教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

2学期制から撤退続々 授業増効果期待外れ、現場に不評

2010年07月02日 20時18分44秒 | 受験・学校

2010年7月2日

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 前期と後期の「2学期制」を採用した公立小中学校で、元の3学期制に戻す動きが相次いでいる。2学期制を採れば、3学期制に比べて始業式や終業式、定期テストなどの回数が減り、その分を授業に回せるメリットがあるとされてきたが、実際にはさほどの効果がなく、逆に「前期の中に長い夏休みが入るなどしてメリハリがつかない」と不評を買う結果に。一時のブームは冷めた格好だ。  1年を前期と後期に分ける2学期制では、9~10月に数日間の秋休みを置いて境目にすることが多い。学校週5日制が完全実施された2002年ごろから、授業時数を増やそうと導入する学校が急増。文部科学省によると、導入した公立小の割合は04年度の9.4%が07年度は20.2%、公立中学校も04年度の10.4%から07年度は21.9%に増加した。ただし、右肩上がりだったのはここまで。直近の09年度の調査では小学校21.8%、中学校23.0%とわずかに増えてはいるものの、現場に目を落とすと評価する声は減っており、中止する学校が続いている。 「年間で20~30時間増やせると期待したが、実際にはその半分以下だった」。09年度から3学期制に戻した大阪府四條畷市教委の担当者は言う。05年から一部で2学期制を試行した兵庫県尼崎市の中学校でも、増えた授業時数は「年10時間ほど」。市教委の担当者は「この程度なら3学期制でもやりくりでひねり出せる」という。同市は昨年11月、全校導入を見送ることを決めた。 横浜市では04年度までに約500の小中学校のほぼ全校が2学期制を導入したが、今年度、計11の小中学校が3学期制に戻した。中学校の校長の一人は「長い夏休みの前に通知表がなく、何を目標に勉強してよいのか戸惑う生徒がいた。期末テストを終えて、通知表をもらって夏休みに入るという3学期制のほうが、気持ちの区切りになる」と明かす。  徳島市教委も今春、全46の市立小中学校で05年に導入した2学期制をやめて3学期制に戻した。ここでも「けじめが付けにくい」「学習や運動に最も適した時期に秋休みを置くのはよくない」といった不満が現場や保護者から上がっていたといい、市教委が実施したアンケートでは小学校長の7割が「3学期制が良い」と答えたという。  群馬県太田市は04年度以降、全体の3割にあたる12の市立小中学校で2学期制を試行したが、09年度までに中止した。通知表の回数が年2回に減ることに対する保護者の反発が特に強かったという。学校側には教員の負担減に期待もあったが、保護者からは「年に3回あったほうが努力目標が増える」との声が上がり、一部の学校では、本来の2回の通知表に加えて夏休み前と冬休み前の2回、通知表に近い「振り返りカード」を作成。事務負担が逆に増えるという皮肉な結果になった。  学校のカリキュラムに詳しい八尾坂修・九州大学大学院教授(教育行政学)は「2学期制だと学期当たりの期間が長くなり、より継続性のあるカリキュラムを組める利点もある」と指摘する。「学習の達成状況や生活態度の連絡表を渡すなど、保護者とのコミュニケーションを密にできるのであれば進めていく価値はある」と話す。』アサヒコム

学校教育に置いて、日本の『自然の四季』の季節感と節目を大切にし学ぶことは大事です。今や季節感が失われている日本です。教育現場の先生方や保護者の意見を尊重し学校運営はなされるべきである。日本の収穫の秋、時候の安定した秋こそ勉強や学習にいそしむべきです。二学期制にしても授業時間年間で20~30時間増やせると期待したが、実際にはその半分以下の10時間程度なら週休5日制の土曜日、時候の良い秋にでも土曜日を、各学校の判断で授業時間として弾力的に充当すれば良いのでは有りませんか。せっかく四季に恵まれた日本です。季節の節、自然の移り変わりと生活のけじめを学ぶことが、自然環境教育にも繫がり、日本の伝統文化と守られて来た日本の生活習慣を子供達の伝えていく重要さがあるのでは有りませんか。何もアメリカや欧米諸国の真似を日本の教育はする必要は有りません。アメリカ被れもこの辺で止めたらどうですか。日本人として自主性と独自性がなくては今の日本の教育は良くなりません。ゆとり教育で学力低下を生んだので、新学習指導要領で教科書の教える内容を増えたので、小・中学校授業時間が足りない急に教える内容を増やし詰め込んでも子供達の学力が上がらず。急な食べすぎで頭は消化不良です。このようなことを考え出した政治家の頭の中を疑います。急な方向転換による急ハンドルと急アクセル操作で、迷惑するのは子供達で、子供達は、ひっくり返ります。子供達の視点、目の高さに立って学校教育は考えるべきです。教えるべき内容を取捨選択して教えるべきです。授業時間や教科書の内容を増やせば子供達の学力が上がると言うのは、知識偏重の詰め込み教育の復活で子供達の勉強嫌いが増えないか心配です。思考力や理解力を養えずに、今1番欠けている大人も子供達にも豊かな想像力が涌き出ません。子供達の手、足、体を動かす体験学習や自然観察、実習体験、科学的実験も各教科の関連性から積極的に取り入れるべきでは有りませんか。教育現場の先生方や保護者の声を十分取り入れないと教育理論だけでは机上の空論で今の学校教育は良くなりませんし、子供達の目線に立って日本の教育を考えるべきだと思います。

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高校生のマグロ初水揚げ 61日間の航海終え帰港 福島

2010年07月02日 17時28分05秒 | 受験・学校

2010年6月28日

写真船倉から引き揚げられる「僕たちのマグロ」。実習生たちが手すりから身を乗り出して眺めていた=小名浜漁港

 いわき海星高校の生徒33人を乗せた県の漁業練習船・福島丸(499トン)が26日、61日間の航海を終えて小名浜漁港に帰ってきた。ハワイ沖でとったマグロなど計約17トンがおみやげ。同港での、冷凍マグロの初水揚げにもなった。

 2010年6月28日

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船倉から引き揚げられる「僕たちのマグロ」。実習生たちが手すりから身を乗り出して眺めていた=小名浜漁港

 いわき海星高校の生徒33人を乗せた県の漁業練習船・福島丸(499トン)が26日、61日間の航海を終えて小名浜漁港に帰ってきた。ハワイ沖でとったマグロなど計約17トンがおみやげ。同港での、冷凍マグロの初水揚げにもなった。

 生徒たちははえなわ漁の実習で、漁網の整備や浮きの取り付け作業などを体船倉から引き揚げられる「僕たちのマグロ」。実習生たちが手すりから身を乗り出して眺めていた=小名浜漁港

 『いわき海星高校www.iwakikaisei-h.fks.ed.jp )の生徒33人を乗せた県の漁業練習船・福島丸(499トン)が26日、61日間の航海を終えて小名浜漁港に帰ってきた。ハワイ沖でとったマグロなど計約17トンがおみやげ。同港での、冷凍マグロの初水揚げにもなった。  生徒たちははえなわ漁の実習で、漁網の整備や浮きの取り付け作業などを体験してきた。船が岸壁につくと、降り立って親や友人たちと握手を交わしたり、抱き合ったりして喜んだ。マグロを船倉からクレーンで引き上げる作業は、船橋で手すりから身を乗り出して見守った。海洋科3年の遠藤栞(しおり)さん(17)は「狭い船内の集団生活に苦労したけど、家がある小名浜に帰ってきて、このマグロをみんなに食べてもらえると思うと感動して言葉が出ません」と話していた。  生徒たちのマグロは地元漁協に販売委託されるほか、販売実習として「カツオ祭り」(7月4日、小名浜魚市場)会場やスーパーに並ぶ予定。』 アサヒコム

いわき海星高校の皆さんは、日本の漁業の大切な担い手です。漁業は、実際に体験し学ばないと将来役に立たないと思います。福島県の漁業練習船・福島丸での61日間の遠洋航海を無事終えられ本当にお疲れ様でした。いわき海星高校の生徒33人の皆さん、61日間同じ船内で生活し、同じ釜の飯を食べて集団生活の大切さ、お互いに仲間意識や友情も芽生えましたね。昔から板子、いたご1枚下は地獄、船乗り稼業の危険なことを喩えたものですが。漁業に携わる人達は、今も昔も危と隣り合わせ、命がけの仕事です。絶対沈まない船なんて有りません。不沈空母なんて今の世の中に有りません。戦争で沈まなかった軍艦はほとんどなかったと思います。。それだけ相互扶助と団結心の強い職業では無いでしょうか。漁業練習船に乗り遠洋航海や漁業実習で学ばれたことは必ず将来漁業現場で生かされると思います。日本の漁業を支える人材と後継者が日本には欠かせません。いわき海星高校で学ばれた漁業理論や漁業技術を体験を生かして、日本の大切な無くてはならない第一次産業、日本の漁業の後継者として皆さんの為に頑張って下さい。

雪風 (駆逐艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

陽炎型駆逐艦 雪風
艦歴
計画 マル3計画
起工 1938年8月2日
進水 1939年3月24日
就役 1940年1月20日
その後 1947年7月6日賠償艦として中華民国へ引き渡し(丹陽)
除籍 1966年(丹陽)
性能諸元
排水量 基準:2,033トン
全長 118.5メートル
全幅 10.8メートル
吃水 3.8メートル 
機関 艦本式衝動タービン2基2軸
ロ号艦本式缶3基
52,000馬力
最大速力 35.5ノット
航続距離 18ノット/5,000海里
兵員 239人
兵装(新造時) 50口径三年式12.7cm連装砲:3基
九六式25mm連装機銃:2基
九二式61cm四連装魚雷発射管:2基
九三式魚雷16本)
九四式爆雷投射機:1基
爆雷投下台:6基
爆雷:18乃至36個
兵装(終戦時) 50口径三年式12.7cm連装砲:2基
九六式25mm3連装機銃:5基
九六式25mm単装機銃:14基
九二式61cm四連装魚雷発射管:2基
九三式魚雷16本)
九四式爆雷投射機:1基
爆雷投下軌条:2基
水測装置 九三式探信儀
九三式聴音機

雪風(ゆきかぜ)は、大日本帝国海軍駆逐艦陽炎型の8番艦である。太平洋戦争を戦い、当時の艦隊型新鋭駆逐艦であった、朝潮型駆逐艦、陽炎型駆逐艦及びその改良型夕雲型駆逐艦、そして「島風」の計50隻の中で唯一終戦まで生き残り「奇跡の駆逐艦」と呼ばれた。日本海軍の駆逐艦は、激戦区に投入され非常に損耗率が高かったが、本艦は、戦果を上げつつほとんど無傷で終戦を迎えた。

「雪風」としての戦歴

雪風は1940年1月20日佐世保海軍工廠にて竣工。初戦は1941年12月8日フィリピンのレガスピーに対する攻撃である。その後もミッドウェー海戦ガダルカナル島の戦いマリアナ沖海戦(座礁によるスクリュー損傷のため補給部隊の護衛として参加)、レイテ沖海戦(機関不調のため最大速力発揮できず)、航空母艦信濃」護衛、戦艦大和」の水上特攻等、16回以上の主要な作戦に参加し、さらに艦艇、輸送船などの護衛に勤めた。

1943年8月6日から9日までは、わずか3日間だけであったが、第八艦隊旗艦を務めている。駆逐艦が艦隊旗艦となるのは極めて珍しい記録。戦艦「金剛」のレイテ海戦後本土回航時の護衛(台湾海峡にて被雷沈没)や空母「信濃」の回航時(潮岬沖にて被雷沈没)や戦艦「大和」の沖縄水上特攻作戦坊ノ岬沖海戦。航空機約400機の猛攻を受け艦隊10隻中帰還4隻のみ)に同行するも全てほぼ無傷で帰還した(「涼月」(大破)、「冬月」(中破)、「初霜」(無傷)と共に)。

呉軍港空襲の際、雪風は稼働可能な状態であったため軍港内を走り回って攻撃を回避しながら敵機を2機撃墜した(この頃の米軍機を撃墜するのは艦艇では至難の技だったのでこの戦果は大きかった)。

雪風の武名は海軍内で有名であり、各艦隊とも雪風が作戦に共同するときは士気が上がったという。同様の幸運艦には呉の雪風 佐世保の時雨と謳われた「時雨」(スリガオ海峡海戦での西村艦隊唯一の生存艦、昭和20年1月戦没)や「瑞鶴」(エンガノ岬沖海戦にて戦没)もあったが終戦まで幸運が続いた例は希有であった。一方で常に雪風の損害が軽微だったのに対し僚艦は大破・沈没して多数の戦死者を出すことが多かったため、雪風を「死神」と呼んで同航することを嫌がる他艦の乗組員も多かったという話も残っている。

なお、戦争後期には、50口径三年式12.7cm連装砲のうち、2番砲塔(艦尾側)を撤去して九六式二十五粍高角機銃3連装2基を設置するなど、九六式二十五粍高角機銃(3連装、単装)がハリネズミのように増設され、対空装備の強化が図られた。

電探(レーダー)は前部マストに対水上用22号、後部マストに対空用13号を装備。実戦での有効性の確認や各種データを取るために、日本海軍としてはかなり早い時期から装備されていた。雪風が電探の試験搭載艦に選ばれたのは「沈没による収集データ喪失の危険性がないから」だと言われている。

敗戦後は武装を全て外されたものの、復員輸送艦として活躍。この活躍により、祖国の土を踏んだ将兵は1万3千人以上にもなるという。その中には後に漫画家として有名となる水木しげるもいた。

『雪風』の武勲は戦後も高く評価され、戦後国産護衛艦はるかぜ型護衛艦」の2番艦は「ゆきかぜ」と命名されるなど、海上自衛隊でも伝承されている。(「ゆき」が艦名に拝領される艦は幸運艦との験担ぎが生まれ、海上自衛隊でもっとも量産された艦は「はつゆき型護衛艦」である。)

「丹陽」として

復員輸送の任務を終え、戦時賠償艦として連合国へ引き渡される事となったが、乗組員たちは自棄になって手を抜く事をせず、最後まで入念に整備し、連合国側から「敗戦国の軍艦でもかくも見事に整備された艦を見た事が無い。まさに驚異である」と感嘆され、乗組員は米海軍から感状を授与されたという。

1947年7月6日、賠償として中華民国に引き渡された雪風は「丹陽(タンヤン)」(DD-12)と名を改め、駆逐艦ながら中華民国艦隊旗艦として迎えられた。「丹陽」とは中国江蘇省の小都市名であるとともに、字義通り「赤い太陽」の意味でもあり、大日本帝国海軍由来の艦艇であることを堂々と示唆していることをみても、中華民国海軍が相応の敬意を払って自軍に受け入れたことは想像に難くない[1](この事は司馬遼太郎のエッセイにも記述されている)。

国共内戦の国民党軍の敗北に伴い、その他の艦艇とともに台湾に逃れ、引き続き中華民国海軍所属として第一線で活躍した。1964年12月に行われた観艦式では雄姿を見せたが、機関の老朽化によって1966年11月16日付で除籍された。

旧乗員が中心となって結成された「雪風保存会」などの活動もあり、「最後の日本海軍艦艇」の日本への返還が希望され、実現一歩手前までこぎつけたとも言われるが、台風による浸水で損傷した為に不可能になり、1970年に解体された。1971年12月、中華民国政府より舵輪と錨のみが返還され、舵輪は江田島の旧海軍兵学校・教育参考館に、錨はその庭に展示されている。

なお、雪風は引き渡し時には武装撤去の状態であったが、再武装化に対し、中国国民党軍は接収した旧日本軍の台湾などに残った火器による、九六式二十五粍高角機銃から始め、後部の2番、3番砲塔を九八式10センチ高角砲に、前部の1番砲塔は八九式12.7センチ連装高角砲 に独自な形状の砲塔を付いて装備している。その後弾薬補給の問題から米国式の砲に換えられている。米国式に換装後の武装は、オープントップの38口径5インチ単装両用砲3基(本来の主砲砲塔の位置に搭載)、オープントップの50口径7.6センチ単装両用砲2基(本来の魚雷発射管の位置に搭載)、ボフォース40ミリ連装機銃4基8門(初期)ボフォース40ミリ単装機銃10基10門(後期)、爆雷投下軌条となっている。

雪風 1939年12月

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産卵控えハクレン、集団でジャ~ンプ!

2010年07月02日 14時53分21秒 | 社会・経済

7月1日9時17分配信 読売新聞

産卵控えハクレン、集団でジャ~ンプ!
拡大写真
跳びはねるハクレン(30日、埼玉県久喜市で)
 『埼玉県久喜市の利根川で30日、大型淡水魚ハクレンの群れが相次いで跳びはねる産卵期特有の現象が見られた。地元では初夏の風物詩ともなっている。 中国原産のコイの仲間で、成魚の体長は約1メートル。この時期、生息する茨城・霞ヶ浦などから利根川をさかのぼり、旧栗橋町付近で産卵。産卵前になると、音や震動に驚いて跳びはねると言われている。 水かさが増し、水が濁り、水温が上がるのが条件とされており、前日の雨で増水したこの日は絶好の“ジャンプ日和”。期待通りの集団ジャンプが始まると、集まった住民らは歓声を上げたり、カメラを向けたりしていた。同市栗橋東の長谷川清さん(74)は「巨体が次々と宙に舞う光景はいつ見ても圧倒される」とうなっていた。』
跳びはねるハクレンは、利根川の風物詩ですね。大型淡水魚ハクレンの群れが相次いで跳びはねる産卵期特有の現象を見て、自然と季節を知る。季節感が無くなったと言われている今の日本では貴重なハクレンのジャンプする姿です。「確実な自然繁殖が確認されているのは利根川霞ヶ浦水系のみである。」ハクレンが生息するのに適した気温と水質、自然環境が利根川霞ヶ浦水系に適していたと思われますが。跳びはねるハクレン風物詩も利根川水系の漁業者には今や厄介者となりハクレンやアメリカナマズの外来魚を特産品に育てようという動きが広がっている。戦時下の食糧確保の為に輸入、放養われて来た戦前の置き土産です。ハクレンは、中華料理店や東南アジアのエスニック料理店に引き取って貰い、専門の料理研究家に本場の料理法も教えて貰ったらどうでしょうか。川魚は特有の臭みが有り、調理の方法に工夫が必要です。ハクレンに限らず日本の川魚離れも独特の臭みを除く為に料理法が各地で工夫されていると思います。養殖の鮎や鯉よりも天然の鮎や鯉のほうが食べる人間に取っても寄生虫が少なく、泳ぐすばしこさ元気さも違うと専門家は言います。ハクレンばかりが増え、利根川に棲む在来種のヘラブナや鯉、ワカサギ公魚が減り、漁協の漁師の皆さんに取っては厄介者になっていますの、で困っておられますので、官民による「北総地域水産資源研究会」でハクレンの中華料理店やチェーン、ストアや東南アジア料理店への販売ルートの開拓やハクレン料理の開発に力を入れて町おこし、地域活性化に役立てて下さい。ハクレンも鯉の一種、鯉の取れる琵琶湖の有る滋賀県では目出度い祝い事鯉が使われていましたので、ハクレンに肖って飛び跳ねて今の日本の不況下の地域経済疲弊と地域格差を吹き飛ばして下さい。
『厄介魚ハクレンで特産料理…千葉
ハクレンのフライ好評 栄町 利根川水系で漁業者の厄介者となってきたハクレンやアメリカナマズの外来魚を特産品に育てようという動きが広がっている。 千葉県栄町では、役場と商工会、漁協が町おこしに役立てようと、ハクレンを使った創作料理を考案。捨てられるだけだった魚の活用に注目が集まる。 利根川支流の長門川。印旛沼漁協の漁師、小見美朗さん(56)が川岸沿いに刺し網を仕掛けると、川魚とは思えない体長1メートル超の魚体が続々とかかった。ハクレンだ。約2時間の漁で、狙いのヘラブナは約100キロ。一方、丸々と太ったハクレンは1トン近くに上り、ボートの上に山を作った。小見さんは「これがブリだったら、いくらになるんだろう」と苦笑いした。 ハクレンはコイ科で、産卵時の大ジャンプで知られる。中国などアジア大陸が原産だが、昭和初期に食用として持ち込まれ、在来種をしのぐ勢いで大繁殖している。しかし、肉の臭みが敬遠され、漁獲しても、「川底に沈めるか、陸に捨ててタヌキのえさにする」(小見さん)と、処分の対象。漁の手間を増やし、時には魚網を破る漁業被害の“犯人”でもあった。 しかし、中国や東南アジアではポピュラーな食材。処分したハクレンを、東南アジア系の外国人が大量に引き取っていったこともあった。小見さんや副業で漁を営む後藤朝夫さん(55)らは、「ハクレンに多少でも値がつけば」とこれに着目し、昨年3月には官民による「北総地域水産資源研究会」が発足した。 切り身の見た目はブリに似ているが、独特の臭みは「しょうゆやみそじゃ太刀打ちできなかった」(後藤さん)という。試行錯誤の末、東南アジア料理を参考に、肉をミンチにし、ニンニクなど香辛料を混ぜ合わせたフライを開発。昨年11月、栄中学の生徒も参加した試食会で、スナック風の味と食感が好評を得た。 同会は同町のキャラクターにちなんで「ドラムフライ」と名付け、改良を進めた上で、将来は地元の食品工場で生産に移り、地元の学校給食や弁当業者のメニュー採用を働きかける構想だ。一方で、大手調味料メーカー「日本食研ホールディングス」千葉本社(栄町)にも研究を依頼し、臭み取りなど調理法の開発に取り組んでいる。後藤さんは「利根川水系の特産だった川魚離れが進んでいる。取り組みがこの傾向を変えるきっかけになれば」と話している。
◆アメリカナマズ、千葉県が研究 茨城県の霞ヶ浦沿岸で食用化研究が進むアメリカナマズについても、県は昨年春から、取り組みをスタート。 利根川水系の県内水面漁連に漁獲を委託、くせ者だった表皮のぬめりと臭みを除き、調理にこぎつける研究を進めている。』2010年2月1日  読売新聞

栗橋町観光協会HPwww.ktr.mlit.go.jp/tonejo/<wbr></wbr>shiryoukan/museum/04_hakuren/04_hakuren.html より引用 ここから本文です

  • 栗橋町の歴史・文化を語るとき欠かすことの出来ない川。 ... (栗橋町観光協会HPより) ... 町の観光協会にもハクレン情報を求めて連日の問合せ。 ジャンプや産卵には水温、水位、水の濁りなどが深く関係しており、こうした ...

栗橋町の歴史・文化を語るとき欠かすことの出来ない川。それが日本一の流域面積と大自然を誇る利根川。
 そして利根川には、唯一この川でしか自然繁殖しない中国原産の巨大魚がすんでいるのをご存知ですか?
 その名はハクレン!!栗橋町の初夏に感動(騒動?)をもたらす体長1mを超える巨大魚です。

力強く跳ね上がるハクレン
(栗橋町観光協会HPより) 引用
 利根川には戦時下の食糧源確保を目的に昭和18年と20年に輸入・放養され、これが繁殖の起源となっています。中国大陸以外では産卵しないと思われていましたが、流域面積の約7割を平野部が占め、故郷の大河「揚子江」に似た雄大な流れを有することから、国内では利根川でのみ天然繁殖することが出来たと考えられています。
 栗橋町流域は、30~50万匹と推定されるハクレンたちの中心的な産卵場所。一匹の雌に数匹の雄が絡みつくようにして行われる特有の産卵光景もさることながら、人々の最大の関心事は産卵前に見せる数十から数百匹に及ぶ集団での大ジャンプ! この光景は見る者を魅了し、言葉を失うほどの迫力。
 何故跳ぶのか、はっきりしたことは解っていませんが、振動や騒音、水中の障害物などに驚き、1匹が跳ぶと連鎖的に集団で跳ぶと考えられています。
 ハクレンが産卵期を迎える6~7月。
 町では恒例となった産卵日当てクイズの実施を皮切りに栗橋駅内にも模型やパネルの展示が施され、ハクレンモードに突入。
 時を同じくして1m以上も宙に舞う姿を「一目見たい、カメラに収めたい」と栗橋地内の利根川堤防には町内はもとより県内外からも多くの人々が訪れます。

 町の観光協会にもハクレン情報を求めて連日の問合せ。
 ジャンプや産卵には水温、水位、水の濁りなどが深く関係しており、こうした情報はHP(http://www3.ocn.ne.jp/~kurihasi/)でも提供しています。
 担当職員も常に最新の情報収集に追われ、朝に夕に川面と睨み合いの日々。地道な観測活動を行うも、対するは自然の営み。意表を突くハクレンの行動に翻弄されることもしばしば。100%の確信を持って「今日は跳びます!」と断定的にお答えできないのが辛いところです。

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ハクレン
Hypophthalmichthys molitrix.jpg
ハクレンの稚魚
分類
: 動物界 Animalia
: 脊索動物門 Chordata
亜門 : 脊椎動物亜門 Vertebrata
: 条鰭綱 Actinopterygii
上目 : 骨鰾上目 Ostariophysi
: コイ目 Cypriniformes
: コイ科 Cyprininae
亜科 : アブラミス亜科 Abramidinae
: ハクレン属
Hypophthalmichthys
: ハクレン H. molitrix
学名
Hypophthalmichthys molitrix
(Valenciennes, 1844
和名
ハクレン
英名
Silver carp
Hypophthalmichthys molitrix adult.jpg

ハクレン(白鰱、Hypophthalmichthys molitrix)は、コイ目コイ科アブラミス亜科に分類される中国原産の淡水魚。いわゆるレンギョの一種で、古くから中国で養蚕とリンクした養殖システムで食用とされてきた中国四大家魚のひとつでもある。

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分布

中国全国の各水系に広く分布しており、中上層で活動する。日本には1878年に最初に持ち込まれ、1942年に本格的に移入された。現在では本州九州に分布する帰化動物。ただし、確実な自然繁殖が確認されているのは利根川霞ヶ浦水系のみである。世界的にはユーラシア大陸東部の他にも、アメリカミシシッピ川水系などに定着している。

特徴

白波を立てて飛び跳ねる、産卵期の豪快な集団大跳躍がよく知られ、中国では「跳鰱」という別名もある。

最大で130cm以上にもなる大型魚で成長が早い。日本産のものは100cm程度までのものが多いようである。は細かく、体色は白銀。下顎が発達した受け口で、眼は顔のかなり下の方に付く。非常にアンバランスな、まるで上下逆のような特徴的な面構えであり、地方によってはシタメとも呼ばれる。普段は河川下流域の上層から中層に群れを作ってゆっくりと回遊している。

餌となるのは主に植物性プランクトンで、摂取する際には上流を向いてエラを開閉させ、水を吸い込みながら濾し取って食べる。このような採餌方法のため、成長と共にエラにある鰓耙(さいは)が発達して海綿状となる。

繁殖行動

5歳以上になって性成熟した成魚は、産卵期(5月下旬-7月中旬)に川の中流域まで一斉に遡上して集団での産卵を行う。利根川では埼玉県側で久喜市旧栗橋町付近、茨城県側で古河市五霞町付近の流域にあたる。

毎年、産卵直前に観察できるハクレンの跳躍の原因は、音や振動などをきっかけにしているようだがはっきりとわかっておらず、産卵行為との因果関係も解明されていない。巨大な魚体が何十、何百と競うように飛び跳ねる様は圧巻であるが、観察できるのは1年の内たった1日か、せいぜい数日である。期日も不定で年によっては1ヶ月以上前後するため、簡単には見ることができない。この集団跳躍の後日に産卵が行われることが多く、雌は産卵をしながらほとんど動かずに水流に身を任せて流下し、そこに数匹の雄がまとわり付いて放精する。

産卵直後は1.5-2mmほどしかない卵は吸水して5mmほどになり、浮遊しながら川を下って約2日後に孵化する。これは中国の大河なら何も問題はないが、流域面積の狭い河川では孵化までに受精卵が海に放出されるか、孵化直後の仔魚にとって不利な水域で孵出してしまう。このため、日本のほとんどの河川で繁殖できないと考えられている。日本では唯一、利根川が自然繁殖の確認できる河川で、ここでは産卵2日後にちょうど霞ヶ浦や北浦付近に差し掛かるため、仔魚がそういった止水域に入り込むことができるためである。

利用アオウオソウギョコクレンと共に中国の「四大家魚」と称される。中国では中華料理の食材として一般的で、各地で養殖され、販売されている。小骨が多いが、淡泊な味で、蒸し魚唐揚げスープなど、各種の料理に用いる。四川の名物料理「水煮魚」(魚の唐辛子煮)、「酸菜魚」(青菜の漬け物と魚の鍋料理)には本種を用いることが多い。

日本にも当初は食用目的で移入されたが、他に選択肢の多い日本では普及しなかった。湖沼富栄養化の原因のひとつでもあるアオコも食べるため、かつてはアオコ除去の目的で日本各地に放流された。一般的にはあまり釣りの対象とはならないが、その魚体の大きさゆえに、ゲームフィッシングの対象とする釣り人もいる(外部リンク参照)。

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