた
ケロイドだけを残して やっと戦争が終わった
だけど 父も母ももういない 兄も妹も戻ってはこない
人は忘れやすく 弱いものだから 過ちを繰り返す
だけどこのことだけは忘れてはならない
このことだけは繰り返してはならない
どんなことがあっても
これは、1945年8月9日午前11時2分
17歳のときに原子爆弾により家族を失い 自らも大怪我を負った女性が綴った詩です
自分だけではなく、世界の誰にも二度とこの経験をさせてはならないという強い思いがそこにあります
原爆は、人の手によって作られ、人の上に落とされました
だからこそ人の意思によってなくすことができます
そしてその意志が生まれる場所は、間違いなく私たち一人一人の心の中です
今、核兵器をめぐる世界情勢はとても危険な状況です
「核兵器は役に立つ」と平然と公言する風潮が再びはびこり始め
アメリカは小型でより使いやすい核兵器の開発を打ち出しました
ロシアは新型核兵器の開発と配備を表明しました
その上、冷戦時代の軍拡競争を終わらせた 「INF」中距離核戦力全廃条約は否定され
核兵器を削減する条約「新start」の継続も危機に瀕しています
世界から核兵器を無くそうと積み重ねてきた人類の努力の成果が次々と壊され
核兵器が使われる危険性が高まっています
核兵器がもたらす生き地獄を繰り返してはならないという
被爆者の必死の思いが世界に届くことはないのでしょうか
そうではありません
国連にも多くの国の政府や自治体
何よりも被爆者をはじめとする市民社会にも
同じ思いを持ち、声を上げている人たちは大勢います
そして、小さな声の集まりである市民社会の力は
これまでにも世界を動かしてきました
1954年のビキニ環礁での水爆実験を機に、世界中に広がった反核運動は
やがて核実験の禁止条約を生み出しました
一昨年の核兵器禁止条約の成立にも市民社会の力が大きな役割を果たしました
私たち一人一人の力は微力ではあっても、決して無力ではないのです
世界の市民社会のみなさんに呼びかけます
戦争体験や被爆体験を語り継ぎましょう
戦争が何をもたらしたのかを知ることは、平和を作る大切な第一歩です
国を超えて、人と人との間に信頼関係を作り続けましょう
小さな信頼を積み重ねることは、国同士の不信感による戦争を防ぐ力にもなります
人の痛みがわかることの大切さを、子どもたちに伝え続けましょう
それは子どもたちの心に、平和の種を植えることになります
平和のためにできることはたくさんあります
諦めずに、そして無関心にならずに、地道に平和の文化を育て続けましょう
そして「核兵器はいらない」と声をあげましょう
それは小さな私たち一人一人にできる大きな役割だと思います
全ての国のリーダーの皆さん
被爆地を訪れ、原子雲の下で何が起こったのかを見て、聞いて、感じてください
そして核兵器がいかに非人道的兵器なのか心に焼き付けてください
核保有国のリーダーの皆さん
核不拡散条約 NPT は、来年、成立からちょうど50年を迎えます
核兵器をなくすことを約束し、その義務を負ったこの条約の意味を
全ての核保有国はもう一度思い出すべきです
特にアメリカとロシアには、核超大国の責任として
核兵器を大幅に削減する具体的道筋を世界に示すことを求めます
日本政府に訴えます
日本は今、核兵器禁止条約に背を向けています
唯一の戦争被爆国の責任として、一刻も早く核兵器禁止条約に署名・批准してください
そのためにも、朝鮮半島非核化の動きを捉え
「核の傘」ではなく「非核の傘」となる
北東アジア 非核兵器地帯の検討を始めてください
そして何よりも「戦争をしない」という決意を込めた日本国憲法の平和の理念の堅持と
それを世界に広げるリーダーシップを発揮することを求めます
被爆者の平均年齢は既に82歳を超えています
日本政府には高齢化する被爆者のさらなる援護の充実と
今も被爆者と認定されていない被爆体験者の救済を求めます
長崎は、核の被害を体験した町として
原発事故から8年が経過した今も 放射能汚染の影響で苦しんでいる
福島の皆さんを変わらず応援していきます
原子爆弾で亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げ
長崎は広島とともに、そして平和を築く力になりたいと思う
すべての人たちと力を合わせて
核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します
(とても具体的に各国の名前を挙げ
日本政府に対しても 直接的に わかりやすい言葉で 訴えた
とても良いスピーチだと思った
鳩が放たれる 拍手が起こる
被爆者代表・山脇佳朗さん(85)による平和への誓い
山脇さんは、11歳の時に被爆 父親を原爆で亡くしました
60歳を過ぎてから独学で英語を学び、海外へも出向いて、英語で被爆体験を伝える活動をしていました
平和への誓い
1945年8月 アメリカが広島・長崎に原爆を投下し
20数万人の命が奪われました
私は当時11歳 爆心地から約2kmの自宅で被爆しました
母と4人の弟と妹は佐賀に疎開していて難を逃れましたが
父は爆心地から500メートルの工場で爆死していました
私たちはきょうだい3人で 焼け残りの木片を集めて
焼け落ちた工場のそばで、父の遺体を荼毘に付しました
しかし、焼けていく父の遺体を見るに耐え切れず
燃え上がる炎を見ながらその場を離れました
翌日、遺骨を拾いに行きました
でも遺体は半焼けで、完全に焼けていたのは 手足の一部だけでした
「せめて頭の骨だけでも拾って帰ろう」と兄が言い
火箸で頭の部分に触れたら、頭蓋骨は石膏細工を崩すように破れ
白濁した半焼けの脳が流れ出したのです
兄は悲鳴をあげて火箸を捨てて逃げ出しました
私もその後を追って逃げ出したのです
私たちはこんな状態で 父の遺体を見捨ててしまいました
原爆で火葬場も破壊されたため、家族や身内を亡くした人々は
私たちと同じように 無残な体験をしなければならなかったのです
それだけではありません
かろうじて生き残った人々は、熱線による傷や
放射能による後遺症に悩まされながら生きていかねばなりませんでした
私は原爆の被害を受けて20数年後、急性肝炎、腎炎を発症し
今なお治療を続けています
さらに60数年後には胃がんに侵され、2008年、2010年に
がんを摘出する手術を受けました
あの時、私と一緒に行動した兄と弟もがんに侵され 治療を続けています
あれから74年
被爆者の私たちは、多くの方々と核兵器廃絶を訴え続けました
六十歳を過ぎて英語を独学で学び
2015年11月 長崎で開催された会議では
世界の科学者に核兵器廃絶に力を貸してくださいと訴えました
しかし、ロシア、アメリカなどの国々は
今なお1万3880発もの核兵器を保有していると言われています
さらにアメリカは、ロシアとの間に締結している
中距離核戦力全廃条約からの離脱を宣言し、実行しました
2月にはトランプ政権になってから2回目の臨界核実験を行ったと報じられています
これは核兵器の廃絶を願う人々の期待を裏切る行為です
被爆者は日を追うごとに亡くなっています
私はこの場で安倍総理にお願いしたい
被爆者が生きている間に、世界で唯一の被爆国として
あらゆる核保有国に「核兵器をなくそう」と語りかけてください
この問題だけはアメリカに追従することなく
核兵器に関するすべての分野で、核兵器廃絶の毅然とした態度を示してください
もちろん私も死ぬまで核兵器廃絶を訴え続けます
74年前、広島・長崎の原爆で失われた
20数万人の人の命、後遺症に苦しみながら
生き残っている被爆者に報いるべきだと思います
私は第2次世界大戦によって 310万人もの命を犠牲にした日本が
戦後に確立した平和憲法を守り続け
戦争や核兵器のない世界を実現する
指導的な役割を果たせる国になってほしいと念願し平和の誓いといたします
Please lend us your strength to eliminate nuclear weapons from the face of the earth
この世界から核兵器を廃絶し
and make sure that Nagasaki is the last place on Earth to suffer an atomic bombing
長崎を最後の被爆地とするために皆さんの力を貸してください
会場から大きな拍手が起きる
(これこそが 被爆者のナマの声 まさに 語り部
高齢化で どんどん こうした声が失われていく
目の前で名指しをされて 切なる願いを託された首相は
これからも同じ態度を取り続けることができるだろうか?
児童合唱
長崎市立城山小学校の5年生と6年生51人が歌います
爆心地から約500mの場所にある城山小学校では
原爆によって1400人余りの児童が命を落としました
♪子らの み魂よ 詞 島内八郎 曲 木野普見雄
めぐりきぬ この月 この日
思い出は 白雲のかなた
ひらめきの またたく ひまに
声もなく 空しく 散りし
今日ここの 夏草のうえ
すぎし日の 友の姿に
とむらいの 真をこめて
はるかなる 空にへだてし
なつかしの み魂をしのぶ
すみわたる 城山の空
うちひらく つるの港に
平和なる光 みつれば
先生よ 子等の み魂よ
安らぎて 永久(とわ)に ましませ
(この子たち またその子どもたち みんなが
健やかに 平和な国で ずっとずっと笑って暮らしていけますように/祈×∞
安倍総理大臣の挨拶
本日、被爆74周年の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典にあたり
原子爆弾の犠牲となられた 数多くの御霊に対し謹んで哀悼の誠を捧げます
そして今なお 被爆の後遺症に苦しまれている方々に心からお見舞いを申し上げます
今から74年前の今日 一発の原子爆弾により
一瞬にして街は焦土と化しました
7万とも言われる 尊い命が失われました
人々の夢や明るい未来が 容赦なく奪われ一
命を取り留めた方々にも 筆舌に尽くしがたい苦難の日々をもたらしました
(これは広島の式典時のコピーか?
核兵器によってもたらされた長崎と広島の惨禍をけっして繰り返してはなりません
唯一の戦争被爆国として 核兵器のない世界の実現に向けた努力をたゆまず続けること
これは令和の時代においても変わることのない我が国の使命です
新しい時代を平和で希望に満ち溢れた時代としなければなりません
近年、世界的に 安全保障環境は厳しさを増し
核軍縮を巡っては 各国の考えの隔たりが拡大しています
我が国は核兵器のない世界の実現に向け、非核三原則を堅持しつつ
被爆の悲惨な実相への理解を促進して
核兵器国と非核兵器国の橋渡しに努め
双方の協力を得ながら 対話を粘り強く促し
国際社会の取り組みを指導していく決意です
明年は核不拡散条約50周年という節目の年を迎え
5年に1度の 核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議が開催されます
(毎年開いておくれ
滑舌悪くて聞き取りにくい 選挙の時のあの勢いはどこに行った?
この会議において、意義ある成果を生み出すために
昨年11月、この長崎で開催された 核軍縮に関する賢人会議の提言等を
十分踏まえながら各国に積極的に働きかけていく決意です
私たちには唯一の戦争被爆国として、核兵器の非人道性を
世代や国境を越えて伝え続ける務めがあります
被爆者の方々から 語られた被爆体験をしっかりと若い世代へと語り継いでいく
そして長崎や広島を訪れる世界中の人々が
被爆の悲惨な実相に触れることで平和への決意を新たにすることができる
そうした取り組みを我が国として確実に推し進めて参ります
被爆者の方々に対しては、保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め
被爆者の方々に寄り添いながら、今後とも援護策を総合的に推進してまいります
特に原爆症の認定について、引き続き1日も早く
結果をお知らせできるよう、できる限り迅速な審査を行ってまいります
結びに、市民の皆様のたゆまないご努力により
国際文化都市として見事に発展を遂げたここ長崎市において
核兵器のない世界と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことをお誓い申し上げます
原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と
ご遺族、被爆者の皆様ならびに参列者、長崎市民の皆様のご平安を祈念いたしまして
私の挨拶といたします
これにも一応拍手
この人を支持する人って 核兵器に関して どんな思いでいるのだろうか?
国際連合 事務次長 兼 軍縮担当 上級代表 中満泉さん
アントニオ・グテーレス国連事務総長の挨拶です 中満泉事務次長が代読します
中満事務次長は、日本人女性として初めて国連軍縮担当のトップに任命されました
2年前に続いての挨拶です
中満氏:
1945年 8月9日に 長崎に投下された 原子爆弾の犠牲者の皆様に
謹んで哀悼の意を捧げ、被爆者の方々に 心からの敬意をお伝えできることを
私はとても光栄に思います
戦後、この町は世界平和と国際平和を導く光となって蘇りました
私は昨年 長崎を訪れた際に、この事を目の当たりにし 深く感銘を受けました
勇敢な生存者である被爆者の証言、そして この町に降りかかった大きな悲劇が
二度と繰り返されないように尽くされてきた 被爆者の方々の ひたむきな姿が私の心に触れました
私は昨年、ここ長崎で今なお続く 核戦争の脅威について述べました(代読でね
核保有国の間で高まる緊張や、既存の軍備管理や
軍縮条約の弱体化、失効に直面する中、核の危険は依然として存在しています
国際社会は、これらの条約がもたらしてきた
安全保障の利益を守るために力を合わせなくてはなりません
私たちは真の対話と、交渉の基礎となる協力関係や信頼を強化し
透明性を高めるために ともに行動しなければなりません
しかしそれだけでなく、更なる努力が必要です
核兵器が二度と使用されないことを
唯一確実に保証できるのは、その完全な廃絶だけです
これに向かって努力を続けることは、引き続き国連の
そして私個人の軍縮における最優先課題です
核兵器廃絶を強く訴える原動力として 被爆者の方々の証言以上のものはありません
彼らの証言を次世代のために守り、継承する市民社会
長崎・広島両市、そしてそれを支援する日本政府の活動に私は感謝しています
昨年、この長崎で 私は多くの若い人たちともお会いしました
彼ら 将来の世界平和を担う若者達にはっきりと伝えたいことがあります
あなた方は私たちと共通の未来を守るために
世界に変革をもたらす究極の力なのです
このメッセージを携えて 共に前進することで
核兵器のない世界という、私たちの共通目的を必ず実現いたしましょう
長崎県知事 中村法道氏の挨拶
祈念式典にあたり 長崎県民の皆様とともに
原爆犠牲者の御霊に謹んで哀悼の誠を捧げます
74年前の今日 長崎に投下された 一個の原子爆弾は
一瞬にして 7万4000人もの命を奪い 町を破壊し
かろうじて命を取り留めた人々の心と体にも
生涯癒えることのない傷跡と放射線による健康障害を残しました
(安倍さんのコピーをもらったのか?
このプランの中 長崎は残された人々の懸命な努力によって復興を遂げ
今日では緑豊かな平和を願う美しい街に生まれ変わりました
この平和を守りぬくことが 私たちの使命であります
私達は長崎の惨禍を繰り返さないとの決意のもと
国境を越え、世代を越えて、原爆の悲惨さや非人道性を 訴え続けて参りました
昨年は6回目となる 核兵器廃絶 地球市民集会ナガサキを開催し
国内外から参加された 多くの皆様とともに 長崎アピールを採択し発信しました
長崎を最後の被爆地にと
(そういうことってニュースとして 全国の1人ひとりに 伝わってこないんだよな
印象に残らないというか
しかしながら、こうした被爆地の思いとは程遠く
人類を滅ぼしてなお余りある核兵器の存在が
大きな脅威となって世界を包んでいます
この8月には アメリカとロシアの 中距離核戦力全廃条約が
代替措置もなく失効し、新たな 核軍拡競争の恐れが高まっております
こうした中、今年は ローマ法王の 長崎訪問が期待されております
法王は「戦争がもたらすもの」との 言葉を添えて
「焼き場に立つ少年」のカードを配布されるなど
核兵器のない世界の実現を訴えておられます
法王には、ここ長崎から改めて各兵器廃絶と平和へのメッセージを発信していただき
世界の平和を祈る人々の大きな力になっていただくことを強く願っております
日本政府におかれては 唯一の戦争被爆国として
常に国際社会の先頭に立つ、核兵器のない世界の実現に向けて
あらゆる努力を尽くされるようお願いいたします
また、被爆者の平均年齢は82歳を超えました
皆様の切なる想いを 深く受け止め
より救済の立場に立った 原爆症の認定や
被爆体験者事業の充実など援護施策の更なる充実をお願い致します
8月9日は長崎県民にとって 永遠に忘れることのできない 祈りの日であり
三たび核兵器による惨禍を 起こさせない誓いの日であります
ここに 原爆の犠牲となられた多くの御霊の 安らかならんことをお祈りするとともに
被爆者や 被爆体験者のご健康を願い
今後とも核兵器のない世界の実現のために
更なる努力を重ねることをお誓い申し上げます
千羽鶴の合唱
式典会場では純心女子高校の生徒による合唱が行われます
千葉県の横山鼎さんの作品 曲は長崎市出身の作曲家大島ミチルさんに作っていただきました
本日は大島ミチルさんの母校 純心女子高等学校の皆さんに歌って頂きます
♪千羽鶴 詞 横山鼎 曲 大島ミチル
平和への誓い新たに 緋の色の鶴を折る
清らかな心のままに 白い鶴折りたたみ
わきあがる熱き思いを 赤色の鶴に折る
平和への祈りは深く 紫の鶴を折る
野の果てに埋もれし人に 黄色い鶴折りたたみ
水底に沈みし人に 青色の鶴を折る
平和への願いをこめて 緑なる鶴を折る
地球より重い生命(いのち)よ 藍の鶴折りたたみ
未来への希望と夢を 桃色の鶴に折る
未来への希望と夢と 虹色の鶴に折る
(どんな言葉よりも歌のほうが直接心に響くな
あの日から74年
長崎の人々は、原子爆弾がもたらす被害と脅威を伝え
核兵器の廃絶を訴え続けてきました
しかし、その懸命の訴えにもかかわらず、核兵器廃絶への道は依然として険しいままです
被爆者達は今もなお、命の限り 叫び続けています
核兵器廃絶と平和の願いを世界へ そして未来へ
ここが最後の被爆地になること それが長崎の願いです