■「弥勒の世」の弥勒菩薩さんに共鳴する数字のサインとして
“123”という3つ並びの数字を、意図的にではなく
偶然を装うかのように、さりげなく、それでいて、
頻繁に見掛けてゆくようになるでしょう。
信じるか信じないかはあなた次第です。
2011年5月15日12時3分アサヒコム
放課後、吹奏楽部員とともにトランペットの練習をする佐々木瑠璃さん=13日、岩手県大船渡市、森井英二郎撮影
4月11日、岩手県陸前高田市の自宅跡で、海に向かってZARDの「負けないで」を吹いたあと、祖母が買ってくれたトランペットを抱きしめる佐々木瑠璃さん(17)。この写真が12日付の朝日新聞(東京本社発行)に載った=森井英二郎撮影
震災から1カ月後の4月11日、津波に流された岩手県陸前高田市の自宅跡に立ち、トランペットを奏でる少女がいた。その少女が東京都内で今月20日に催される被災地支援のチャリティーコンサート「故郷(ふるさと)」に招かれた。鎮魂の曲は、あの日、がれきに囲まれながら天国の母らに捧げたZARD(ザード)の「負けないで」。
岩手県立大船渡高3年の佐々木瑠璃さん(17)は、母宜子さん(43)と祖母隆子(りゅうこ)さん(75)、叔母、いとこを亡くした。祖父廣道(こうどう)さん(76)は今も不明。「私は元気。心配しないで」。自宅跡で海に向かい、泣きながら旋律に託した。
翌日の朝日新聞(東京本社発行)に載った涙を拭きながら楽器を抱きしめる写真を、東京フィルハーモニー交響楽団のトランペット奏者安藤友樹さんらが見た。宮城県石巻市出身でコンサートの呼びかけ人。「写真から悲しい音色が聞こえるようだった。何かのきっかけにしてほしくて」と出演を依頼した。 コンサートに参加するのは、被災地出身者を中心としたプロばかり。最初、瑠璃さんは戸惑った。「私で大丈夫かな」。でも、数日考えて心を決めた。「津波の怖さ、被災者の悲しみが一人でも多くの方に伝わるのなら」と。 3月11日午後2時46分。 瑠璃さんは学校で吹奏楽部の練習中だった。教室の天井が落ち、校庭へ逃げた。3時21分、宜子さんから携帯電話にメールが届いた。「落ち着いて。あなたはそこにいなさい」 家族が迎えに来た生徒から下校が始まった。瑠璃さんの自宅は海岸から2キロ近く離れていたから、津波は届かないと信じ切っていた。「お母さん、早く来ないかな」 体育館で一夜を明かし、翌日の昼過ぎ、親戚が迎えに来た。「家族は」と尋ねると、言葉を濁された。 親戚宅で待っていたのは、父の隆道さん(48)。自宅2階にいて家ごと流され、窓から投げ出された。流れる畳にしがみつき、がれき伝いに高台へ逃れた。頭と左目は包帯でぐるぐる巻き。ぽつりと言った。「母さんが見つからないんだ」 市嘱託職員の宜子さんは、避難所となっていた市民会館で被災者の世話をしようとした時、濁流にのまれた。
「現実を受け入れられなくて」と瑠璃さん。空っぽの心で天井を見つめる夜が続いた。3月16日に宜子さんの財布、翌17日に遺体が見つかった。布団に潜ると涙が止まらなくなった。
29日に火葬が終わった。気持ちに区切りをつけるため、宜子さんが好きな「負けないで」を遺骨に聴かせようと思い立った。
「私はホルンを吹いていたのよ」。瑠璃さんが9歳で小学校のバンドに入ってトランペットを始めると、宜子さんはうれしそうだった。今も使う楽器はその時、祖母の隆子さんが「ずっと続けてね」と買ってくれたものだった。 2人は演奏会に熱心に来てくれた。「すごくよかった」「次も頑張ってね」。演奏が終わると、宜子さんは必ず声をかけてくれた。 身を寄せる親戚宅から自転車で往復3時間かけ、学校へトランペットを取りに行った。久しぶりに吹いた音色は「初心者みたいにフラフラ」。これでは聴かせられないと、練習して迎えた4月11日だった。 最近、やっと寝つけるようになった。徐々に、こう思えるようになった。 「亡くなった幼なじみがいる。両親を失い、転校した友人がいる。それに比べれば、私なんて……。この体験を語り継ぐ責任があるような気がするんです」 参加を決めたコンサートも「お母さんたちが用意してくれた舞台なのかも」。 将来は医師になりたいという。「最初は獣医師に憧れたけど、今の目標は救命救急医。人の命を助ける仕事をめざします」 コンサートは新宿区の東京オペラシティで、午後7時開演。入場料5千円。収益は被災地の学校への楽器提供などに充てられる。問い合わせは実行委員会(03・5449・1331)へ。(中川文如)
今月20日に催される被災地支援のチャリティーコンサート「故郷(ふるさと」の御成功を心からお祈り申し上げます。天国からお母さんが瑠璃さんを見守っていて居られますよ。頑張って下さい。
ザードの負けないで!を皆さんに御贈り申し上げます。
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YouTube: 負けないで for HD
2011年5月15日 ... その少女が東京都内で今月20日に催される被災地支援のチャリティーコンサート「故郷 (ふるさと)」に招かれた。鎮魂の曲は、あの日、がれきに囲まれながら天国の母らに 捧げたZARD(ザード)の「負けないで」。 ...
『 宮城県岩沼市は、がれきを利用し、高さ10メートル以上の丘を沿岸部に築く方針を固めた。 津波の破壊力を弱めるのが狙いで、16日の市震災復興本部会議に提示する。 市によると、がれきのコンクリート片や土砂を使って、市街地を南北に流れる運河「貞山堀」と、海岸の間に複数設ける。総延長は6~7キロ・メートルになる見通し。丘には松や桜などを植えて、展望台として観光にも活用する考え。整備費については「ネーミングライツ」(命名権)なども利用して民間の資金も活用する。今回の津波で同市は、総面積の48%が浸水。14日現在で178人の遺体が収容され、6人が行方不明となっているほか、がれきも10万立方メートルに上っている。』読売新聞 5月16日(月)3時2分配信 最終更新
処理に困っているがれきの再利用による高さ10メートル以上の丘を沿岸部に築く方針を固めたのは良い方法ですが。15メートル以上の高さが無いと大津波は防げないのではないでしょうか。 がれきに含まれる有害物質が溶け出して海に流れでないか、安全性の問題を如何するかを考えないとせっかく高さ10メートル以上の丘を沿岸部に築いても漁業や環境汚染に繋がらないかと言う問題も出て来ます。がれきが未だに片付けられず、瓦礫の処分問題で被害を受けた東北三県は困っていますので各県での有効利用は必要です。
『京都府綾部市教委は15日、市立東八田小の校長(59)が、同校の教室で女子児童のスカート内を盗撮していた、と発表した。 校長は認めているという。市教委から報告を受けた府教委は「言語道断の行為」として、近く処分する。 発表では、校長は11日午後、授業後の高学年の教室で、下校準備をしていた女児の後ろにしゃがみ込み、私物のデジタルカメラで盗撮したという。教室には担任も含めて約10人がおり、複数の児童が目撃。13日夜、うち1人が保護者とともに市教委に訴えた。 市教委が14日、校長に事情を聞いたところ、問題の行為を否定したが、デジカメに、消去された画像が34枚あることが判明。スカート内を写した2枚が復元され、校長は事実を認めた。その後、別の21枚も復元され、全て同じ女児が写っていた。』読売新聞 2011年5月16日(月)10:25
後1年で無事定年ですし、なぜ教室で女子児童のスカート内盗撮するような事件を起こしたのでしょうか。校長職なら、定年後の再就職も有利です。禍福は糾える縄の如し、かふくはあざなえるなわのごとしと昔からの諺に有ります。教員の管理職の校長先生が、このような事件を起こしたら児童や保護者からの小学校と管理職の校長先生への信頼関係が失われます。校長先生も管理職ですが、教育者と言うことを忘れていますし、教育者としてモラルの問題と思います。
日本語辞典より引用
[禍福は糾える縄の如し]
人の世の幸不幸や運不運は、まるでより合わせた一本の縄のようなものであり、災い転じて福になったり、その福が災いの原因になったりするものだ、というたとえ。⇒ 「吉凶は糾える縄の如し」
市の名前の由来にもなった、古来の製法による藻塩(もしお)づくりが16日、宮城県塩釜市で再開された。まろやかな風味が特徴で、地元のすし屋やパン屋、菓子店などが待ちわびていた。 この日は、塩釜沖で採った2トンの海水を藻に浸透させ、長さ4メートル、幅2メートル、深さ約40センチの耐火れんがで囲まれた大きな釜に入れた。もうもうと湯気の立つ釜で、あくをとる作業を続け、2日がかりで30キロほどの塩をつくる。 再開したのは、2年前に市民グループが立ち上げた合同会社「顔晴(がんば)れ塩竈(しおがま)」。塩釜の塩を特産品にしようと研究、古来の製法による藻塩を復活させた。「塩竈の藻塩」として知られている。 市内の作業所や事務所は津波で浸水した。釜は無事だったが、電気系統が使えなくなった。原発事故による海水の放射能の影響が追い打ちをかけ、塩づくりを中断していた。 しかし、市内の得意先やボランティアグループが事務所から泥を出すなどの片づけをし、新たに機械を買い替えるなどして塩づくりの準備を進めた。11日には県が海水の調査をし、問題がなかったことで再開を決めた。最初の塩は、市内のかまぼこ屋やすし屋などに出荷される。 総括社員の及川文男さん(63)は「復興に向けて、誰かが先にやらないと続く人もいない。塩釜の復興につなげたい」と話した。』
海水から作った自然塩は、ミネラル豊富で健康には良いそうです。宮城県塩釜市の名前の由来になっている塩釜は、地元人の人は、以外は知らなかった人もいたと思います。みんなの力で古来の製法による藻塩づくりが復活出来て本当に良かったですね。関西地方でも大手のイオンスーパーで販売していました。顔晴(がんば)れ塩竈(しおがま)」の元、古来の製法による塩を塩釜市復興と皆さん方の為に作って下さい。
塩竈の藻塩販売やラーメンの通販. ... 合同会社 顔晴れ塩竈は塩竈の藻塩を販売してい ます。 塩竈の藻塩(しおがまのもしお) 合同会社 顔晴れ塩竈 ( がんばれしおがま ) Tel.& Fax.022-367-6539|営業時間 平日(月-金) 9:00-17:00
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お知らせ
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Naoto Amaki
- 2011年05月16日
- 普天間問題の裏切り者たち new!!
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2011年05月16日
普天間問題の裏切り者たち
今日(5月16日)発売の週刊ポスト5月27日号に「ウィキリー
クスが暴いた普天間問題の裏切り者」という特集記事がある。
これは見逃せない記事だ。
この国の政治家、官僚、大手メディアがスクラムを組んで、沖縄
県民はもとより日本国民を裏切っていたことを、ウィキリークスが
暴露した米外交公電をもとに明らかにしている。
やっとはじめてウィキイリークスの価値を見せてくれた報道を目に
した思いだ。
本来ならば朝日新聞こそこのような記事を、真っ先に書く立場に
あったのだが、朝日の記事からは怒りは伝わってこない。
この日米交渉に携わっていた外務官僚が、あるものは駐米大使になり、
またあるものは次官に上り詰める。
それを政治はそのまま追認し、許してしまう。朝日はそれを無批判に
報道する。
こうして日本の対米外交が繰り返されていく。
対米従属外交から抜け出せない理由がそこにある。
了
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なく、既存政党から自立し、反権力、脱官僚、脱対米従属、平和外交、
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人手・重機不足」-「広域連携 国の関与不可欠」という見出しをつけて、東日本大震災の被災地が「瓦礫の山」に埋もれている惨状を伝えている。
これに対して、朝日新聞は相変わらず、トンチンカン、チンプンカンプンな社説を書き続けている。5月15日付け朝刊の社説は、その最たるものだ。「復興基本法案 『現場感覚』で歩み寄れ」と題して、「政治のもたつきが歯がゆい」と嘆いている。ならば、どうすればいいのかについては、「菅直人首相が全責任を引き受けて、与野党を統率せよ」とでも主張するのかと思えば、そうでもない。「与野党が十分に力をあわせられないからだ。貴重な時間を空費した責任は、与野党双方にある」などと寝ぼけた言い方をしている。「与野党が十分に力をあわせられない」のは、「国家最高責任者である菅直人首相が全責任を引き受けること」であるにもかかわらず、朝日新聞論説委員ば「与野党による責任共有、ないし分担」論に立った無責任な論説を続けているのである。
ここのところに、大変大きなカン違いがある。与党は、国政の枢要を担い、そのトップである首相が、全責任を担うからこそ、政権を担当できるのであって、その責任を全うする覚悟や自信がないのであれば、下野するしかない。あるいは、与党内で新たな指導者に交代すべきである。
◆この日の社説で、さらに奇妙奇天烈なのは、国民新党の亀井静香代表の動きを批判していることだ。亀井静香代表は、菅直人首相が与野党も、官僚組織を動かせない「無能さ」を見かねて、与野党幹部が加わる「復興実施本部案」を提案、「私が竜宮城に連れて行って上げますから」と言われて、菅直人首相は、これに乗り、「お任せします。よろしくお願いします」と言い、その実現に期待していた。だが、自民、公明両党が拒否したため、頓挫してしまった。
これに対して、朝日新聞論説委員は「与野党幹部で方針を決め、内閣が従う亀井構想では、首相や閣僚の責任が不明確になる。元々無理があったと言わざるを得ない。菅直人首相は、亀井氏の誘いに乗るべきではなかった」と論じている。菅直人首相が、「全責任」を担って、強力な統率力を発揮していれば済む、簡単なことなのである。それができないのを見かねてしゃしゃり出てきただけにもかかわらず、朝日新聞論説委員にバカにれて、亀井静香代表は、「そりゃないぜベビー」と言いたいところであろう。
朝日新聞論説委員が、責任感のない菅直人首相や閣僚たちの肩を持ち、「亀井案では、首相や閣僚の責任が不明確になる」と言うのは、変である。これでは、与野党幹部の方が、菅直人首相や閣僚たちよりも、統率力や実力があるように聞こえてしまう。達磨さんが、逆立ちしたような形になるのが、よほどは心配なのだ。
だったら、どうすればいいと、朝日新聞論説委員は、考えているのか。それが、この社説では、論じられていない。「船頭多くして船山に登る」のがいいのか、それとも、「学級委員長なきホームルーム」が望ましいのか。よく分からない。もっと分からないのは、責任感もなく、統率力ない菅直人首相を支持し、弁護し続けている朝日新聞論説委員の真の意図である。
◆何はともあれ、この社説を、以下引用しておこう。
「菅内閣が、東日本大震災からの復興の理念や実行体制を定める基本法案を国会に提出した。震災から2カ月余り。阪神大震災の時の基本法に比べ、1カ月遅い提出だ。その結果、復興に臨む体制作りも遅れる。政治のもたつきが歯がゆい。直接の理由は、全閣僚が参加する『復興対策本部』を設ける基本法案に対し、与野党幹部が加わる『復興実施本部』案を亀井静香国民新党代表が提唱し、野党側に打診したことだ。結局野党側は応じず、対策本部を設ける案に戻った。与野党幹部で方針を決め、内閣が従う亀井構想では、首相や閣僚の責任が不明確になる。元々無理があったと言わざるを得ない。菅直人首相は、亀井氏の誘いに乗るべきではなかった。こんな話が出てくるのは、震災を経てなお、与野党が十分に力をあわせられないからだ。貴重な時間を空費した責任は、与野党双方にある。基本法案の審議を、出直しの一歩としなければならない。各党とも、基本法の必要性や、復興を担う組織を設けることには異論はなかろう。必要があれば与野党で修正を加え、早く成立させるべきだ。対立点のひとつは、組織のあり方だ。閣僚の合議体である本部か、各省庁と並ぶ復興庁・復興院か。そこは方針の立案や各省との調整にあたるのか、事業の実施まで担うのか。だが、それは深刻な違いだろうか。省庁の縦割りを排そうと各省をまたぐ組織を設けたけれど、組織の中に縦割りが生まれた――。霞が関ではしばしばそんな話を耳にする。どんな組織にしても、それだけで縦割りがなくなるわけではない。かぎは、復興に携わる一人ひとりが被災者の立場に立ち、『縄張りや省益にこだわっている場合ではない』と思えるかどうかにある。そのために大切なのは『現場感覚』ではないか。基本法案は、対策本部のもとに現地対策本部を置くと定めている。これを充実させ大胆に権限を委ねる。自治体と連携し、現地で即決できるようにする。本部長となる副大臣、政務官や職員はしばらく交代させず、被災地で腰を据える。後手に回りがちな状況を改めるには、そんな姿勢が必要だろう。衆院に復興や原発問題を審議する特別委員会が設置される。ここでも現場感覚が問われる。委員は被災地に泊まり込み、会議も現地で開くくらいのことをしていい。被災者の思いを肌で感じれば、足の引っ張り合いどころではなくなるだろう」
先日、予告いたしました新刊本がついに発売されました。全国一般書店にて好評発売中!
「孫の二乗の法則 孫正義の成功哲学」(PHP文庫)
板垣英憲著(←amazonへジャンプします)
ソフトバンクを3兆円企業に育て上げた稀代の起業家・孫正義。その成功の原動力となったのが、自らの人生・経営哲学を「25文字」の漢字に集約した「孫の二乗の法則」である。これを片時も忘れないことで、孫は幾多の苦難を乗り越えてきた。では、私たちが自分の仕事や人生に活用するにはどうすればいいか。その秘訣を本書では伝授する。「孫の二乗の法則」を本格的に解説した唯一の書、待望の文庫化!(本書カバーより)
本日の「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」
東日本大震災の復旧・復興の陰で、東京地検特捜部が、有名j私立大学の背任罪、補助金適正化法違反告発事件を強制捜査中だ
◆〔特別情報①〕
東日本大震災の復旧・復興に大半の国民の意識が集中しているなかで、一般的な事件やニュースが、片隅に追いやられている感が強い今日このごろである。
ところが、世の中は、様々な事件が生起している。私の事務所にも、時々、刑事事件に関わるFAXが送信されてくる。つい最近も、まだ報道されていないけれども、東京地検特捜部がタッチしている事件についてのFAXが送られてきたので、紹介しておこう。
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『平成動乱 小沢一郎の野望』1993年9月25日刊
終章 新聞・テレビ報道を裏読みする12のポイント
ポイント12 野次馬・観客席
日本人は、お祭りや事件・事故、火事場さわぎが三度の飯よりも大好きだ。連合政権VS自民の「権力闘争」をおもしろがって見ている。
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四王天延孝陸軍中将の名著「猶太(ユダヤ)思想及運動」 No.109
第七章 シオン長老會議
前回からの続き
千九百三十三年(ヒツトラー登場の年)の六月二十六日瑞西國ユダヤ協會及べルンのユダヤ人組合は訴訟を提起し・テオドル・フリッツ氏の発行した「シオン團の議定書」は文字通りの廃品であるから爾今発行禁止の命令を発布することを請求。訴へられたのは「瑞西國民戦線」及ハイマートウエール」の五名である。
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板垣英憲マスコミ事務所
2011年5月16日5時14分アサヒコム
法科大学院を修了しなくても新司法試験の受験資格が得られる「司法試験予備試験」が15日、初めて実施され、全国8カ所で6477人(速報値)が受験した。事情があって法科大学院に進めない人のために「バイパス」として用意されたルート。合格すれば、大学院修了生と同様に、来年から5年以内に3回まで新司法試験を受験できる。 15日にあったのは第1段階の短答式試験。東京(2カ所)と札幌、仙台、名古屋、大阪、広島、福岡で実施された。マークシート方式で憲法や刑法、民法などのほか、一般教養科目から出題された。 合格者は7月の論文式試験に、さらに合格すると10月の口述試験に進む。最終的な合格発表は11月10日の予定だ。司法試験法によると、「大学院修了者と同等の学識があるか」などが合格判定の基準となる。 試験結果だけで合否が決まる旧司法試験と、法科大学院修了を原則とする新司法試験は2006年度から併存していたが、昨年度で旧試験は廃止された。代わりに経済的な事情で大学院に進めない人などのために予備試験が始まった。 予備試験は、年齢や学歴などに制限はなく誰でも受けられる。受験者の属性は公表されていないが、旧試験の不合格者や「5年以内に3回まで」という制限内に新試験に合格できなかった大学院修了者、一般学生や社会人などが想定されている。大学院の現役学生でも受験は可能だ。 会場の一つ、早稲田大学(東京都新宿区)では2069人が受験した。慶応大学法学部の男子学生(22)は、検察官になるのが夢。「法科大学院に行くお金も時間も節約できる。抜け道との批判は知っており、大学院には進もうと思うが、それでも予備試験は受け続ける」と話した。 都内の会社員の男性(44)は、旧試験に5回失敗して予備試験に希望をつないだ。「弁護士になりたいが、妻も子もいて大学院に行く余裕はない。誰でも受けられる仕組みは残した方がいい」と語った。』』
果たして新司法試験の制度は良かったのか。法科大学院の新司法試験の合格率が低い法科大学院も有り統廃合が問題になっています。新司法試験に合格しても弁護士としての就職口が軒先弁護士も誕生しています。旧司法試験の方が、司法試験、公認会計士、国家一種公務員試験の三大難関試験で合格率が低いと言われても、法曹界を希望者の幅広い人達に司法試験受験の機会均等が保障されていたのではないでしょうか。アメリカのロースクールの真似するよりも日本の社会に適合した新司法試験制度なのか考え直す必要が有るのではないでしょうか。法科大学院に進学するには費用が要り、デフレから脱却していない不況下の日本で法科大学院進学は経済的負担も重いと思います。法曹界の幅広い人材を養成することに本当に繋がっていたかどうか疑問です。今後司法予備試験は、抜け道と揶揄せずに法曹界を希望者する人達や法学部以外の出身者にも受験の機会均等を保障して行くべきではないでしょうか。 日本の社会で、果たして毎年弁護士を増やしても訴訟ばかりが増えるアメリカのような権利社会に日本がなって良いかどうかと言う問題も有ります。旧司法試験の場合、在学中司法試験に合格した有名大学の優秀な法学部の学生も出ていました。法科大学院の設置は、各大学法学部の生き残りを掛けた大學側の重要な経営戦略で社会的評価の上昇に繋がる考えられたと思います。法学部6年制で、法曹人口過剰時代がやって来ると言うことは当然始めに予想出来たことと思います。
2011年5月14日16時4分
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カバヤ食品(岡山市北区)の宣伝カー「カバ車」に、恋人「カバ車・ガールフレンド」ができた。ただ、このカップルにはまだ名前がない。同社は31日まで、すてきな愛称を募集している。 初代カバ車が活躍したのは、1950年代。「トヨペットトラック1000cc」を改装した15台が52年から全国を回り、「どの子もよい子」の歌を流しながらキャラメルをPRした。しかし、テレビの普及で59年に廃止された。 その復活は2006年。幼い頃、カバ車を追いかけた経験があるというファンが寄せた一通のメールがきっかけだった。兵庫県尼崎市の工業高校長だった内藤康男さん(62)で、生徒にカバ車を製作させたいと提案。カバヤ食品は、創業60周年の記念事業として受け入れることを決め、改装費を負担した。 06年11月に完成したカバ車はトヨタのエスティマを改装した赤で、車体前部に目と耳を付けた。全国の幼稚園や動物園、スーパーを回って人気者になり、1台では足りなくなった。そこで、姫路市の日本工科専門学校長に転じていた内藤さんに新しいカバ車の製作を依頼した。 2台目は、同じ車ではなくカバ車の恋人と設定。トヨタのエスティマハイブリッドを改装し、ふっくらした女性らしい形で、屋根に水玉柄のリボンを付けた。しっぽが動き、左目がウインクする仕組みもある。 デザインは全国の高校生から公募。573人から岡山市の岡山工業高校3年遠藤優都さんの案が採用された。改装は内藤さんの専門学校の生徒や姫路市内の板金塗装会社が担当し、約5カ月かけて3月上旬に完成した。 カバを社名の由来に持つ同社では、本社の玄関にカバの陶磁器やぬいぐるみが多数飾られている。 内藤さんは「公道を走るため、車検に合格するように改装するのがたいへんだった。末永く、仲むつまじく活躍して欲しい」。15日に神戸市で開催される神戸まつりでパレードに参加するほか、22日の高梁市のガールスカウトの集会にも駆けつける予定だ。
どうしてカバヤになったのか?
戦前から戦後にかけて、菓子メーカーの間で、子どもに強くアピールする為に、「らくだ」・「うさぎ」・「蜂」等をマークに使用することが流行っていました。 |
■カップルの愛称募集
カバヤ食品は、5月31日までカバ車とカバ車・ガールフレンドの名称を募集している。応募は郵便はがきかメールで「カバ車名称募集」事務局(086・270・5125)へ。
カバヤ食品株式会社はは、今年で65年目を迎え営業している数少ない岡山市の子供のお菓子メーカーです。倒産したり大手に吸収合併され名前の消え去った菓子メーカーも数多いと思います。子供達においしい夢と希望を運ぶ役割を果たすお菓子メーカーとしてこれからも頑張って下さい。
ジューC,さくさくぱんだ,ほねほねザウルスでおなじみ♪お菓子のカバヤ食品の ホームページです。商品情報の他に、お楽しみコンテンツ『カバ村で遊ぼう』や スペシャルサイト『さくさくぱんだ』『ほねほねザウルス』『ジューC』『 ピュアラルグミ』などが ...
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2011年5月14日8時31分
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福島市立学校の9割が屋外活動を制限していることが13日、市教委の調査でわかった。校庭の土の放射線量は国の基準を下回っていても、基準自体を疑問視する声もあるなか、保護者の理解を得られないと考えて制限解除をためらっている学校が多いようだ。 市教委は市立の幼稚園や小中学校、特別支援学校計95校に4月28日時点の屋外活動実施状況についてアンケートで聞いた。文部科学省によると、同日の時点で基準より放射線量が高い学校はなかった。5月13日現在でも同様に0校だった。 体育や理科、課外活動の花栽培などで屋外活動を「実施していない」とした学校は全体の80%。幼稚園は91%、小学校は80%、中学校は67%と、幼い子どもが通う学校ほど割合が高かった。逆に「制限なし」は中学校2校だけだった。 時間を制限して屋外活動をしている学校は全体の18%。小学校は「30分」、中学校は「50分」が最も多かった。「2時間」とした学校がある一方、「15分」という学校もあった。 ただ「実施していない」とした学校の43%は「段階的に実施する予定」としており、再開時期は「5月中旬」とした例が最も多かった。しかし、4月29日に国の基準を甘すぎると批判して内閣官房参与が辞任を表明したこともあり、市教委は「目標として挙げている可能性もあり、全校で実施とはならないかもしれない」としている。 対応に苦心している点についての自由記述欄では、「放射線量が基準を下回っていても保護者の理解を得るのは難しい」との内容が目立った。市教委は、文科省が「有効」とする方式で校庭の土の処理を進め、屋外活動の再開を目指したいとしている。 』
福島市立学校の9割が屋外活動を制限していることが4月13日、福島市教育委員会の調査でわかった。校庭の土の放射線量は国の基準を下回っていても、基準自体を疑問視する声もあるなか保護者の理解を得られないのは、放射線の専門家による意見を聞き、大気中の放射線物質の測定も継続し測定し、子供達の健康には影響しない測定値を医学的に策定しなかった菅内閣にも責任が有ると思います。東京電力福島第一発電所の事故の処理しいつ収束に向かうのが一番の問題です。将来性の子供達の健康と安全を見据え国民との民主党の政策の『情報公開の原則』を守り、菅、政府は責任ある説明責任を果たすべきでは無いでしょうか。御天等様にも当たらず体育館での遊びでは、子供達も伸び伸び遊べずにストレスが溜まり、健康にも良くないと思います。
2011年5月14日15時0分アサヒコム
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ようやく授業が始まった被災地の高校で、学校に通うのを悩む生徒たちがいる。唯一の通学の足だった鉄道が寸断され、復旧のめどが立たないからだ。「部活ができない」「親に送ってもらうのは大変」。転校したり、下宿したりする生徒が出始めている。 宮城県南三陸町のJR志津川駅。駅舎が跡形もなくなり、レールが埋もれている。駅前のバス停で、気仙沼高校1年の渡辺由記さん(15)が午前6時23分発のバスに乗り込んだ。 5歳上の姉も卒業した第1志望の学校に入学したばかり。だが、「帰りのバスが早くて部活もできない。通い続けるか迷っているんです」と話す。 JR気仙沼線を使って片道1時間のはずの通学時間は、代替バスで2時間。しかも、1日2往復しかない。同町の隣の登米市にある佐沼高校なら、父親が通勤途中に車で送ってくれる。通学定期は1カ月分しか買っていないという。 三陸沿岸を走る気仙沼線は9駅の駅舎が流され、各地で橋が崩落し、レールがゆがむ。生徒約820人のうち約100人が気仙沼線で通学していた気仙沼高校では、新入生9人が通学困難などを理由に内陸や遠方の高校に転校した。2、3年生も4人が学校を移った。 千田健一教頭(54)は「転校の手続きをする生徒に『通えるから大丈夫』とは言えず、黙って送り出すしかなかった。これから転校する子も出るだろう」と唇をかむ。 校内の柔道場に暮らす生徒も24人いる。自宅を流された南三陸町の3年生三浦竜馬さん(18)は「バス代は高いし、下宿にも月6万円はかかる。それなら家族から離れてもここの方がいいと思って」。 気仙沼線の不通区間の沿線にある高校7校では、9日までに授業が再開した。計約3千人の生徒の一部は下宿したり、保護者の送迎に頼ったりしている。JR東日本は「新たな街づくりに合ったルートで鉄道を引く必要があり、復旧の目安もお答えできない」という。』
JR東日本は「新たな街づくりに合ったルートで鉄道を引く必要があり、復旧の目安もお答えできない」と言うのが、日本大震災によるJR気仙沼線の被害の大きさと深刻さが伺えます。今回の東日本大震災の被害を受けた各県の地域の高校には、各県の援助で高校の傍に寮を作るべきでは無いでしょうか。文部科学省も被害を受けた東北各県支援すべきだと思います。気仙沼高校kesennuma-h.myswan.ne.jp/)も柔道場で暮らす生徒も24人為にも寮を作る以外復旧が進んでいない今の状況では方法は無いのではないでしょうか。復旧のめどが立たないJR気仙沼線(後方)の代替バスを利用する生徒たちこの写真を見ますし東日本大震災の復旧が進んでいない現状が理解出来ると思います。
大学側は、東京の放射線量のレベルが現在でも世界平均より低いことなどを強調したが、来場した保護者からは「それでも心配だ」という声が聞かれた。早大関係者は「なにか起きたら大学が全面的にサポートするというのが精いっぱい。やはり厳しい」と話した。毎日新聞 5月15日(日)20時13分配信