『夕張市は1日、市立診療所が先月、自殺を図り心肺停止状態になった市内の50代男性の救急受け入れを断っていたと発表した。昨年9月にも同様のケースがあり、市は同診療所の村上智彦医師から事情を聴いた。 市の説明では、5月19日午前8時前、「首をつり、自殺を図った男性がいる」という119番通報があった。救急隊員が駆けつけると、男性は心配停止状態で、診療所に受け入れ要請したが、外来患者診療のため、対応不可能として断られたという。男性は市内の別の医療機関で死亡が確認されたという。 村上医師は「首つりと聞いて検案(死亡確認)のケースと判断した。緊急性が低く、自分は外来もあったため、他の医療機関で対応してもらいたいと伝えた」と話している。
同診療所は昨年9月27日夜、同様に首をつった状態で見つかった男子中学生の受け入れを断った。市と診療所は、二度と同じような事態が起きないようホットラインを設けるなどしている。藤倉肇市長は「誠に遺憾という思い。市立診療所の開設者として総括が必要だ」と話した。』6月2日11時10分配信 毎日新聞
夕張市立診療所のこの医師『首つりと聞いて検案(死亡確認)のケースと判断した。緊急性が低く、自分は外来もあったため、他の医療機関で対応して貰いたい』と伝えたのですが、自殺を図り心肺停止状態50代男性を診察しないで自己判断したのは、医師のモラルと患者の命を預かる医師として責任を果たしと言えるでしょうか。緊急性を要する患者には優先して対応すべきでは有りませんか。夕張市立診療所の公立の医師です。私は、大阪府立成人病センター第三内科の宮川定吉先生は、循環器内科、心臓病の専門医で、大阪大学の第三内科から来られたベテランの先生でした。私は、高校一年の時から7年間お世話になりましたが。大阪府立成人病センターで手術中の患者さんの容態が急変したので、私の診察中、呼び出され走って手術室に飛んで行かれました。亡き父が、通院していました大阪日赤病院本院元内科副部長の心臓専門医の栗本先生は、(現在は栗本内科循環器科、大阪府大阪市天王寺区東高津町11-7・06-6765-8101 )父の診察中、救急車で救急患者が運ばれて電話で呼び出されたので、診察を中断され救急治療室にすぐに走って行かれたそうです。このお二人の先生の医師としての迅速な行動と外来患者を抱えて忙しくても手術中容態の急変した患者や救急車で運ばれて来た救急患者を自の手で救おうとする医師としての使命感を感じました。命を安心して預けられる経験豊かな医療技術の優れたお医者さんが今なぜ減ったのかと残念に思います。一命を取りとめられる命でも救急搬入の受け入れを拒否されたらあの世行きになります。救急患者は、命は一刻を争う状況と思います。『医者は、患者の命を預かる責任の重い仕事』と言われた89歳で今なお現役で患者を治療しておられる胃腸科の名医、元大阪厚生年金病院外科医長で大阪市福島区医師会長の小田胃腸科院長小田徹也先生の言葉を思い出します。2009年05月30日にとしなんぼ?89歳、アサヒコムマイタウン大阪に掲載。☆小田胃腸科・大阪市福島区鷺洲3-5-10 誠産業ビル3F TEL06-6458-2004地下鉄野田阪神、阪神電鉄野田駅下車。
としなんぼ?89歳
89歳
2009年05月30日アサヒコムに掲載
http://mytown.asahi.com/osaka/news.php?<wbr></wbr>k_id=28000290905300001&ref=chiezou
小田徹也 医師
『【家族】妻【いま興味があること】仕事や趣味で使うコンピューター【好きな食べ物】ビフテキ【最近の買い物】余裕がないから特にない【最近読んだ本】劣化ウランの本【最近腹が立ったこと】若い人に根性がない【あなたのヒーロー】現役を続けている日野原重明先生【10年後】生きてないでしょう【ひとこと】医者は、人の命を預かる仕事でしょ。血もつながっていない私にすべてを委ねた患者を自分の手で救う。並大抵の信頼関係じゃないね。夜中に呼ばれて家を飛び出ていった内科医の父を見てきたことが原点ですね。
軍医学校を卒業後、広島県呉市の海軍病院に勤めた。戦争末期です。毎日のように爆撃を受け、けが人もたくさん治療した。朝7時前に鳴る「第二(だいふた)警戒配備につけ」という警報が今でも耳に残ってます。8月6日はそんな日常の1日。仕事に出ようかと思っていた朝。広島の方の空がバーッと光った。足がすくんだ。
院長の「救護隊募集」という言葉に、すぐに手を挙げた。20人の医師とテントを持って広島へ。翌日、広島駅近くの救護所に入りました。暗い暗いテントの中。患者は体の半分が黒こげになっている。原爆が落ちた側だけ焼けてしまったんです。
とにかく無力。次から次に来る患者にできるのは、毛布に寝かせて、肝油を含ませたガーゼをあてるくらい。治すとか助けるという状態じゃないですよ。何を食べたか、どこで寝たかも思い出せない。何もできない。
ここで胃腸科を開業してからは、働いたねえ。救いたいけど救えない、あの広島の経験があったからかもしれないなあ。午前0時前に帰ると調子が悪いんですよ。近くの病院に場所を借りて手術もした。自分の患者は自分で救いたくてね。77歳までメスを持った。
人の命にはとことん真剣でありたい。だから患者だっていい加減な人は困る。「風邪ひいた。薬くれ」って来た人が、態度が悪くてねえ。「帰ってくれ!」って怒鳴りました。2日後に謝りに来ましたが。命をやりとりする間柄なんだから、お互いまじめに向き合わないといかん。
もうかりません。私は薬はできるだけ処方しないから。命を守るのにそろばん勘定はいらんでしょ。築40年、エレベーターもないおんぼろビルで、壁なんか自分で塗り直しながら細々続けています。妻には「何とかして下さい」と言われるんだけどねえ。』
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