花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

「チュニジア」旅行(4)

2012年12月05日 | 海外旅行「北アフリカⅠ」チュニジア・モロッコ

《ローマの力を今に語る数々の壮大な遺跡》(1)
ガイドブックによると、カルタゴは農業技術と航海術に優れていて、紀元前8世紀から前2世紀まで地中海のシチリア島、サルディーニャ島、コルシカ島、モロッコ、スペイン南部にまで殖民市を築き上げ、繁栄して行ったそうだ。
※改めて現在の地中海周辺国とチュニジアの地図を載せる

    

ところがローマ帝国がイタリアをほぼ統一して勢いを増すに従ってカルタゴと敵対し、紀元前264~241年、シチリアの所有権を争う第一次ポエニ戦争が起きた。この時はカルタゴが敗北したが、スペインからの豊富な物資があったので国力は衰えなかったらしい。

紀元前218年、スペインにいた英雄ハンニバルが象部隊を伴ってフランスからアルプスを越え、北からイタリアに軍を進め、南からとの挟み撃ち戦法で勝利を収めたのが第二次ポエニ戦争(前218~前201年)として語り継がれている。
しかしその後次第にカルタゴの勢力は衰えて行き、遂にアフリカ以外の領土を失ってしまう。

ローマはカルタゴを諦めず、第三次ポエニ戦争(前149~146年)を起こして市街戦となり、ローマは5万人のカルタゴ人を奴隷にし、焼け残った建物を全て破壊、カルタゴは滅亡したという。

その後、前44年にローマ皇帝カエサルがカルタゴ再建に着手、後アウグストゥスに引き継がれた。
2世紀には巨大建造物が作られ、人口も30万人と膨れ上がり、カルタゴは第三のローマと言われる程になったという。

今回の旅では、先ず首都チュニスから南方約180kmにある地中海沿いの町「エルジェム」とチュニスの南西約100kmの町「ドゥッガ」、首都「チュニス」に残るローマ遺跡を見学した。

(1)世界遺産「エルジェムの円形闘技場」
紀元230年に建設された縦149m、横124m、鷹さ36mもの巨大な規模で地下もあり、現在でも3万人を収容することができるという。ローマのコロッセオと同様の作り方がされていた。今のエルジェムは静かな町である。

 

  

コメント (2)
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