《ベルベル人が暮らす穴倉式住居》
バスが進むに連れて砂漠状の地形が広がりだした。所々に椰子の木が生え、羊を連れた遊牧民が現れる。ここ「マトマタ」の山岳地帯は先住民族「ベルベル人」が隠れて暮らす地域だった。
1700年前の戦いに敗れてからは、生きるにはとても厳しい環境の砂漠地帯に逃れ、密かに自給自足生活をして来たのかも知れない。
バスを降りた。砂漠の大地の下で「穴倉式住居」に住む家族を訪問するためだった。
地表から5~6m地下に穴を掘って中心部を吹き抜けにし、その周りに横穴式に幾つかの居室を造ってあった。
水は雨水を貯めて使っている様だが、雨がほとんど降らない乾期はどうしているのだろうと思った。
年を取った婦人と中年の女性、それに若い息子がいたが、寝室は別々の広さの穴倉だった。1つの広さは4.5~6畳程の広さで入り口は木の扉やカーテンだった。
中央の吹き抜け部分には、雨期に雨もそのまま下まで降るのだろう。
中年女性はにこやかに私達を歓迎してくれ、いつの間にかツアー客の2人がベルベル人の民族衣装を着せられて登場したのを見て、皆沸きかえった。
この「穴倉式住居」は夏涼しく冬は暖かいので住み易いそうだが、職業を尋ねると「町に通勤している。」との返事が帰って来た。
バスはその後、乾ききった赤土の山岳地域に入っていったが、少し形は違うが似た様な「穴倉式住居」が点在していた。
山の頂上近くにある小さな土産店前にトイレ休憩のためバスは止まった。
絵葉書が5枚1DH(51円)だったので買い、その夜ホテルで今日見た「穴倉式住居」と明日行く渓谷や塩湖について知らせる手紙を書いた。
「ケロアン」の世界遺産を見た後、南に212km離れたチュニジア中東部にある町「ガベス」に向かった。
途中の「シテイ・ブジド」町は、昨年起きた一連の民主化運動「アラブの春」の先駆けとなった「ジャスミン革命」が起きた町である。バスから見る限り、静かな田舎町といった雰囲気しか感じられなかった。
《昨年のジャスミン革命を振り返る》
路上で果物・野菜を売る青年モハメド・ブアジジ(26歳)が、2010年12月17日無許可商売だとして警察に摘発され殴られたことをきっかけにして、イスラム教で禁じられている焼身自殺をしてしまったのである。
その映像がインターネットで流されると、若者の失業率が30%と高く貧困に喘いでいた市民に衝撃を与え、これに抗議したデモや暴動が起き、瞬く間に全国に広まって行った。
2011年1月になると、この市民の抗議運動はベンアリ大統領の23年間に及ぶ抑圧的な長期独裁政権に反対する運動になり、ついに大統領は1月14日サウジアラビアに亡命し、革命は成功したのだった。
やがてこれが引き金となって北アフリカのエジプト、リビアなどへ民主化革命が飛び火し、一連の「アラブの春」といわれる市民運動になったことは私達の記憶に新しい。
そしてこの影響は瞬時に情報が世界を駆け巡る様々なインターネットによって、北アフリカに留まらず世界的な規模に波及した。
ネットで「アラブの春」の影響を調べたら下の様になる。
①政権を打倒した国は、エジプト(ムバーラク)、リビア(カダフィー)、イエメン(サーレハ)(イエメンの女性活動家ダワッフル・カルマン女史は2011年ノーベル平和賞を受賞した)
②何らかの進展結実があった国は、アルジェリア、モロッコ、サウジアラビア、ヨルダン、レバノン、イラク、クエート、オマーン、バーレーン
③運動が継続中の国は、シリア
④政権側がデモを制圧した国は、ジブチ、モーリタニア、西サハラ、スーダン、ソマリア
⑤それ以外に影響が及んだ国は、中国、アメリカ、イスラエル、ロシア、アルバニア、イラン
これだけ世界中に影響を与えたジャスミン革命がチュニジアの田舎町から起きたことは、歴史に刻まれるだろう。モハメドさん、どこかで見ていてくれるかな。
移動中、バスから見た珍しい光景の一つは、道路のあちこちに18L入りのプラスチックタンクを積み上げて売っている人々の姿だった。ガイドに聞くと、隣国リビアから国境を越えて安いガソリンを売りに来た人々だという事だった。
二つ目は、道端の簡素な店に白い肉がぶら下げてあることだった。ガイドは、羊の肉を売っているのだと話した。(スピードがあるバスからの撮影なのでぼけている)
私達は地中海近くの「ガベス」のレストランでランチを採り、赤土だけの大地が広がるガベスの南西40kmにある中南部山岳地帯「マトマタ」に向かった。