将希君の捜索のため韓国岳に入る消防団員ら=2009年11月2日午前8時1分、川上珠実撮影 |
【捜索再開】小5不明:宮崎・韓国岳で捜索再開 1200人態勢
韓国岳のふもとに設けられた現地本部などによると、将希君が見つかったのは、韓国岳山頂から南西方向に下山する途中にある避難小屋の付近。8合目付近にある避難小屋からは約500メートル離れており、登山道の約20メートル下にある沢の近くで倒れていたという。
2日の捜索は午前7時半から県警、自衛隊、消防など約1200人態勢で始まり、午後0時26分ごろ、捜索中の消防団から将希君を見つけたとの連絡が現地本部へ入った。発見時に将希君は心肺停止状態で、その後死亡が確認された。 将希君は先月31日午前11時20分ごろ、父、母、妹、祖父とともにえびの高原の登山口から山頂を目指して登り始めた。2合目付近から1人で先に登り、頂上でも姿が見えなかったため、下山後に家族が県警えびの署に連絡した。 えびの高原では2日午前8時の気温が4度と、この秋一番の冷え込みを観測。将希君は長袖Tシャツに、パーカーを着用し、下はジャージー姿と防寒は十分でなかった。 31日は登山客も多く、山頂から南西方向に下山するルートや、このルートの途中にある避難小屋付近で将希君とみられる男児を目撃したとの情報もあったため、この近辺と韓国岳の西、東側にも範囲を広げて捜索を進めていた。』最終更新:11月2日16時13分"毎日新聞
青梅署山岳救助隊:金邦夫さん「東京の山、甘く見てはいけない」 /東京
『◇ハイカーたちの安全守り15年--青梅署山岳救助隊・金邦夫さん(62)
秋の行楽シーズンが本格化する中、2000メートル級の山々が連なる奥多摩は、連日、多くの登山客でにぎわっている。しかし、空前の「登山ブーム」の陰で、毎年10人近くが「東京の山」で命を落とす。青梅署山岳救助隊は、ハイカーたちの安全を守る「山の番人」。15年のベテランの金(こん)邦夫さん(62)は、「東京の山を甘く見てはいけない」が口癖だ。【袴田貴行】
◇救出・収容遭難者は400人に
東京都最高峰の雲取山(標高2017メートル)などで、日夜、遭難者の救援に当たる青梅署山岳救助隊。一報を受けると、奥多摩町の交番などで勤務する隊員18人が現場へ向かう。金さんは94年から副隊長を務め、今年3月の定年以降は嘱託員として活動。救出・収容した遭難者は400人に上る。
忘れられない救出劇がある。02年7月、都内の大学3年の男子学生が、真名井沢の岩場で約40メートル転落。到着時には意識不明の重体で、耳から血を流しけいれんを起こしていた。ザイルで担架を尾根まで引き上げ、ヘリコプターで病院へ搬送した。
07年12月、金さんのもとへ一通のはがきが届く。差出人は、5年前に救助した男子学生だった。一命は取り留めたが、脳挫傷などの重傷で半身に障害を負い、7カ月間入院。その後、復学して大学院へ進み、ようやく大手電機メーカーに就職できたという。「助けていただき、本当にありがとうございました」。普段は朴訥(ぼくとつ)な「山男」が、珍しく目を潤ませた。
山の怖さを知ってもらおうと、救助事例を紹介するルポルタージュを12年間にわたり書き続け、2冊の本に。最近は「マナーの低下」が目立ち、ブーツやサンダルで登山した若者が下山できなくなり、携帯電話で救助要請する例もあるという。
「東京の山というだけで、ピクニック感覚で訪れる登山客が多い。命を落とす危険性があることを常に自覚してほしい」。奥多摩の魅力を存分に味わい、無事、帰宅してほしいというのが一番の願いだ。』毎日新聞都内版