2010年6月16日7時34分
ハート型の紫陽花、あじさい。
京都府宇治市の三室戸寺
『「花の寺」として知られる京都府宇治市の三室戸寺(みむろとじ<url:http://www.mimurotoji.com)のあじさい園。梅雨とともに盛りを迎えたアジサイの中に、ハート形をした一輪が見つかった。 アジサイの花は通常、球状に固まる。敷地約7千平方メートルの園内には約50種、1万株あるが、ハート形は珍しいといい、同寺は咲いている場所を「秘密」にしている。 「探し出せたら幸せが訪れますよ」と伊丹光恭(こうきょう)住職。花の命はあと約2週間だが、カップルで見つければ、愛は永遠に続くかも。同寺は、電話0774・21・2067』アサヒコム
三室戸寺は、あじさい寺とも言われ西国三十三ヵ所第十番札所 明星山 三室戸寺 です。紫陽花は、日本での花言葉は、「移り気なこころ」「強い愛情」「一家団欒」「家族の結びつき」と言われています。又紫陽花を植え花が咲くと金運にも恵まれると言われています。今が三室戸寺でハート形は珍しい紫陽花を見つけ、本尊千手観音さんの仏縁で幸せになって下さい。この紫陽花のカラー写真を見て幸せなカップルになって下さい。心からお幸せをお祈り申し上げます。
三室戸寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三室戸寺 | |
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アジサイ庭園(6月) | |
所在地 | 京都府宇治市莵道滋賀谷21 |
位置 | 北緯34度54分1.72秒 東経135度49分9.10秒 |
山号 | 明星山 |
宗派 | 本山修験宗別格本山 |
本尊 | 千手観音(秘仏) |
創建年 | (伝)宝亀年間(770年~781年) |
開基 | (伝)光仁天皇 |
札所等 | 西国三十三箇所10番 |
文化財 | 木造阿弥陀如来及び両脇侍坐像、木造釈迦如来立像、木造毘沙門天立像(重要文化財) |
三室戸寺(みむろとじ)は、京都府宇治市にある寺院。山号は明星山。本尊は千手観音。西国三十三箇所第10番札所。本山修験宗の別格本山。
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歴史 伝承
寺伝によれば、宝亀元年(770年)光仁天皇の勅願により南都大安寺の僧行表が創建したものという。創建と本尊に関しては次のような伝承がある。天智天皇の孫にあたる白壁王(後の光仁天皇)は、毎夜宮中に達する金色の霊光の正体を知りたいと願い、右少弁(右少史とも)藤原犬養なる者に命じて、その光の元を尋ねさせた。犬養がその光を求めて宇治川の支流志津川の上流へたどり着くと、滝壺に身の丈二丈ばかりの千手観音像を見た。犬養が滝壺へ飛び込むと1枚の蓮弁(ハスの花びら)が流れてきて、それが一尺二寸の二臂の観音像に変じたという。光仁天皇がその観音像を安置し、行表を開山として創建したのが当寺の起こりで、当初は御室戸寺と称したという。その後、桓武天皇が二丈の観音像を造立、その胎内に先の一尺二寸の観音像を納めたという。
平安時代以後
以上のように、当寺の創建伝承については伝説的色彩が濃く、創建の正確な事情についてははっきりしない。園城寺(三井寺)の僧の伝記を集成した『寺門高僧記』所収の僧・行尊の三十三所巡礼記は、西国三十三所巡礼に関する最古の史料であるが、これによると、11世紀末頃に行尊が三十三所を巡礼した時は、三室戸寺は三十三番目、つまり最後の巡礼地であった。寺は康和年間(1099 - 1103年)、三井寺の僧隆明によって中興されたという。
その後寛正年間(1460 - 1466年)の火災で伽藍を失い、再興されたものの、天正元年(1573年)には織田信長と争った足利義昭に加勢したため焼き討ちされる。
現存する本堂は江戸時代後期の文化11年(1814年)に再建された。
本尊
本尊は千手観音像であるが、厳重な秘仏で、写真も公表されていない。本尊厨子の前に立つ「お前立ち」像は飛鳥様式の二臂の観音像で、二臂でありながら「千手観音」と称されている。この本尊像に関わる伝承は「歴史」の項で述べたとおりで、高さ二丈の観音像は寛正年間(1460 - 1466年)の火災で失われたが、胎内に納められていた一尺二寸の二臂の観音像は無事であったという。
秘仏本尊を模して造られた前述の「お前立ち」像は、大ぶりの宝冠を戴き、両手は胸前で組む。天衣の表現は図式的で、体側に左右対称に鰭状に広がっている。こうした像容は奈良・法隆寺夢殿の救世観音像など、飛鳥時代の仏像にみられるものである。厨子内の秘仏本尊像自体については、指定文化財でないため、年代等の詳細は不明である。
2008年が西国巡礼の中興者とされる花山法皇の一千年忌にあたることから、2008年から2010年にかけて、西国三十三所の全札所寺院にて札所本尊の「結縁開帳」が行われることとなった。三室戸寺本尊の千手観音像は2009年10月1日 - 11月30日に開扉されたが、これは前回開扉(1925年)以来84年ぶりの公開である。
境内
- 本堂
- 阿弥陀堂
- 三重塔
- 元禄17年(1704年)建立の全高16メートルの三重塔で、もとは兵庫県佐用郡三日月村(現・佐用町)の高蔵寺にあったものを、明治43年(1910年)に当寺が買い取って参道西方の丘上に移設。その後境内の現所在地(鐘楼の東隣)に移された。
- 庭園
庭園を整備したのは、近年のことである。
文化財
重要文化財
- 木造阿弥陀如来及び両脇侍坐像 - 平安時代後期の定朝様の作。両脇侍像は三千院の阿弥陀三尊像の脇侍と同様の跪坐(ひざまずく)の姿勢をとる。
- 木造釈迦如来立像 - 平安時代後期。嵯峨清凉寺の本尊像を模した「清凉寺式釈迦如来像」の最古の遺品。
- 木造毘沙門天立像 - 平安時代後期。
- 十八神社本殿(所有者は十八神社) - 三間社流造、長享元年(1487年)建立。
その他
御詠歌
- 夜もすがら
- 月を三室戸
- わけゆけば
- 宇治の川瀬に
- 立つは白波
前後の札所
アクセス
※バスの本数は少ない。