1980年代から2000年にかけて歴史家・網野善彦氏らを中心として日本中世史ブームが起きる。それは従来の農民と武士・貴族との中心史観だけではなく、職人・女性・海民・山民・部落民ら今まで光が当たらなかった庶民からの日本社会の分析でもある。そうしたいわゆる「網野史学」の端緒は、異端の民俗学者・宮本常一(ツネイチ)の丹念なフィールドワークからの影響が強く反映されている。庶民の膨大な用具や諸分野の暮らしの聞き取りに裏打ちされた宮本氏の視点から、古代以降の絵巻物を読み解いていったのが本書『絵巻物に見る日本庶民生活誌』(中央公論社、1981.3)だった。
絵巻物は関係者以外なかなか見る機会がない。本書には絵巻物の図版画像が119点も掲載されている貴重な公開となっている。そこには、行事・民具・子供・便所・家畜・船・漁具・建築・風俗・履物・植物・狩猟など当時の暮らしの多彩なモノ・人・自然を観察することができる。ただし、本書がハンディな新書本なので、絵も小さく不鮮明でもあり、画像を読み解くのには苦労する。
本当は絵巻物の画像をブログに引用したいところだが、読み手の視点からは極めて見にくく技術的に至難の業だった。そこで、宮本氏の本の表紙を多用することとなった。
さて、宮本氏は冒頭に開口一番、「絵巻物を見ていてしみじみ考えさせられるのは民衆の明るさ・天衣無縫さである」という。庶民の単調で素朴な生活にもかかわらず、「日々の生活を楽しんでいる」のが絵から伝わってくると氏は強調する。
(更級日記紀行、平安時代の肉食)
対照的に、貴族・僧侶らの行事や儀式は堅苦しいものに終始しているのを庶民は物見高く見物している。そのうえついには、それを祭りとして自分たちで楽しく演出してしまう器量をもっていたと氏は評価する。こうした好奇心旺盛な庶民の姿は、幕末にやってきた外国人が自由闊達な子供たちをみて一様に感動しているのと共通点がある。
その意味で、日本人のおおらかさを失ってしまったのは明治以降ではないかと思われる。幕藩体制の江戸時代では分権国家の側面もあったが、明治政府の強権的さらには軍国的体制の徹底は、違う考え方を排除するタブーというものが暗黙の裡にはびこっていく。その延長が日本社会の基層の重しとなって同調圧力を産み出したのではないか。
現在、大河ドラマで「光る君へ」の平安王朝を放映しているが、当時の王朝の建物は、高床式で壁が少なく隙間だらけで冬が寒いのがわかる。そのため、女性の衣服がなぜ十二単になってしまったかが読み取れる。いっぽう、民衆は竪穴住居もどきの土間住まいがしばらく続いたようだ。
同じく、大河ドラマでは公家の烏帽子にこだわっているのがわかる。本書でも烏帽子をかぶったまま就寝している絵巻を紹介している。
従来の裸足の生活から履物を履くようになったのは、土間住居から床住居へと変化し、稲わらが利用されてきたことと関係したのではないかと氏は分析する。また、便所というものがない時代、足下駄については脱糞放尿用として利用されたのではないかという提起も納得がいく。
それにしても、宮本氏の聞き取りの謙虚さが相手の心を和ませていくのが伝わってくる。それらのさりげない情報が氏のかけがいのない知的財産となった。したがって、何気ない絵巻物の中から庶民の発する暮らしの喜怒哀楽の詳細を汲んでいったのだと思えてならない。
なお、本書は1981年3月に発行されたが、宮本氏が亡くなったのが同年1月のことだった。したがって、本書は最晩年の一冊となった。そのためか、巻末に「著作目録」が付随されている。