山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

新幹線から富士山を見られたが

2025-01-08 22:10:16 | 風景

 久しぶりに新幹線に乗る。各駅停車の「こだま」ではあるが東京方面に向かう。おそらく年末年始の期間だったら座れなかったかも、と安心して空いている自由席の窓側に席を取る。すると、思いもかけず富士山が見えてきた。あわててぽんこつカメラを取り出してシャッターを切る。

  

 車窓からは原野あり住宅街あり工業団地ありそんなパノラマを送りながらも、富士山の存在が圧巻する。やはり絵になるといつも思う。昨日は雨模様だったのできょうの晴天がうれしい。新富士市に入ると煤煙を吐き出す煙突が気になる。これから会う超高齢者の怪気炎の前触れであろうか。

   

 富士の清流のおかげで製紙業も盛んになる。以前、この辺を車で通ったとき煤煙と煙突で富士が包囲されているように見えた時もあった。今では技術革新が進んできれいな煙になったんだろうが、富士山の自然のおかげで生産が成り立っていることを肝に銘じてもらいたいと切に思う。超高齢者の怪気炎には絶望の哀しみがあり人間への怒りがあり「自己中」の毒素も混じり合う。

  

 そのうちに、雲がどんどん多くなって雄大な山塊が見えなくなってしまった。裾野の雄大な広がりを見たかったが残念。2~30年前に富士の原野でキノコ採りをしていたのを想い出す。そこでも、自衛隊の演習による大砲の音が空気をつんざき轟いていたのを残念に思ったものだった。

 これから出会う事態は予測済みである。人間は死ぬ寸前まで変わらないものだという予測は外れてほしいのだが、希望を持ち続けるということはいかに難しいことかを今までずいぶん見てきた。

  

 やんごとなき用事が終わり、やはり予想通りの結果だった。帰りは深夜となった。反対のホームには「こだま」が停車していた。トンボ返りのむなしさと変わらぬ「怪気炎」の孤独に心が乱れた。怪気炎を吐くだけ生きている証明でもあるが、そのぶん周りから人が遠ざかってしまう。その現実がわかっていない回路がなんともわびしい。

 乗り換えに1時間ほどあったので、冷たい風が吹きすさぶ暗い商店街を歩く。久しぶりにラーメン屋に入る。熱いラーメンをすすって寒さをこらえる。しかし歯が悪いのを忘れていた。完食するのに時間がかかった。慌てて駅に戻ると乗るべき電車が数分前に出てしまった。駅員に聞くと、「次の電車は明日の朝です」と明るい声で言われる。終電が出発したばかりだった。

   

 冷や汗をかいてなんとかタクシーに飛び乗ったが、豚骨ラーメンと餃子を一気に詰め込んだせいか、今度は下痢ピー気味となった。それをしばらく我慢しつつタクシーを降りてコンビニのトイレに駆け込む。トイレの中でやっと解放感に浸ることとなる。一日の行程の中に人生の陥穽が見事に凝縮されたような一日ともなった。やっぱり都会の毒を吸うとえらいめに合うということか。あしたはいい日になりますように。

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