教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

どろんこバンザイ 伊勢市立有緝小学校 三重

2010年07月25日 15時30分07秒 | 受験・学校

2010年7月23日

写真どろんこになりながら綱引きを楽しむ児童ら=伊勢市神久4丁目

 『伊勢市立有緝(ゆうしゅう)小学校www.ise-mie.ed.jp/~yuusyu-e/<wbr></wbr>cgi-bin/topics/topics.cgi )の1年生97人が、近くの休耕田を借りてどろんこを体験する授業をした。児童たちは水着姿で水田に入り、全身で泥の感触を楽しんでいた。  同校では、昨年から生活科の授業として、地元農家の協力で実施している。足を取られて何度も転倒しながらも「少し気持ち悪いけど楽しい」と笑顔。クラス対抗の綱引きや駆けっこに熱中していた。 熱中していた。』 アサヒコム)

外で土に親しんで遊ぶ大切さを子供達も学んだと思います。田圃の中クラス対抗の綱引きや駆けっこに熱中して走りまわったり、転んでもドロだらけになるだけでいいんじゃ有りませんか。子供達は、塾やお稽古事に通うより、小学校の低学年の内は良く遊び、良く食べて、良く寝ることが大切で、健康で頭の良い子供に育つ三大条件ではないでしょうか。大脳生理学や医学的に喪今日証明されていて、昔からの子育ての教えは間違いなかった言えます。

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教諭が「親の死は風流」 父亡くした生徒が救済申し立て

2010年07月25日 13時35分39秒 | 受験・学校

長崎県平戸市沖で昨年4月に死者・行方不明者12人を出した巻き網漁船、第11大栄丸の沈没事故で父親を亡くした女子高校生(17)が、男性教諭の授業中の不適切な発言で体調を崩し、適応障害になったとして、県弁護士会人権擁護委員会(迫=はざま=光夫委員長)に人権救済を申し立て、受理された。家族が18日、同県佐世保市内で記者会見して明らかにした。  家族の説明によると、生徒は私立西海学園高校(佐世保市、菅沼宏比古校長)に通っている。事故からまもなく、50代男性の国語教諭が古典の授業中、古語の意味を説明する中で「親が死んだことは風流だ。人はいつ死ぬかわからんからな」と言ったという。  生徒はその後、教諭の姿を見たり声を聞いたりしただけで過呼吸の症状が現れるようになった。同年11月に適応障害と診断され、今春までほとんど通学できない状態が続いた。今月から徐々に教室で授業を受け始めている。校長と教諭は昨年9月、生徒と家族に謝罪したという。  学校側によると、教諭は昨年7月の授業で「方丈記」の無常観に触れた際、「人はいつ死ぬかわからない」と言ったと認めたものの、「風流」との発言は否定しているという。菅沼校長は「いずれにせよ配慮を欠いた発言だったのは事実だ」と話している。』 アサヒコム

この女子高校生に取って、大切な父親の死は、風流と言えるでしょうか。国語の先生としての言葉の使い方が不適切だと思います。言動には、教育者として、国語の先生として責任を持つべきです。風流の意味は、上品な趣、おもむきがあること。みやびやかなことを表しています。方丈記の無常観は、『無常(むじょう、Skt:anitya)は、この現象世界のすべてのものは生滅して、とどまることなく常に変移しているということを指す。釈迦は、その理由を「現象しているもの(諸行)は、縁起によって現象したりしなかったりしているから」と説明している。常に変化して、止まないのが釈迦の正しい教えです。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より一部引用 』「万物は常に変化し続け、変わらないものはない 」と千葉県成田市長寿院御住職篠原鋭一御老師に教わりました。この国語の先生「親が死んだことは風流だ。人はいつ死ぬかわからんからな 」と言うのは、人の痛みの分からない、女子生徒の父親を失った痛みの分からない発言です。肉親を失った者しか分からない悲しみも教育者とし考えるべきです。両親を続け失った私には良く分かります。人は何時死ぬか分かりません。この先生だって、命、寿命は神様しか分かりませんよ。無常は、無情を意味しているものではないのです。長崎県平戸市沖で昨年4月に死者・行方不明者12人を出した巻き網漁船、第11大栄丸の沈没事故で父親を亡くした女子高校生の心情を理解していないのです。漁業に携わる人の仕事の危険性を表した諺に 『板子一枚下は地獄 』と言う諺が有ります。船乗りは危険な仕事で海が荒れたり海に落 ちたりして、いつ死ぬか分かりません。漁業を生業とする仕事の厳しさや海に生きる人達の大変さを教育者とし理解していたかどうかが疑問です。御自分もお父さんを亡くされた時この女子高校生の痛みが分かるのでは有りませんか。生徒の痛みが分からない高校の先生では困ります。今人の死を人事のように思っている無慈悲な人も増えたのでしょうか。明日の事一時後事も分かりません。神のみぞ知るです。一期一会の精神で、高校の古典の授業で、方丈記の鴨長明の作品を通じて人間の命の大切さや生きると言う意味を考えて下さい。下記に千葉県成田市曹洞宗長寿院御住職篠原鋭一御老師の著書を掲載させて頂ました。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用

無常

釈尊が成道して悟った時、衆生の多くは人間世界のこの世が、無常であるのに常と見て、苦に満ちているのに楽と考え、人間本位の自我は無我であるのに我があると考え、不浄なものを浄らかだと見なしていた。これを四顛倒(してんどう=さかさまな見方)という。この「無常」を説明するのに、「刹那無常」(念念無常)と「相続無常」の二つの説明の仕方がある。刹那無常とは、現象は一刹那一瞬に生滅すると言う姿を指し、相続無常とは、人が死んだり、草木が枯れたり、水が蒸発したりするような生滅の過程の姿を見る場合を指して言うと、説明されている。この無常については、「諸行無常」として三法印四法印の筆頭に上げられて、仏教の根本的な考え方であるとされている。なお大乗仏教では、世間の衆生が「常」であると見るのを、まず否定し「無常」であるとしてから、仏や涅槃こそ真実の「常住」であると説いた。これを常楽我浄と言うが、これについては大乗の大般涅槃経に詳しい。日本人と「無常」「祇園精舎の鐘の声」で始まる軍記物語『平家物語』、吉田兼好の随筆『徒然草』、「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」で始まる鴨長明の『方丈記』など、仏教的無常観を抜きに日本の中世文学を語ることはできない。単に「花」と言えばサクラのことであり、今なお日本人が桜を愛してやまないのは、そこに常なき様、すなわち無常を感じるからとされる。「永遠なるもの」を追求し、そこに美を感じ取る西洋人の姿勢に対し、日本人の多くは移ろいゆくものにこそ美を感じる傾向を根強く持っているとされる。「無常」「無常観」は、中世以来長い間培ってきた日本人の美意識の特徴の一つと言ってよかろう。

Yahooのベストアンサーより引用

方丈記「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず、よどみに浮かぶう...http:// detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/<wbr></wbr>question_detail/q127408297

monofdsaさん

 『方丈記
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず、
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし」

どういう意味ですか?

  • 質問日時:
    2006/2/4 22:54:25
  • 解決日時:
    2006/2/9 10:33:08
  • 回答

one_aristocratさん

川の流れは、とどまる事はない。
しかも、流れる水は同じ水ではない。
水の淀みに浮かぶ泡沫(あぶく)は、消えてはまた現れ、永遠にそこに存在するものではない。
多少、意訳しましたが、万物は常に変化し続け、変わらないものはない、という意味です。
その後に出てくる「世の中にある、人と栖と、またかくのごとし」以降につながります。

人の世の中も同じようなもので、富貴名誉享楽とかいったものは、その場限りのものである。方丈記「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず、よどみに浮かぶう...

monofdsaさん

方丈記
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず、
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし」

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全身マヒの憲法学者に博士号 立命館大、要望受け授与

2010年07月25日 11時12分54秒 | 受験・学校

2010年7月25日10時11分

写真:入院先で車いすに横たわったまま博士号を授与される鳥居喜代和さん。妻の美門さん(左)、水島朝穂・早大教授(左から2人目)らが見守った=24日、札幌市清田区
入院先で車いすに横たわったまま博士号を授与される鳥居喜代和さん。妻の美門さん(左)、水島朝穂・早大教授(左から2人目)らが見守った=24日、札幌市清田区

 『ドイツ・ワイマール憲法や生存権の研究で知られ、今は脳障害で寝たきりの状態が続いている憲法学者の鳥居喜代和(きよかず)・札幌学院大www.sgu.ac.jp/law )元教授(58)に24日、母校の立命館大学www.ritsumei.jp/index_j.html )から特別博士号が授与された。  鳥居さんは12年前、過労による脳出血から倒れ、一時回復したが3年前に再度発症して寝たきりに。倒れる前に自分の論文をファイルにまとめており、かつて札幌学院大で研究生活をともにした水島朝穂・早稲田大教授(57)らが「憲法的価値の創造 生存権を中心として」の題で本にまとめ、日本評論社から出版した。立命館大は、本人が病気などで明確な意思を示せなくても、関係者の要望で業績を評価できるよう規定を整備し、「大学をあげて思いに応えた」という。 この日は、立命館大の倉田玲(あきら)・前副法学部長が札幌市内の入院先を訪ね、鳥居さんに博士称号記を手渡した。「よかったわね」と妻の美門(みかど)さん(59)が耳元で語りかけると、鳥居さんは目を見開いた。水島教授も同席し「今こそ生存権の理論が求められているんだ」と声をかけた。  26年前、「地域に根ざした法学部を創(つく)る」との理念のもとに全国各地から札幌学院大に研究者が集まり、その中に鳥居さんと水島教授もいた。水島教授は、ワイマール憲法で普及した社会権・生存権を深く分析した鳥居さんを高く評価。入院後も鳥居さんを何度も見舞った。鳥居さんは全身マヒと意識障害に苦しみながらも、語りかけると顔を紅潮させたり、目を見開いたりする。水島教授は、鳥居さんに何度も語りかけながら論文集の編集を進め、学位申請を立命館大とかけあった。 』2010年7月25日アサヒコム

憲法学者の鳥居喜代和(きよかず)先生、特別法学博士御取得おめでとう御座います。早稲田大学法学部水島 朝穂www.waseda.jp/hougakubu/main/<wbr></wbr>faculty/f_mizushima_asaho.html ) 教授御専門は憲法学、(法政策論、平和論 )の研究者同士の心暖まる友情です。憲法学者の鳥居喜代和(きよかず)先生、御研究分野の生存権の御論文が社会に生かされ、御本人自身のこれからの生きる糧になられると思います。立命館大学も、本人が病気などで明確な意思を示せなくても、関係者の要望で業績を評価できるよう規定を整備し、「大学をあげて思いに応えた」と言うのも日本国憲法の精神に基づいた画期的な博士号授与制度と思います。鳥居喜代和(きよかず)先生の御健勝と御回復を心からお祈り申し上げます。

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