哲学というシマ(縄張りともいう)の変遷について考えてみたい。
古代(ギリシャ時代)は自然科学という劃然とした縄張りも無かったし、すべてが哲学みたいなもので縄張り争いもなかった。
キリスト教中世では哲学は神学のしもべであった。いきおい哲学はキリスト教を支える作業を合理的、論理的な方面で受け持った。遠慮して形而上学に深入りしなかったぶんだけ、その研究は精緻になった。命題の研究とか、言語分析に類する分野が発達した。
いわゆる20世紀の分析哲学なるものが、前世紀の後半から中世哲学に注目し、スコラ文献の発掘に努力するようになったのは当然の成り行きである。
近世は自然科学の萌芽期である。哲学も中世キリスト教のくびきを脱した。これは18世紀の中頃まで続く。デカルト、ライプニッツの頃までは哲学者は自然科学者でもあった(要するに彼らは自然哲学者であった)。
18世紀後半がアクメであったカントも自然科学者としての業績もある(星雲に関するカント・ラプラス説など)。
19世紀になると、自然科学が目覚ましい発達を遂げて自然科学は専門家の分野となり、かつ領域が細分化されてくる。つまり哲学プロパーの縄張りは侵されてくる。彼らは認識論という分野で縄張りを守ろうとして反撃に出る。新カント学派など。あるいはカントが物自体として隔離した研究分野に独断論で踏み込む。ヘーゲルがその一つの頂点である。
キルケゴールやニーチェは必死になって、科学が踏み込めない領域があるんだよ、と工夫する。つまり哲学者は自分の存在理由を探し求めたわけである。
フッサール教授も認識論に活路を求めた一人である。ただし、心理学、論理学あるいは自然科学から誘導される認識論はとらない、取れない訳である。あくまでも哲学の優位を維持するためには。それでひねり出した工夫が現象学と彼らが称している物である。
「現象学の理念」でくどい様に繰り返されるのは「自然的な学問」(自然科学のことだろう)とはまったく異なるものとして現象学的方法を唱導している。いわく、現象学的還元、現象学的認識、内観、コギトエルゴスム。
ところで問題なのは、この有り難い現象学的還元(これは考え方というよりは技法だと思われるが)についてひとことも書いていない。武道の奥義書のようで「以下口伝」ということらしい。つまりそれを知りたければ私の講義に出なさい、そして私の研究室に来なさいということだろう。それにしてはハイデガーはあまりフッサール臭がないな。彼はフッサールの弟子なんでしょう。