調理実習も 大切な食育教育の実践です。地元で取れた新鮮な鯛や鰺を自分の包丁で三枚下ろししたり、鰺の皮を剥いたり、すり鉢で鰺の身すりこぎミンチにしたり魚の正しい料理法を学んで大変為になったのではないでしょうか。日頃は家庭でお母さんに料理を作って貰ってばかりなので、魚の料理法の手間暇も分からなかったと思います。専門家の調理人さんやおかみさんの指導を受ければ上手く魚をさばけようになったと思います。せっかく魚の料理法を習ったのですから、家でもたまには習った事を忘れないようにお母さん孝行のつもりで、魚を料理して腕を磨いて下さいね。お母さんの体調の悪いときや病気になった時には、サーボトしてあげましょうね。勉強ばかりで料理も出来ないと将来困ると思いますよ。共稼ぎや自分の奥さんが病気になった様な場合、料理が出来ると出来ないのとでは大違いですからね。男の子も女の子も料理は、子供の頃から家庭でお母さんのお手伝いをして良くお母さんから習って置いて下さい。お母さんから各家庭の味を教えて貰うことも大切ですよ。
『新見公立短大(新見市西方、難波正義学長)は9日、現在3年制の看護学科を4年制の看護学部看護学科に改編して、「新見公立大」として開学することが10月30日付で文部科学大臣に認可された、と発表した。10年4月にスタートする。4年制に生まれ変わるのは、短大の看護学科(1学年定員60人)と1年制の地域看護学専攻科(同15人)。看護学部看護学科の最初の入試は、推薦入試(同20人)が10年1月21日、一般入試(同40人)が同2月14日に実施される。いずれもセンター試験を受けずに受験できる。 改編に伴い、短大看護学科はすでに募集を停止しており、在学生が卒業する12年3月に廃止する。地域看護学専攻科は13年3月に廃止する。 2年制の幼児教育学科(同50人)と地域福祉学科(同)は現状のまま残し、短大も大学と併存する形で存続させる。 入試の問い合わせは新見公立大(0867・72・0634)へ。』アサヒコム
岡山県新見市にある新見公立短期大学が、現在3年制の看護学科2年、地域看護学専攻科か1年の3年制を廃止し4年制の看護学部看護学科に改編されることになりましたが、地方公共団体の財政難で苦しい台所が多く、京都市立看護短期大学は、4年制の看護大学に移行できず廃止したところも有ります。『京都市、佛大新学科に協力財政難で市立看護短大廃止へ 京都市、佛大新学科に協力、京都市は3月25日、市立看護短大(中京区)を2011年度末に廃止する方針を明らかにした。医療の高度化への対応や財政難などが理由で、10年度以降は学生を募集しない方針だ。教員は佛教大が11年度に中京区の二条キャンパスに新設する予定の看護学科が受け入れる。市は奨学金制度の創設や実習先の提供などで佛大の運営に協力していく。 市立看護短大は全国初の公立看護短大として1954年4月に開設。現在は看護科で約150人の学生が勉強している。受験者数は毎年、定員(50人)の約7倍に上る。 近年、医療の高度化とともに、全国的に3年課程の短大から4年課程の大学に移行するケースが増えており、市も約1年前から4年制移行を含め運営の在り方を検討してきた。 市によると、市立看護短大を4年制大学にすれば、建物の改修費などで20億円以上の経費がかかるため、4年制への移行を断念。昨年末に市内の大学を対象にしたアンケート調査で、看護学科の開設時期など条件に合う佛大に協力を求めることで合意したという。 私立は公立よりも入学金や学費が高くなるため、市が佛大看護学科の学生を対象にした奨学金制度の創設を検討している。 看護短大の廃止に伴い、教員(現在16人)は佛大に再就職でき、うち1人は初代学科長に就任する予定。 門川大作市長は記者会見で「佛大に市立看護短大で長年培われたノウハウや伝統を引き継いでもらうことは看護学校の新しい発展につながる」と述べた。京都新聞 』 財政難で公立短期大学が、私立大学に身売りする時代なのに岡山県新見市は頑張っていますよ。看護師不足折の今日の日本で、今地域に根差し、地域の健康向上と高齢化社会に対応出来る看護活動を役割を果たす為に4年制の看護学部を創設する市も有ると言うことです。看護医療も高度化し、4年制看護大学に進学入る短期大学生が多いので、4年制看護大学への昇格を決められたと思います。 市が財政赤字だから言って、廃止するのは私立大学より学費の安い公立大学で看護学を学びたいと言う経済的に恵まれていない家庭の受験生を切り捨て、看護師になり社会に貢献したいと言う夢を葬り去ることになります。子供達は宝で、教育にお金を投資しない悪い伝統を未だ引きづいている日本の国としか思えません。採算取れず赤字だからと言う理由で、公立大學が廃止されないように文部科学省も財政援助すべきでは有りませんか。教育にお金を出さずに、人材の養成を忘れては日本の未来も有りません。今平成22年度からの大阪市立大学の二部の廃止が問題になっています。働きながら学べる大学が少なくなっている今日の関西の大學で、経済的に恵まれていない家庭で、自ら働きながら学、勤労学生の教育権を奪わずに地方公共団体はむしろ護るべきでは有りませんか。勤労学生の夢と希望を奪わないで欲しいと思います。社会的者切捨ては御免です。にしか過ぎません。浪速の心情も廃れた今日です。すぐに成果や結果の出ない教育分野の縮小や削減で、赤字が無くなっても教育の社会性と公共性が失われてしまうと言わざるを得ません。教育ではで金儲けは出来ません。教育は、金儲けでする為にしているのでは有りません。教育の目標とするところが違うと思いますが。結局地域住民の教育財産の二度と取り戻せない損失になるのではないでしょうか。目先の事しか考えないようでは、地方分権とは言えないでは有りませんか。地域の皆さんの健康維持と健康の向上を目指して、4年制の公立看護大學として来年から頑張って、地域の皆さんの為になる優れた人材を養成して下さい。地域の看護と医療の発信拠点として、新見市の市民の皆さんの健康増進と町おこし、地域の活性化を目指して下さい。
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11月12日23時58分配信 産経新聞
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東京都の千代田区立図書館(写真:産経新聞) |
[フォト]明大マンガ図書館 先行施設がオープン
調査によると、19年度の児童への貸し出し冊数は約1億3420万冊、図書館から本を借りた児童数は延べ約2043万人だった。図書館に利用登録をしていない児童を含めた全体の数字について文科省は、16年度分は18・8冊と発表したが、今回は「貸し出し冊数を記録していない館が増え、正確な数字を把握できない」として公表していない。 大人も含めた利用者全体では、貸出人数が延べ約1億7136万人、貸し出し冊数が約6億3187万冊で、ともに過去最多。利用者1人当たりでは18・6冊(同0・4冊増)だった。』産経新聞
『俳優の森繁久弥さんが亡くなった。自ら作詞・作曲した「知床旅情」の大ヒットが、空前の知床ブームのきっかけとなり、後の世界自然遺産登録につながった。知床の自然と人々を愛した森繁さん。道内のゆかりの人たちからは「世界遺産登録への運動は、森繁さんの精神が根っこにあったから」「今日の知床があるのは森繁さんのおかげ」と哀悼と感謝の声があがった。 「お礼を言いたい時になって、その人はいない。100歳まで生きてほしかった」。網走管内斜里町の前町長午来昌さん(73)は森繁さんへの思いをこう語る。 午来さんが初めて森繁さんに会ったのは、映画「地の涯(はて)に生きるもの」のロケで町に滞在中の1960年3月だった。午来さんはエキストラで出演。森繁さんが病床中の妻役の最期を見取る迫真の場面に「涙が出た」と振り返る。 最後に会ったのは約10年前、各界の有志が東京に集った「元気なシゲさんと遊ぶ会」。以来、連絡は途絶えたが、観光ブームの中「目先の利害ではなく、知床の真の将来を考えてほしい」と忠告し続けた森繁さんの姿が忘れられない、という。 「地の涯に生きるもの」のロケは、根室管内羅臼町でも行われた。森繁さんは町を出発する日の朝、後の「知床旅情」の原型となる「サラバ羅臼」の歌詞を旅館の前に張り出した。 「日本は人情の機微が紙より薄いと言われていますが、僕は羅臼の人情に触れました。お世話になった皆さんの後々のために歌を作りました。この歌を歌って別れましょう」と呼びかけた。 その場で大合唱が繰り返され、やがて400人の輪となり、涙を流して別れを惜しんだという。この中に盛り込まれた「後々のために」という言葉の重みを、元助役の志賀謙治さん(85)は今もかみしめる。 映画の原作は故戸川幸夫著「オホーツク老人」。それを映画化するに当たり森繁さんは、「おれのために書いてくれた小説だ」と語り、森繁プロダクションを設立し、その第1作にするほど思い入れがあった。そして、毎晩のように飲み歩き出発の前夜、当時の村長だった故谷内田進さん宅で一気に1番の詩を書き上げ、メロディーを付けた。 加藤登紀子さんが歌って大ヒット、知床ブームをけん引した。志賀さんは「半世紀も歌い継がれる歌はそうない。しかも古い歌でなく、今もぷんぷんと良い香りを漂わせている。この歌は将来も歌い継がれるだろう」。 脇紀美夫町長(68)は「旅館の前で『サラバ羅臼』を合唱した日が49年前の7月17日。知床が世界自然遺産に登録されたのが4年前の同じ日。今日の知床があるのは森繁さんのおかげ」と語った。> 知床羅臼観光協会の辻中義一会長(66)は「羅臼は自然の厳しさが強く残っているからこそ、森繁先生は人間の温かみを感じたのだと思う。『知床旅情』が作られて来年が50年。いまにしてみれば、ここが知床観光のスタートだったと思う」と語った。毎日新聞 2009年11月11日 22時52分
森繁久弥さんは、大正2 年癸丑みずのとうしの丑年で、大阪府枚方市今の枚方パークの付近のお生まれです。昔からの浪速の人情を受け継がれた方と思います。独特の森繁節の人生賛歌も好きでした。時代が変わっても人の心や人の暖かさや思いやり、人情を大切された俳優と思います。『知床を観光ブームの中「目先の利害ではなく、知床の真の将来を考えてほしい。』の言葉に森繁久弥さんの羅臼の自然を愛する心と自然環境保護の大切さを感じました。森繁さんは、以前ラジオで戦争が嫌いと言われていました。大正、昭和、平成と生き抜かれて来た人生経験豊かな俳優さんです。恵まれない人たちを支援する社団法人あゆみの箱会長として、恵まれない人たちを支援されました。森繁久弥さんのモン の歌には、今の日本人皆が忘れている人と人の信頼感と人間同士の繋がりを大切にしたいお気持でいつも歌われていたように思います。知床旅情は、名曲です。ここをクリックして森繁久弥さんの知床旅情http://www.youtube.com/watch?v=DRE6LD6v8zoを聴いて下さい。羅臼www.rausu-town.jpの風景画が目に浮かびますね。諺に『虎は死んで皮を残し、人は死んで名を残す。』と言われていますが、森繁久弥さんは知床旅情を作詞・作曲されて羅臼の人達に後世に残る名歌と御自分の名前を見事残されました。森繁久弥さんが96歳まで長生きされたのは皆に愛され、人の為に尽くされたからと思います。
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『厚生労働省の職員が先月、戦没者の遺骨をサイパン島から成田空港に持ち帰った際、空港のカートで手荷物と一緒に運んでいたことが11日、分かった。同省は「不適切な対応だった」と遺族に向けて謝罪し、職員3人を厳重注意処分とした。 同省によると、処分は2日付。遺骨を運んだ援護企画課外事室の職員2人を文書による厳重注意とし、上司も監督責任を問い口頭注意とした。 職員2人は北マリアナ政府の要請を受け、サイパン島に保管されていた遺骨二十数柱を受け取り、10月23日に帰国した。 遺骨は紙製の箱に納められていたが、2人は空港に備え付けてあるトランクなどを載せるカートを使用。箱を縦や斜めに置き、手荷物と一緒に運んでいた。 本来は専用の台車に箱を並べ、白い布で覆うことになっていたが、いずれも用意しておらず、2人は軽装だったという。空港で目撃した人の指摘を受け、同省が調査していた。 同省は従来と異なる航空会社を利用したため、台車などを手配できなかったと説明。「遺骨の取り扱いについて注意を徹底したい」としている。』 2009年11月12日(木)08:03時事通信
太平洋戦争で、一銭五厘での赤紙で徴兵され戦死した方々の遺骨は、厚生労働省に取って単なる物かお荷物なのか。日本の国の為にと命を捨てた英霊が泣くと思います。英霊と言うと軍国主義者でファシストと批判されます。お隣の中華人民共和国でもロシアでも国の為に戦った人達は国の英雄で、非国民扱いなどしていません。大切に供養しているでは有りませんか。英霊が悪いのなら、中華人民共和国やロシアで言って見たら良いとと思いますし、反国家的行為で収容所送りか、国外追放ですよ。日本人の魂を売り渡した文化人も増えました。又兵隊は、戦争犯罪者と言う有名な亡くなった作家もいましたが軍律厳しい上位下達の軍隊では上官の命令には絶対服従で、上官の命令に逆らえば軍法会議で銃殺される戦前の状況でした。戦前と戦後の物が自由に言える今の日本の民主主義体制とは違うのです。太平洋戦争から 今年で68年間も115万人の遺骨が帰らずに戦野に野ざらしにされているのです。この手荷物扱いした行為に国の為に戦死した戦没者を未だ異国の地放置している厚生労働省の行政の姿勢が伺えます。食うや食わずで、末期の水も十分飲めなかった英霊の皆さんに最敬礼です。海外に戦没者の遺骨を放置して戦後68年も遺骨を収集しないのは経済大国日本だけではないでしょうか。今日の日本の平和は、尊い在外戦没者約240万人の血と犠牲により購割れていることを決して忘れてはなりません。中国大陸で、中支那、(当時は、北支、中支、南支と中国大陸を地理的に地域分けしていました。)中支派遣軍として麦と兵隊の有名な歌『広い見渡す限りの麦畑から取られた曲名に由来するそうです。』亡くなられた東海林、しょうじ太郎さんが歌われていた野戦で7年間陸軍伍長として戦った亡き父は 、戦死した戦友の手首を銃剣で切り落とし、認識標と手首を内地に送り、亡骸は中支の土に埋めた言っていました。亡き父も成都の飛行場攻撃の決死隊志願で頭と肩、足を負傷し野戦病院に収容され、今のように良い薬もなく三日間意識不明で寝かされていたそうです。戦争は、二度と御免や第一線の兵隊が1番かわいそうで苦労したよと生前言っていました。最前線の野戦で戦った兵隊しか戦争の悲惨さや辛さは分からない、アメリカのテレビ番組のコンバットとは実際の戦争とは全く違うと言い見ませんでした。戦争は、括弧の良いものではないといつも言っていました。大空の侍、ゼロ戦の名操縦士で撃墜王の亡くなられたたたき上げの海軍士官海軍中尉の坂井三郎さんも同じようなことを言われていましたね。兵隊は消耗品ではないと思います。遺族方々も高齢になられ、生き残った戦友の皆さんも亡くなられた方々が多いと思います。皆さんの目の黒い内に、命の時間も少なくなって来ています。異国の元戦野、野戦で、未だ風雨にさらされている115万人の遺骨を完全収集し、日本に無事帰還させて上げて下さい。それが経済大国日本の国家的責任と義務思います。太平洋戦争開戦から68年、115万人の遺骨帰らずの記事を再度掲載させて頂きました。私は戦後50年目負傷した父に血を輸血してくれた亡き父の戦友の為に西国霊場の革堂、六角堂に、京都市伏見区の墨染めで発足した陸軍第116師団にちなんでせめてもの恩返しとお礼にと思いまして精進潔斎して写経を納めさせて頂きました。父の戦友は、ほとんど中支で戦死されました。もうすぐ12月8日大本営発表の太平洋戦争の開戦の日が来ますが、異国の戦野で戦死した戦没者の皆さんの御冥福を大阪の空からお祈り申し上げます。日本の土、故国の土を皆さん全員が無事踏めますように重ねてお祈り申し上げます。長い間本当にご苦労さまです。亡くなられた英霊の皆さんに最敬礼です。太平洋戦争開戦から66年、115万人の遺骨帰らず2007年12月08日朝日新聞の記事の中で、岩渕宣輝さん66歳の言われている「それでも、国のために犠牲になった人間を、国が責任をもって帰すのは当然じゃないか。」』を厚生労働省も衆参の国会議員も日本国も決して忘れないで欲しいと思います。戦争中戦地で亡くなった日本の政治家はいないそうです。
☆太平洋戦争開戦から66年、115万人の遺骨帰らず
2007年12月08日朝日新聞
『日本軍のハワイ・真珠湾攻撃で太平洋戦争が始まったのは、66年前の今日だった。異国へ出征したまま帰らぬ肉親や友を、いまも捜し続ける人たちがいる。政府は52年から海外戦没者の遺骨収集を続けるが、まだ115万人が帰っておらず、当時を知る人が少なくなり年々困難になっている。かつての激戦地には戦死した当時のまま放置されている白骨遺体もある。「国のために犠牲になった人々に責任を持ってほしい」。高齢化が進む遺族らは訴える。(写真)火葬のために集められた日本兵の骨を、岩渕宣輝さんはそっとなでた=11月、インドネシア・ビアク島で 。
1万人以上の日本兵が死亡したインドネシア・パプア州のビアク島。11月初旬、日本政府の派遣団が集めた115人の遺骨が島内で火葬された。「今まで放っておいてごめんね」。メンバーの一人、岩渕宣輝さん(66)=岩手県奥州市=が頭蓋骨(ずがいこつ)をなでながら語りかけた。 3歳で父親をニューギニア戦線で亡くした。届いた木箱に遺骨はなかった。「おやじの所に行きたい」。中学生のころから航空会社で働くと決めていた。ニューギニア航空に勤めながら、父親たちを捜し続けた。ニューギニアへの渡航は260回を超えた。 予備士官学校生として旧満州(中国東北部)で終戦を迎えた荒木正則さん(83)=大阪府河内長野市=は、シベリア・ホルモリン地区に3年間抑留された。
02年、慰霊で訪れたシベリアで、日本政府の派遣団による遺骨収集作業を目にした。泥土の中で土にかえりかけた仲間の骨。「この手で祖国へ連れて帰りたい」。以来、ほぼ毎年政府の遺骨収集に参加している。 佐賀県の「戦没者を慰霊し平和を守る会」は昨年、「政府が戦死者の遺骨を放置しているのは問題だ」として、日本弁護士連合会に人権救済を申し立てた。父親を沖縄戦で亡くした副理事長の塩川正隆さん(63)は「死者はものを言えないのだから、私たちが声をあげなければ」と話す。
厚生労働省によると、沖縄と硫黄島を含む在外戦没者約240万人のうち、115万人の遺骨がまだ帰っていない。
政府による南方地域での大がかりな遺骨収集は、75年度で終了した。その後は、民間などから情報があった場合のみ収集している。05年、尾辻秀久厚労相(当時)は国会で「集中的に収集し、ある意味で線を引くべきだ」と発言。06年度から「おおむね3年間」の計画でフィリピン、東部ニューギニアなどで調査を始めた。
だが、収集予算は02年度から減り続け、今年度は約1億9800万円だ。
ハワイに本部がある米国防総省の戦争捕虜・行方不明者捜索司令部(JPAC)は今年6月、8人の調査チームを、激戦地・硫黄島に派遣した。目的は、62年前に倒れた1人の軍曹を捜すことだった。当時の軍の記録や証言に基づき、約10日間かけて崩壊した洞窟(どうくつ)などを調査。今後、発掘作業のチームの派遣を検討するという。
JPACのスタッフは425人で、予算は年5千万ドル(55億円)。約8万8千人の未帰還米軍人を捜している。
「軍人を大切にするのは、次の戦争への準備でもあるのでしょう……」。岩渕さんはそう言った後、自らの言葉を打ち消した。「それでも、国のために犠牲になった人間を、国が責任をもって帰すのは当然じゃないか」』
『 福島県立医大付属病院は11日、子どもに対し、小児科と心身医療科が連携して心身両面から診療する「こどもの心診療センター」(センター長=細矢光亮小児科教授)を開設した。大学病院では信州大付属病院に続き、全国2例目。 同センターでは、主に身体面の治療を行う小児科医と、精神面での治療を行う心身医療科医に加え、患者のカウンセリングなどを行う臨床心理士の計3人がグループを組み、1人の患者の診療にあたる。スタッフは小児科、心身医療科の各医師と、臨床心理士4人を含む計18人で構成する。 近年、「神経性食欲不振症」など、精神的な問題を抱えた子どもが肉体面の変調を伴うようなケースが増加。同病院でも心の問題を抱える子どもの外来診療は5年前から約1・5~2倍に増えており、これまでは、小児科や心身医療科でそれぞれ診察してきたが、協力して対応することにした。 また、医師の白衣に緊張する子どもも多いといい、臨床心理士が診療に参加することで、子どもと遊戯室で遊びながら診察を行う「遊戯療法」により患者が診察を受けやすい環境を提供できるという。』讀賣新聞
病は気からと言われています。体の病気も心の病からきている場合が多いと思います。体の病気ばかり見て、心の面を現代医学では軽視して来たのではないでしょうか。子供達の心の悩みが、健康に大きな影響を及ぼしている場合が、大きいと思います。日本の戦前は、精神力と精神主義を重んじ過ぎましたが。戦後は、人の心の問題や精神的な面を考えず、医療の分野でも心の悩みや心の問題に取り組もうとせずに近代西洋医学の検査第一主義で病気を診断し、その診断結果のみを重視し、心の原因から起こっている身体の異常や各種臓器に及ぼす身体症状を診察して来なかったではないでしょうか。病は気、心からの視点に立って子供達を治療すれば、これまで治りにくいといわれていた病気の原因も解明出来、子供の治療が出来るのではないでしょうか。子供達だけではなく、大人の病気にも、同じ用に言えることで、心が原因で起こっている病気もかなりあると思います。亡くなられました「病は気から」の医学、カッパホームスから出された慶応大学医学部講師の阿倍正先生は、今の近代医学では顕微鏡で検査し分かるものだけしか病気としての診断出来ないと言われていました。心が起こす病の原因を精神心身医学の立場から数々の病気の原因を解明され自律訓練法を用いられ治療の成果を上げられました。日常生活のストレスと心の病から、引き起こしている病気も子供達や大人も、高齢者もかなり多いのではと思います。子供達の病気だけではなく、大人の病気治療にも内科と心療内科の連携も必要と思います。
『「日本を出てみろ」「『やってみなはれ』の精神だ」――。 龍谷大(京都市)の松谷徳八准教授(心理学)は、火曜夜に開く「喫茶みどり勉強会」で学生たちを挑発してきた。深草校舎に近い同じ名前の喫茶店が会場。毎回5~10人前後の学生が自分の関心事について発表し、社会人の卒業生から世の中の話を聴く。大学のゼミではなく、自主的に参加する集まりだ。 今夏、モンゴル人留学生が勉強会で母国でのホームステイを提案した。松谷さんは「現地で文化と歴史を感じてこい」「自分は両国のためになにができるか考えろ」と背中を押した。 学生10人が遊牧民のテントで3泊のホームステイを体験。広大な草原、馬や羊との暮らし、素朴で温かい人々。学生たちは帰国後に「もっとモンゴルを知ってもらおう」と相談し、今月2、3日の学園祭で、羊毛のアクセサリーやフェルトの靴を売ることにした。「羊毛製品で遊牧民のみなさんの現金収入を増やす」。そんな思いも抱いて、まずはやってみる。松谷さんが喫茶で勉強会を開いて20年以上がたつ。開催の理由は「学生の視野を広げたいから」。本を読まず、映画も見ず、旅もしないまま社会人になっても、「濃い人生は送れんぞ」と説き続けている。』 アサヒコム
サントリーの創始者鳥井信治郎氏の言われた名言「やってみなはれ!」です。「日本を出てみろ!」は、亡くなられた作家の小田実さんが、1958年にアメリカに留学し、北米、ヨーロッパ;中近東、インドをまわって帰国した。その旅の記録『何でも見てやろう』1961年出版は、世界を放浪する若者のバイブルになった。この本の書名「何でも見てやろう」の精神とも共通性が有ります。最近大學では、大麻や覚せい剤の使用が問題になり、性的不祥事事件も東西の大学で起こっています。はけ口が無いからとか言われますが、大學に入ってからの自分の目的や将来の進路、大學でなすべきことを見出せない大学生が、今の日本の大学で増えているからでは有りませんか。受験勉強一点張りの大學受験競争の弊害です。大學に合格してしまったら燃え尽きてしまい目的意識や将来の希望を見失ってしまっている学生も多いのではないでしょうか。大學を離れて、学生と先生が一緒に気楽に話合いながら、皆で考える事の出来る場所も必要な時代と思います。先生と学生と対話の場、「喫茶店緑の勉強会」の自主的な交流場で、松谷先生と学生、留学生や社会人の卒業生のコミニュケショーンが生まれ新しい発見や目標も生まれると思います。モンゴル留学生の提案のホームステイで、モンゴルの人達の伝統や習慣、実際の生活ぶりを知ることが出来ますし、いろいろと実体験も出来ると思います。日本を離れて見て、初めて日本の良さや今まで生活して来た日本の恵まれた環境も知ることが出来ると思います。モンゴルへ行き、モンゴルから日本を見直すと今まで見えなかったことも見えて来ると思います。゜本を読まない、映画も見ない、旅もしない」三無主義の学生を松谷先生は、大學から無くそうと考えられたのだと思います。国際化時代の日本です。島国根性を捨てて広い視野を持つことが、これからの若い人には大切です。日本は、アジアの一員です。大阪外国大學に在学中スペインにホームステイした時に、スペインの人に日本はアメリカしか見ず、ヨーロッパ諸国を見ていないとスペインの人に指摘されたそうです。今は故郷で高校の英語の先生をしておられますが、O先生の言われたことを思い出しました。アジア諸国の皆さんから見て、日本人は、どう思われているでしょうか。大學間の交換留学や日本に留学している留学生の国にホームステイさせて貰いお互いに国際交流を深める事が大切と思います。一つの文化交流と思います。アジア諸国から見た日本も自分の目で確かめられ、理解出来ると思います。
『高島市安曇川町田中、安曇小学校(奈良羊子校長、児童305人)の5日の学校給食に、無農薬栽培の大豆でつくった「たかしま天然わら納豆」が初めて全校児童に配られた。無農薬の稲わらで大豆をくるみ、わらについた納豆菌で発酵させた。納豆独特のにおいが消え、児童の評判は上々。市教育委員会は、今月中旬から市内の全小学校の給食に採り入れるという。 わら納豆を提供したのは、食の安全をめざし市内で農薬や化学肥料を使わない有機農法に取り組む「たかしま有機農法研究会」。昨年6月、「無農薬のわらで納豆を作れば安全で安心して食べられる納豆が作れるのでは」と、大豆部会を設置し、メンバー2人が約1ヘクタールの畑で栽培。収穫した大豆を京都府亀岡市の納豆製造会社に持ち込み試作したところ、ねばりが強く、独特のにおいも消え歯ごたえは上々だった。 大豆は「納豆小粒」と呼ばれる種類で、昨年11月中旬に約2トン収穫した。これを納豆の注文に応じて加工している。安曇小栄養職員で栄養士の佐合井治美(さごいはるみ)さんが評判を聞き、6月にカップ入りの納豆を給食に採り入れたところ、児童は「おいしい」を連発。そこで、本格的に「わら納豆」を採用することにした。 この日は、大豆を栽培した安曇川町の農業梅村元成さん(59)が教室を訪れ、わら納豆の栽培から加工までを説明。2年1組の児童たちは、担任の先生からわらでくるまれた納豆のほどき方を教えてもらい、それぞれ約20グラムずつほおばった。松本帆香(ほのか)さん(8)は「いやなにおいがなく、まろやかでおいしかった」とにっこり。 栄養士の佐合井さんは「児童の評判は良く、食の安全とおいしさ、栄養面、地産地消を考え定期的に採用していきたい」と話している。』
輸入食品の安全性もになりましたが。学校給食で、安全で安心して食べれる無農薬栽培の大豆でつくった「たかしま天然わら納豆」が初めて全校児童に給食の時間に配られ食べたのは、新しい試みと思います。わらを使って、発酵させた昔ながらの製法の納豆、子供達の健康維持にも良いと思います。これからは、学校給食を地産地消の食材や食品を生かし食育教育を実践して下さい。日本の伝統食品の納豆や地元でしか取れない食材や食品を学校給食にも取り入れて下さい。全国学力テストの県単位の順位も大切ですが。食は命であり、健康の源であるということを忘れてはなりません。健康で体力のある子供達が、忍耐力や持久力と気力を持ち合わせ十分学力発揮できる子供達に育つのではないでしょうか。納豆には、骨折する子供達が多くなっている今日、ビタミンK2が不足していると言われていますが、ビタミンK2を摂取しているとカルシウムが体内に取り込まれるのを促進します。納豆には、大豆にない多くのビタミンK2が含まれていますし、病原性大腸菌O-157などに対して抗菌作用もあると言われていますので、子供達に持ってこいの栄養食品です。昔は滋賀県の近江八幡市の農家では、戦前わらを使った自然発酵の自家製のわら納豆を農家で作っていたと亡き父から聞きました。無農薬栽培の大豆でつくった国産大豆の「たかしま天然わら納豆」で、高島町の町起こし、地域の活性化を是非図って下さい。
※『栄養一口コラム
- 納豆の栄養とその効果
- “夏バテには納豆がいい”、“納豆は冷え性に良い”
“ネバネバのあるものは体に良い”などなど・・・、
納豆といえば、健康食品の代表ともいえる存在です。
では、どうして納豆が夏バテに効いたり、冷え性に良かったりするんでしょうね~?
まず、納豆の栄養成分を豚肉と比較して見てみましょう。成分 納 豆 豚 肉 備 考 カロリー 200kcal 183kcal たんぱく質 16.5g 20.5g 脂 質 10.0g 10.2g ビタミンB1 0.07mg 0.9mg 0.8mg ビタミンB2 0.56mg 0.21mg 1.0mg ビタミンE 1.2mg 0.3mg 8mg ナイアシン 1.1mg 6.2mg 13mg パンテトン酸 3.60mg 0.84mg 5mg カルシウム 90mg 4mg 600mg 鉄 分 3.3mg 0.7mg 12mg 亜 鉛 1.9mg 2.0mg 9mg
*備考欄は30代女子の1日の摂取量です。
あえて、スタミナ回復の王様・『豚肉』と比較したのですが、
スタミナ回復の効果をもたらす、ビタミンB1は豚肉には劣りますが、
納豆パワーはビタミンB1だけではないのです!
脂肪の代謝を助けるビタミンB2、
糖質・資質、たんぱく質の代謝を助けるパンテトン酸は
豚肉より多く含まれており、摂取した糖質や脂質がエネルギーとして
有効に活用されるのを促進します。
また、納豆のたんぱく質には、アルギニンという
疲労回復に役立つアミノ酸が多く含まれているのにも注目です。
更に納豆には、日頃のハードワークや夏の暑さに疲れた内臓に
うれしいパワーを秘めていたのです。
それは“ネバネバ物質”!!
納豆のネバネバの正体は、ペプタイドというたんぱく質の一種と
フラクタンという多糖類に、納豆ムチンといわれる
アミノ酸がつながったものなのです。
これらが体内に入るとペプタイドとフラクタンはそれぞれ
エネルギー源として利用されます。
一方、納豆ムチンには胃壁を守り、消化吸収を助け、
アルコールの代謝を早める働きがあります。
この“ムチン”、オクラや山芋のネバネバ成分でもあります。
疲れた胃や肝臓に、ムチンがしっかりと働きかけてくれるわけです。
最近、大豆に含まれている大豆イソブラボンが女性に注目されています。
大豆イソブラホンとは、ポリフェノールの一種で、
構造が女性ホルモンのエストラゲンに似ていて
効用や作用もほとんどエストラゲンと同じ様に働くのだそうです。
イソブラホンは女性ホルモンの乱れから来る、冷え性や、肌荒れ
肩こり、更年期障害などに効果があるそうです。
大豆イソブラボンを50mg摂取すれば、女性ホルモンを
補うのに良いということです。
大豆イソブラボンを50mg取るのには、
納豆・・・・60g、豆腐・・・・100g が必要です。
他にも、冷えや生殖機能の維持に必要なビタミンE・亜鉛や、
女性には欠かせないカルシウムも多く含まれており
納豆は女性には、ありがた~い食べ物であるようです。
また納豆に含まれる、ナットウキナーゼという酵素には、
朝鮮人参に匹敵する強壮効果があるそうな!!
女性だけじゃなく、だんな様にも食べてもらわねば!?
まだまだ、紹介したい納豆の良さはたくさんあるのですが、
スタミナ回復と“大豆イソブラボン”に絞って紹介しました。
オクラと混ぜたり、薬味を入れたり、工夫次第で
もっと効果がアップするようです。
この夏、積極的に取りたい食品の一つですね!
参考サイト~POLA FOODS きれいになる栄養物知り辞典 』
http://www.polafoods.co.jp/kirei/index.html
参考文献~五訂食品成分表より引用
『 神戸市内で9月下旬、同市消防局が病院への救急搬送を見送った30代男性が119番通報の翌日に死亡していたことが同消防局への取材でわかった。男性は睡眠薬を多量に服用して意識障害に陥り、家族が1日で3回通報。このうち3回目の通報では、消防局は電話での聞き取りだけで緊急性はないと判断していた。 神戸市消防局によると、1回目の通報では救急隊員が男性宅に急行したが、呼吸と血圧、脈拍をみただけで、救急観察手順で定められた瞳孔確認などをせずに搬送しなかった。2回目は現場にいた警察官に状況を聴いただけで男性に接触せず、3回目は司令課員が家族の話しぶりなどから容体に変化はないと判断し、救急出動を指示しなかったという。通報の翌日、家族が男性の死亡に気づいた。 市消防局の救急対応を検証する「救急事後検証委員会」は、男性の容体を十分に確認しなかったことが判断の誤りにつながったと指摘。消防局は家族に謝罪するとともに、意識障害がある程度認められれば病院に搬送するよう各消防署に通知した。 市消防局救急救助課の宮谷忠治課長は「救急隊員は重篤な結果につながるとは予想していなかった。救命の機会を失ったことには責任を感じている」としている。 』アサヒコム2009年11月10日4時4分
男性は睡眠薬を多量に服用して意識障害に陥つているのなら、呼吸と血圧に異常が見られなくても病院に搬送はべきではないでしょうか。睡眠薬を多量に服用しているので、自宅で回復するのは無理と思います。救急隊員は、医者ではないのですから、経験豊かでも状況確認の判断の難しい場合もあると思います。救急患者の場合は、突然病態が急変することもあると思います。この30代男性すぐに病院に運べは、命が助かったかも分かりません。お年寄り救急要請の場合は、すぐに病院に運ばないと重篤な事態に陥る場合も有ると思います。一刻を争う救命救急です。救急隊員が駆けつけた時とより、救急車で搬送中、救急患者の病態が悪化する場合も有ると思います。早く病院に運び適切な処置を受け、早く回復すれば救急出動と救急搬送の責務を果たしたと言えるのではないでしょうか。命が助かり、思ったより救急患者の病態が軽ければそれはそれで良いのでは有りませんか。救急患者か、命に係わる状況には、絶対ならないとは限りません。地域住民の命を預かる大切な消防局の救命、救急出動です。救急患者の為に万全を期してこれから対処して下さい。心から御冥福をお祈り申し上げます。
『コンビニ大手のファミリーマート(東京都豊島区)が、おにぎりの具材に使ったブラジル産鶏肉を国産と表示していたのは景品表示法違反(優良誤認)に当たるとして、消費者庁は10日、同社に再発防止を求める措置命令を出した。消費者庁による同法違反の摘発は発足後初めて。消費者庁によると、問題があった商品は「直巻きおむすびカリーチキン南蛮」。実際にはブラジル産の鶏肉を使っていたが、包装は「国産鶏肉使用」と表示していた。商品は6月11日に発売。同16日に社内調査で不実表示が分かり販売中止したが、北海道と沖縄をのぞく全国7000店で計約20万個が売れた。商品の開発過程で原料が国産むね肉からブラジル産もも肉に変わったが、表示部門には連絡が不徹底だったという。』11月10日17時10分時事通信
『問題があった商品は「直巻きおむすびカリーチキン南蛮」。実際にはブラジル産の鶏肉を使っていたが、包装は「国産鶏肉使用」と表示していた。』原価が国産むね肉より、ブラジル産ブラジル産もも肉の鶏肉を使うほうが、直巻きおむすびカリーチキン南蛮の原価が安く付くからでしょうね。ブラジル産鶏肉でも加工してしまえば味も国産と変わらないのでしょう。商いは信用です。消費者に信頼されないような事をしたららコンビニ大手のファミリーマートの暖簾に傷が付きます。消費の信頼を裏切るような産地の不実記載は良くないと思いますし景品表示法違反(優良誤認)に景品表示法第4条第1項第1号は,事業者が,自己の供給する商品・サービスの取引において,その品質,規格その他の内容について,一般消費者に対し, (1) 実際のものよりも著しく優良であると示すものに違反するにあたりますが。伊藤忠兵衛さんの伊藤忠商事グルーブの大手コンビニとしての浪速、なにわの商人、あきんどの教え、大阪商人の一番大切な教えでも有ります「商、あきないは、信用」、食の安全性が問題になって入る今日だからこそ生きている商人の教えと思います。もつとファミリーマートの「暖簾、のれん」を大切して欲しいと思います。浪速の商人の商人道を忘れたらあきまへん。暖簾を守る商人としての大切さは、現代の企業経営にも生きているのではないでしょうか。
※景品表示法第4条第1項第1号は,事業者が,自己の供給する商品・サービスの取引において,その品質,規格その他の内容について,一般消費者に対し,
(1) 実際のものよりも著しく優良であると示すもの
(2) 事実に相違して競争関係にある事業者に係るものよりも著しく優良であると示すもの
であって,不当に顧客を誘引し,公正な競争を阻害するおそれがあると認められる表示を禁止しています