花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

「チュニジア」旅行(8)

2012年12月10日 | 海外旅行「北アフリカⅠ」チュニジア・モロッコ

《ローマ衰退後のカルタゴ》
ガイドブックを参考に、簡単にその後のカルタゴの歴史を見る。
カルタゴはローマ帝国第三の都市(第二はアレキサンドリア)として発展して行ったが、4世紀に入るとキリスト教徒が増え、キリスト教が公認されたという。
しかし、ローマ帝国は繁栄の陰で徐々に衰退しつつあった。

439年に北アフリカのバンダル族がカルタゴに侵入して王国を築いた
534年東ローマ(ビザンチン)帝国(395年東西に分かれたローマ帝国は、476年西ローマ帝国が滅亡する)がバンダル族を滅ぼした。
その後はしばらく誰にも支配されない時期が続くが、やがてサウジアラビアに起きたイスラム教が布教のために勢いを増し、30年程でアラビア半島、エジプトを支配する。
そして647年、東ローマ帝国の進駐軍は1万人のアラブ軍に破れたのだった。

669年にはアラブ軍は「ケロアン」に入りモスクを建てた後、西に進攻して行くが、
683年、北アフリカ原住民である「ベルベル人」と東ローマの連合軍に敗退し、「ケロアン」は「ベルベル人」の支配を受けた。

689年、アラブ軍が再びカルタゴを占領したが、「ベルベル人」との戦いは続いた。ついに701年「ベルベル人」達は「エルジェム」の「円形闘技場」に追い詰められ、自ら火を放って自滅したという。

その後、北アフリカの中心が「カルタゴ」から「ケロアン」に移されたため、「カルタゴ」は近郊に新たにできた町「チュニス」の建築資材供給庫となり、荒れ果てて行ったらしい。




では今回訪れた1700年前から首都として栄えた「ケロアン」の世界遺産を載せる。
(1)「グランドモスク」
640年に権力者ウクバによって建てられた最古のイスラム教モスク。再建、改修が何度か行われている。
右の写真は礼拝所だが、中央が男性の、そして左の仕切りの奥が女性用の礼拝所だ。

  

(2)「旧市街メデナ」
鷹さ8m、厚さ2mある4つの門で囲まれた東西1.3km、南北0.7kmの旧市街で、中心部は入り組んだ狭い路地が幾つもあった。
モロッコのメディナは規模が大きくごみごみしていたが、ここは電気、上下水道が通っていると言うことで遥かに清潔で気分が良かった。
朝行ったので、直径30cmもある丸く平たい形の「アラブパン」を売る屋台も出ていた。

  

       

  

(3)「シディ・サハブ・モスク」
ここは7世紀に建てられたモハメッドの同志で床屋だったという「アブ・ザマエル・ベラウィ」が眠る霊廟である。
17世紀になると、巡礼者の宿泊所やモスク、ミナレット、神学校が作られ聖地となった。
棺が置かれている霊廟には、信者以外は入れなかった。
(しかしである。霊廟の門番が身振りで私にカメラを渡せという。渡したら、棺や霊廟の内部を数枚写して返してくれた。最後に靴を脱いで入り口迄行けというのだ。私はつい入り口でVサインをして撮影して貰った。後で考えると聖地の棺前でVサインはやり過ぎたと思った。
カメラをくれた後、物欲しそうな素振りをするので、私は写真を確認後1DHのチップを渡した。彼は毎日そうしてチップを稼いでいるのだろう)

  

  



コメント (2)
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