教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

日本未来の党:嘉田代表、「再稼働容認」一転否定 脱原発、発言ぶれる

2012年12月02日 21時56分40秒 | 国際・政治

毎日新聞 2012年12月02日 東京朝刊

 日本未来の党の嘉田由紀子代表(滋賀県知事)は1日午後、東京都内で記者団に対し、原子力規制委員会による安全性の担保などを条件に「再稼働を認める」とした1日午前の自らの発言について、「どういう手続きが必要かを言った。個別の容認ではない。誤解を与えたならばおわびする」と述べ、修正した。原発政策を巡っては日本維新の会も「30年代ゼロ」を巡って迷走しており、第三極での混乱が続いている。

 嘉田氏は新幹線で上京後、東京・麹町のスタジオに急きょ報道陣を集めて釈明。再稼働について「正式な安全基準がない中ではありえない。針に糸を通すくらい難しい条件がある」と容認しない姿勢を示した。関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の再稼働についても「今のままでは大変危険。選挙で信頼を得たら止める方向で動きたい」と踏み込んだ。

 再稼働を容認したとなれば、民主、自民両党や維新との違いもみえにくくなる。未来にとっては「原発ゼロ」の嘉田氏の鮮明な主張が一枚看板なだけに、急きょ否定せざるを得なかった。未来の森ゆうこ副代表は1日、新潟市の記者会見で「誤解を招く可能性はあったのかもしれない。再稼働なしということはぜひ理解いただきたい」と強調した。

 嘉田氏は1日夕、国民の生活が第一の小沢一郎代表とネット中継番組に出演。「(脱原発政策を)小沢氏からバトンタッチさせてもらいたい」と述べた。

 他党からは批判が出ている。野田佳彦首相は1日、札幌市で行った街頭演説で嘉田氏について「今日午前中、原発の再稼働を一部認める発言をしたが、午後には修正した。よく分からない」と批判した。

 首相は維新の石原慎太郎代表が30年代に原発はフェードアウトするとの公約を見直すと発言したことについても「維新の幹事長は『見直さない』と言った。訳が分からない」と指摘した。【横田愛、飼手勇介、宮地佳那子】

選挙前ですから、日本未来の党代表として、言葉を選び、言葉の重みを自覚すべきです。簡単に前言を翻す言動には、国民は信頼しないと思います。小党連立で、他党の批判や揶揄ばかりせずに思い付きではなく、党の代表として言葉に責任を持ち筋を通し、政治信念と主張を変えないで最後まで主張する政党が最後は当選数を増やすのでは有りませんか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私が「日本未来の党」に対する評価を留保する理由 new!!

2012年12月02日 21時26分46秒 | 国際・政治

counter
<script src="http://www.google-analytics.com/urchin.js" type="text/javascript"></script><script type="text/javascript"></script>
<script type="text/javascript"></script><script src="http://pagead2.googlesyndication.com/pagead/show_ads.js" type="text/javascript"></script><script src="http://pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/r20121107/r20120730/show_ads_impl.js"></script><script src="http://pagead2.googlesyndication.com/pagead/render_ads.js"></script><script></script><iframe id="google_ads_frame1" name="google_ads_frame1" marginwidth="0" marginheight="0" src="http://googleads.g.doubleclick.net/pagead/ads?client=ca-pub-6108080591945003&amp;format=728x90_as&amp;output=html&amp;h=90&amp;w=728&amp;lmt=1354450739&amp;channel=4088646432&amp;ad_type=text&amp;ea=0&amp;color_bg=FFFFFF&amp;color_border=FFFFFF&amp;color_link=343434&amp;color_text=565656&amp;color_url=3366ff&amp;flash=11.5.502.110&amp;url=http%3A%2F%2Fwww.amakiblog.com%2Farchives%2F2012%2F12%2F02%2F&amp;dt=1354450739132&amp;shv=r20121107&amp;jsv=r20110914&amp;saldr=1&amp;correlator=1354450739172&amp;frm=20&amp;adk=2330617933&amp;ga_vid=235234844.1285563563&amp;ga_sid=1354450739&amp;ga_hid=906985367&amp;ga_fc=1&amp;u_tz=540&amp;u_his=4&amp;u_java=1&amp;u_h=768&amp;u_w=1024&amp;u_ah=738&amp;u_aw=1024&amp;u_cd=32&amp;u_nplug=0&amp;u_nmime=0&amp;dff=verdana&amp;dfs=13&amp;adx=500&amp;ady=270&amp;biw=1003&amp;bih=629&amp;oid=3&amp;ref=http%3A%2F%2Fwww.google.co.jp%2Fsearch%3Fsourceid%3Dnavclient%26aq%3Dhts%26oq%3D%26hl%3Dja%26ie%3DUTF-8%26rlz%3D1T4ADBF_jaJP277JP281%26q%3D%25e7%25a7%2581%25e3%2581%258c%25e3%2580%258c%25e6%2597%25a5%25e6%259c%25ac%25e6%259c%25aa%25e6%259d%25a5%25e3%2581%25ae%25e5%2585%259a%25e3%2580%258d%25e3%2581%25ab%25e5%25af%25be%25e3%2581%2599%25e3%2582%258b%25e8%25a9%2595%25e4%25be%25a1%25e3%2582%2592%25e7%2595%2599%25e4%25bf%259d%25e3%2581%2599%25e3%2582%258b%25e7%2590%2586%25e7%2594%25b1%2521%2521NEW&amp;fu=0&amp;ifi=1&amp;dtd=70" frameborder="0" width="728" scrolling="no" height="90" allowtransparency="true"> </iframe>
Font-size: small medium big

Blog Calendar

<iframe title="ブログカレンダー" marginwidth="0" marginheight="0" src="http://www.amakiblog.com/archives/calendar/2012/12/index.html" frameborder="0" width="760" scrolling="no" height="30"> </iframe>

 答えは簡単だ。

 評価を下すに十分な情報を持ち合わせていないからだ。小沢一郎の考
えていることがわからなくなったからだ。

 そしていま私はほとんどといっていいほど失望感を感じている。

 私が小沢一郎を応援する理由はただ一つ、国策捜査という権力犯罪の
犠牲になった政治家小沢一郎の復権を夢見たからだ。

 その小沢一郎が官僚支配と対米従属の虜となったこの国の権力構造を
変えてくれる事を期待したからだ。

 小沢一郎にその覚悟と器量があるかどうかはわからない。

 しかし今の政治家の中でそれができるのは小沢一郎しかいない。

 そう思って私は小沢一郎にエールを送り続けてきた。

 私にとっての支持政党はあくまでも小沢新党なのである。

 嘉田知事や飯田哲也氏では脱原発を望む国民の期待には応えることが
できたとしてもこの国の政治の根本を変えるという国民運動にはなりえない。

 今度の選挙で当選者を増やしても、選挙後の政界再編の中で自公民と
対決できる第二極にはなりえない・・・

 
  「天木直人のメールマガジン」ではその他にも多くのテーマについて
報道の裏にある真実を読み取って毎日解説しています。

  申し込みはこちらから ⇒ http://goo.gl/YMCeC

  定期購読申込と同時に当月配信のメルマガ全てをさかのぼって読めます。

                                   

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小沢一郎元代表は、首相官邸を取り囲む市民デモ隊から「民衆の心」を読み取り、嘉田由紀子知事を担ぎ上げた

2012年12月02日 21時07分58秒 | 国際・政治

2012年12月02日 03時57分30秒 | 小沢一郎「15年戦争」
◆「嘉田由紀子VS小沢一郎 緊急公開対談~日本の未来を語る~」というタイトルで、ニコニコ動画が12月1日午後6時から1時間、生放送した。
 この対談では、小沢一郎元代表が、今回の総選挙(12月4日公示、16日投開票)に対して、組み立てている「総選挙戦略・戦術」の輪郭の一端がクローズ・アップされていて、大変有意義であった。
 「総選挙戦略・戦術」のキッカケの1つは、市民団体が毎週金曜日夕方から「大飯原発再稼働反対」を叫び、首相官邸を包囲するデモを行っていることであった。政党や労働組合などの既成の組織ではなく、普通の市民が、インターネットやツィッター、フェースブックなどで知り、自主的に続々と集まっている状況に、大多数の国民=民衆の意識の変化を感じ取ったのである。「民衆の心」を読み取ったと言い換えてもよい。
◆キッカケの2つ目は、大多数の国民=民衆の意識の変化の萌芽は2006年7月2日、滋賀県で任期満了に伴う滋賀県知事選挙の結果、「もったいない」のキャッチ・フレーズで支持を訴えた無所属新人である京都精華大学の嘉田由紀子教授が初当選したときであった。同県で初の女性知事であり、日本全国で5人目の現役女性知事となったのである。
この知事選挙は7月19日に国松善次知事の任期が満了することに伴うもので、嘉田由紀子教授、現職の国松善次知事、団体職員の辻義則氏の3人が戦った。現職の国松善次知事は自由民主党、民主党、公明党の推薦を受け、県政の継続を訴えた。また辻義則氏は日本共産党の推薦を受け、「栗東新駅キッパリ中止」などと栗東市に建設中の東海道新幹線の新駅、仮称南びわ湖駅や余呉町の丹生ダム、大津市の大戸川ダムの建設中止を訴えた。
嘉田由紀子教授は社会民主党の支持を受け、「もったいないを活かす滋賀県政を」を合い言葉に県財政の刷新を訴えた。また、南びわ湖駅やダムの建設中止を公約した。
この知事選挙のとき、小沢一郎元代表は、民主党代表だった。2006年3月31日に前原誠司代表が、「堀江メール問題」の責任を取って辞任したのを受けて、4月7日の民主党代表選で小沢一郎候補は119票を獲得し菅直人候補を破り、第6代の民主党代表に選出された。小沢一郎新代表は、両院議員総会の演説で、「変わらずに生き残るためには、変わらなければならない」という19世紀のイタリア貴族の没落を描いた映画『山猫』の一節を引用した後、「まず、私自身が変わらなければなりません」と述べ、「ニュー・小沢」を印象づけていた。代表選後、小沢一郎代表は菅直人を党代表代行、鳩山由紀夫を党幹事長にするトロイカ体制を敷いていた。
だから、滋賀県知事選挙のとき、小沢一郎元代表は、嘉田由紀子教授の「敵陣営」いたが、弱小政党である社会民主党以外の支持を得られず、強大な組織ももたない嘉田由紀子教授が当選したことを驚き、むしろ、選挙のプロとして感動していたという。「嘉田由紀子VS小沢一郎 緊急公開対談」のなかで明かしていた。
嘉田由紀子代表は、知事選挙の選挙運動のとき、支持者たちが「人口の多い大津市から始めるべきだ」とアドバイスしたのに対して、「人口の少ない山間部などから始める」と言って、これを実行したのが成功につながったと話していた。この方法は、小沢一郎元代表が、選挙運動の基本として実践している「川上から川下へ」にピッタリ付合している。小沢一郎元代表は、笑顔でうなずいていた。
◆小沢一郎元代表が今回、日本未来の党の代表に嘉田由紀子知事を担ぎ上げることを決めたのは、この2つのキッカケが、丸で双方引き合うように強いヒラメキを持って、俄かに結び付いた結果であった。小沢一郎元代表は9月、側近の達増拓也・岩手県知事に「嘉田知事に会いたい。セットしろ」と指示した。これを受けて、達増拓也知事が、嘉田由紀子知事に申し入れをした結果、10月10日、嘉田由紀子知事から「お会いしたい」と返事をして、3回の会談を経て、日本未来の党結党の下地ができ上がったという。
 嘉田由紀子代表は、小沢一郎元代表の著書「小沢主義」の47ページを開いて、「選挙とは国民自らが未来を選択するためのものだ」と読み上げた。これに対して、小沢一郎元代表は「私は一兵卒として働く」と約束していた。

※Yahoo!ニュース個人


BLOGOS

にほんブログ村 政治ブログへ

本日の「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」
小沢一郎元代表は、「人脈マシン」をフル稼働し、自民党はじめ各党支持母体などにまで支持勢力拡大工作を行っており、各党選対本部は、戦々恐々

◆〔特別情報①〕
 小沢一郎元代表は、総選挙で日本未来の党の候補者をできるだけ多く当選させるべく、支持勢力拡大のため、水面下で猛烈に工作を行っている。工作対象は、自民党はじめ各党支持母体などにまで及んでおり、各党選対本部は、戦々恐々としているという。野田佳彦首相が11月16日突然、衆院を解散してから総選挙(12月4日公示、16日投開票)までわずか1か月、文字通り「短期決戦」なので、小沢一郎元代表は、これまでに築いてきた「人脈マシン」をフル稼働させているのだ。

つづきはこちら→「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」*有料サイト(申し込み日から月額1000円)
携帯電話からはのアクセスこちら→「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」*有料サイト(申し込み日から月額1000円)

携帯電話から有料ブログへのご登録
http://blog.kuruten.jp/mobile.php/top

「板垣英憲情報局」はメルマガ(有料)での配信もしております。
お申し込みはこちら↓



第12回 板垣英憲「情報局」勉強会のご案内
平成24年12月8日(土) 
『どうなる総選挙とその後の政権枠組み』
~争点は、原発ゼロ・景気・TPP
※演題の文言を一部変更いたしました


**********板垣英憲『勉強会』の講演録DVD販売させて頂くことになりました********

板垣英憲・講演録DVD 全国マスコミ研究会

現在は、下記3種類(各定価3000円)をご用意しております。遠方でなかなか参加できない方など、ぜひご利用下さい。
『米国と核戦争』 ~悪の戦争経済・第3次世界大戦(2012年11月11日後楽園「涵徳亭」にて)
『中国革命前夜~中国共産党1党独裁北京政府の崩壊』(2012年10月20日後楽園「涵徳亭」にて)
『橋下徹市長を徹底解剖する』~果たして龍馬か悪魔か(2012年9月15日後楽園「涵徳亭」にて)

【板垣英憲(いたがきえいけん)ワールド著作集】新連載を始めました。



『小沢一郎総理大臣』(2007年11月10日サンガ刊)
※この本は「小沢一郎ウェブサイト」の「著書・関連書籍 小沢一郎について書かれたもの」に紹介されています。

第1章 国家最高指導者の条件と統率力

小沢一郎は帝王学を身につけている

 国家最高指導者である総理大臣は、「帝王学」を身につけていなくてはならない。『現代の帝王学』(プレジデント社)の著者である評論家・伊藤肇によれば、帝王学とは一言で言えば「権力の学問」であり、「上に立つ者がどうしても身につけておかなければならない学問」、すなわち「エリートの人間学」であるという。

つづきはこちら→→「板垣英憲(いたがきえいけん)ワールド著作」*有料サイト(申し込み日から月額1000円)
携帯電話からはのアクセスこちら→「板垣英憲(いたがきえいけん)ワールド著作」*有料サイト(申し込み日から月額1000円)

※ご購読期間中は、以下過去の掲載本全てがお読み頂けます。
『小沢一郎総理大臣待望論』(1994年11月1日ジャパミックス刊)
『ロックフェラーに翻弄される日本』(20074年11月20日サンガ刊)
『ブッシュの陰謀~対テロ戦争・知られざるシナリオ』2002年2月5日刊
『民主党派閥闘争史-民主党の行方』(2008年9月16日 共栄書房刊)
『民主党政変 政界大再編』2010年5月6日 ごま書房刊
『国際金融資本の罠に嵌った日本』1999年6月25日刊
『政治家の交渉術』2006年5月刊
『カルロス・ゴーンの言葉』2006年11月刊
「孫の二乗の法則~ソフトバンク孫正義の成功哲学」2007年7月刊

板垣英憲マスコミ事務所
引用元http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ひたちなか海浜鉄の歴史

2012年12月02日 13時20分50秒 | まち歩き

ひたちなか海浜鉄道の大本となった湊鉄道株式会社ができたのは1907(明治40)年。日清戦争・日露戦争を経験した当時、多くの鉄道は軍事上重要なインフラとして国有化されていましたが、湊鉄道線は一地方の交通・運搬を目的としたものとして私鉄としてのスタートを切ることになりました。日本初の鉄道(新橋・横浜間)が開通した1872(明治5)年からおよそ35年が経ってからのことです。しかし、当時は不況で、決して順風満帆とは言えないスタートを切ることになりました。資金不足のため用地買収や鉄道の建設工事が順調に進まず、勝田・那珂湊間が開通するまでにおよそ6年の年月を要したのです。開通後は、湯治客を呼び込んだり、海水浴場への旅客収入の増収などの経営努力を行ってきましたが、慢性的な不況に悩まされ、太平洋戦争末期の1944(昭和19)年に茨城交通株式会社に合併されることになります。

History_img01

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする