オラが若いとき、校内の演劇部が「欲望という名の電車」を上演するという目立たない看板があって、気にはなっていたが観に行かなかったことがあった。そんなこともあって、ブロードウエイ(1947年初演)で爆発的に評判となった作品をDVDの映画版でやっと見ることになった。
裕福な地主の実家で育った姉・ブランチ(ビビアンリー)は破産者となっていて、妹の住むニューオリンズに転がり込む。しかし、そこは暴力的で粗野な労働者の夫・スタンリー(マーロンブランド)がいる狭い長屋だった。二人の育った環境の違いは、アル中気味だったブランチがどんどん追い込まれていき、近所のミッチとの結婚に望みをかける。しかし、その幸福は無残にも壊れ、ブランチは過去の裕福な幻想の世界にしか生きられなくなる。
その経過は、近松浄瑠璃の心中物へのストーリーに似ている。その意味で、西洋も東洋も包含した作品の人間の真実を描いた不朽の名作だということにもなる。映画の公開は1952年。第二次世界大戦が終わり、戦勝国アメリカは超軍事大国(今もそうだが)となった。大量生産・大量消費が始まり、中産階級の生活が向上するが、南部では「黒人差別法」が生きており、人種隔離がフツーにあり、工場地帯と農地プランテーションとの桎梏もあった。
貴婦人の洋装を変えられない姉と下着だった汗まみれのTシャツのスタンリーとの対照的な服装は、南部のいやアメリカの現実・価値観の格差を象徴するものだった。問題の社会的深刻さをブランチの精神的病いへと追い込むことで、ブロードウエイやハリウッド、そしてアメリカの繁栄の病巣、さらには人間の醜さ・欺瞞に釘を刺した意欲的な作品となる。
ビビアン・リーの鬼気迫る演技にアカデミー賞主演女優賞をはじめ、監督賞・男優賞など4部門の受賞となる。それは能天気なハリウッドの映画にも骨太な影響を与える。名作「エデンの東」も描いた監督のエリア・カザンらは1947年、俳優養成所「アクターズ・スタジオ」を創設し、映画・演劇界の超有名な俳優を次々掘り出していく。しかし、米ソ冷戦の影響から、マッカーシズム旋風がハリウッドをも襲い、カザンやチャップリンらも生贄になってしまう。そこから、体制に順応するか、沈黙を守るか、逃避するかなどの選択が問われていく。
(<ZUTTO>webから)
脚本の「テネシーウィリアムズ」の家庭環境は、この「欲望という名の電車」そのものと言っていいほどの現実だった。だからこれはリアリスティックなストーリーにならざるを得ないわけでもある。それほどに、アメリカの階級社会の現実はまだまだ解消されていない。トランプを大統領に再選させた背景の本質を考えると、本映画の迫力の根源とつながる思いがしてならない。