《遠いカルタゴの記憶》
紀元前9~3世紀にチュニジアの地で栄えたカルタゴの歴史は、フェニキア人を征服したローマが全て焼き尽くし、破壊しつくしたとずっと信じられていた。
しかし現在の首都チュニスの中心に程近いチュニス湾に面した海岸に「カルタゴの軍港と商業港」がある。湾を望む「ピュルサの丘」の上には都市の跡が発掘され、博物館に当時の町並みの想像図が展示されていた。
ローマに征服された時に焼き討ちにあった焼け跡が、遺跡のあちこちに黒く残っていた。
少し離れた所にある墓地も見て来た。子どもの墓も多く見られた。
遺跡から見つかった沢山の遺物は、現在遺跡がある「ピュルサの丘」に建てられた「カルタゴ博物館」に収められて一般に公開されていた。
地中海のシチリア島やローマと近かったこの港から、沢山の交易品を積んだ商船が出入りし、賑わっていたことが伺えた。
またチュニスから北東に80km程離れたところに位置する地中海に突き出たポン岬近くの「ケルクアン」からも広大なカルタゴ時代の都市が発掘されていた。
特に「ケルクアン遺跡」の住居跡からは、当時の人々の家庭生活(富裕層は二階建ての家に住み、多くの部屋を有していた。家庭には風呂があり、排水も設備されていた。共同の井戸もあるなど)を推測することができた。耳を澄ますと、カルタゴの町のざわめきが風に乗って聞こえる気がした。
いずれも二千数百年の年月を越えて、現代の私達が目にすることができることに不思議な感動を覚えた。