鷲田清一氏のメルロ=ポンティ紹介について書いた前回の記事の訂正です。
幻視>>幻影肢 どうも表音的に注意せずに漢字にしていると間違えます。
訂正の機会に若干の補足をしておきましょう。
鷲田氏の著書の102頁ですが「幻影肢が一方では生理的諸条件に依存し、その限りでは第三者的な因果関係の結果でありながら・・云々」
この第三者的というのはおかしい。自分のことでしょう。第三者的というのは後知恵で渾然一体の人間を心身に分離加工したから出て来た言葉でしょう。そういう意味では現象学的還元の処理をして始源に遡及して到達した底ではありません。あくまでも人工的な二次加工品的記述です。
デカルト以来の心身二元論の統一を試みたのはM=Pが初めてと書いてあったと思いますが、そうでしょうか。たとえばショーペンハウアーも心身の、なんというのか、親密性というか、一体性というのか、そう言う問題に触れていたところがあったと思います。
科学を否定するのは問題だが、科学を変に(通俗科学者の様に)援用するのは慎むべきでしょう。師匠のフッサール教授がいったように。ようするにカエサルの物はカエサルに、です。
私のこころ、私のからだという二元論は始源的ですが、からだ一般(普遍)、種としての、或は類としての人間のからだ(普遍あるいは間主観性?)と加工するのはもはや還元からはもっとも離れた物であるということです。