穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

墓掘り職人と井戸掘り職人

2016-04-10 18:27:11 | フッサール

ハイデッゲル教授はフッサール先生の弟子としてキャリアをスタートしたらしい。メルローポンティ氏はフッサールの没後弟子でスタートしたらしい。

しかし、視線の先はまったく異なる様に思われる。フッサール氏は灯台守である。ハイデッゲル氏は墓掘り職人である。メルローポンティ氏は井戸掘り職人である。

比喩的な意味だがフッサール氏の関心が地下にむかっているようには見えない。遥か視線の先に何かを発見しようとしているようにみえる。

ハイデッガー氏の最大の目標は存在の開示であって、彼はそれをたしか「覆いを取る」とか表現していた。彼の父親はドイツ寒村の寺男であったそうだ。そんなところから彼の表現が出て来たのかも知れない。それほど地表を深く削るというイメージがわかない。

メルローポンティー氏はどこまでも深く大地(存在の異称)を掘り下げる。目標はない。井戸を掘り下げること自体が趣味なのである。メルトダウンした原子炉が何処までも地中に潜って行く様に。

あたっているかな。