山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

しばらくぶりのウナギに感謝

2020-09-27 20:44:44 | 特産品・モノ

 和宮様の退院祝いに二女様から真空パックのウナギが献上された。故あって赤貧の生活を選択した和宮様の暮しにとっては、ウナギはほど遠い食材だった。そんなことを考慮し、また和宮様のお体の滋養を願って養殖ウナギ生産日本一の鹿児島からの宅急便だった。

          

 鹿児島県産のウナギは、スーパーでも国内産として健闘している。安い中国産の価格に迫ろうとする勢いを感じる。というのも、養殖ウナギ生産の4割は鹿児島が占めているからでもある。それは、養殖に適した気候と自然が鹿児島にあるということでもある。火山灰の土からは殺菌力ある弱酸性とミネラル豊富な地下水を確保するという背景がある。

 そうした安定した環境の中で生産が支えられてはいるが、なかには年商40億も稼いでうなぎ御殿の豪邸に住んでいたり、「総理と桜を見る会」に招待されるなどが気になる。

      

 そうは言っても、この匂いとうまさにはかなわない。二女様の心配りに感謝したい。立派なウナギを食べたのはいつだったろうかと、考えてみるが思い出せない。それほどにほど遠い世界に住んでいたわけだ。せいぜい、200円のウナギのにぎりの回転寿司がせめてものごちそうだった。

  それでも、食べるのが困っているわけではない。むしろ、畑の野菜類を食べきるのが難しいほどの飽食に追われている。この状態を格差というのか、幸せというのか、孤絶というのかはわからないが、ストレスが蓄積しないのが何よりだ。和宮様もいたくお悦びしておりましたぞ、ごちそうさま。       

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懐かしい「のし梅」

2020-09-12 21:26:13 | 特産品・モノ

 和宮様の退院と共に諸国からお見舞いが送られてきた。アボカド・靴下・お菓子・ドリンク・うなぎをはじめとする多彩な品々と激励のお言葉を頂戴した。その中に、懐かしい「のし梅」がひょっこり添えられていた。そういえば、オイラが食糧事情の悪かった餓鬼のころ、わずかなコインを握りしめて駄菓子屋へ行くのが楽しみだった。その中のメニューに「のし梅」があったのを想い出す。竹の皮で同じように挟まれていた記憶がある。甘酸っぱい少年時代そのものだった。

        

 製造販売は、宝暦4年(1754)創業の菓子処・山形の「玉屋総本舗」。山形といえば、紅花栽培。その紅を採るには梅の実の酸が必要で、その活用としてのし梅が製造されていく。そのルーツは、山形藩の典医・小林玄端(ゲンタン)が長崎で蘭学を学ぶ中、中国人に気付け薬の秘薬として教わったという。帰郷後、暑気除けの妙薬として売り出したところ山形名産の銘菓になっていったという。

 和宮様より先にこっそり「試食」してしまった。約70年前と全く変わらない味が懐かしい。

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今と昔を銘菓に

2020-09-07 20:57:56 | 特産品・モノ

 遠州菓子処「むらせや」の銘菓をきょうもいただく。天竜川の最下流にある多目的ダムの「船明(フナギラ)ダム」のお菓子だ。こちらは1977年完成した平地にあるダム。いっぽう、二俣城は天竜川と遠州への街道に続く交通の要衝にある。そのため、16世紀半ばに築城され武田と徳川の攻防があった有名なお城でもある。

          

まずは、船明ダムのほうの封を開ける。ダム型の形を想定していたが中身が黄色い餡の菓子だった。白いんげんや小麦粉に砂糖・バター・練乳・卵などがブレンドされた餡だった。どこかで食べたことのある味だ。ここからダムを想像するのには距離があると思った。

     

 「二俣城最中」の封を開けると、なんとしっかりしたお城が出てきた。これはすごい。型を特注しただけに味も間違いがない。そこに生産者の思い入れが表現されている。地域にちなんだ銘菓は「秋葉みち」としてセットで販売されているようだ。そういう意気込みに応援したい。しかしながら、時代は洋菓子やスウィートへと流れている。和菓子は古いと敬遠されそうだ。それだけに店の経営はきっと苦慮されているに違いない。

  しかしながら、ときどき訪れたときは必ずお客がいたのには感心する。日々の小さな努力が反映されている気がする。和宮様のお見舞いとして小さめの和風チーズケーキを買って献上することにした。

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和菓子と静岡と

2020-09-06 20:11:33 | 特産品・モノ

 都会から静岡にやってきてまず驚いたことは、和菓子店が多いことだった。それは市街地だけでなく中山間地のちょっとした集落にもあることだった。なぜかはまだわからないが、茶業の発展や砂糖生産の振興と関係があるような気がしてならない。

 さて、浜松市二俣の「むらせや」で和菓子を買ってみる。目についたのが地域の歴史や特産品にちなんだ商品を開発していることだった。まずは、「鳥羽山桜」というお饅頭。交通の要衝である地元の鳥羽山城は、家康が武田側の二俣城を攻略するために築城した城だ。春は桜の名所であることからの作品か。桜色の漉し餡のなかにたっぷり胡桃が入っている。オーソドックスな味だ。

  

 次は、家康の長男「徳川信康」にちなんだ「信康餅」だった。餡の入ったシンプルな餅だが、なかなか美味だった。近くの清龍寺には信長の命令(謀反の怖れ)で自刃した信康の墓がある。生きていれば二代将軍になった人物だったかもしれない。

  

 その信康と天竜茶とがマドレーヌになっていた。まだ食べ比べていないので味はわからないが、こうした題材を意欲的に創作銘菓に取り入れている勇気が素晴らしい。現在、それらの売れ行きはいま一つだろうが、やっぱり洋菓子風のスウィーツがよく売れているようだ。

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日本の風土のあった「山地酪農牛乳」を飲む

2020-08-12 21:59:07 | 特産品・モノ

  アルプスのハイジに憧れた娘と日本の風土にあった酪農をめざした青年が結婚する。二人は理想を実現すべく岩手・田野畑村の起伏の多い急傾斜地を開拓し、外国産の飼料や薬品に依存しない日本産の「シバ」中心の酪農に挑戦する。その結晶がこの「山地(ヤマチ)酪農牛乳」だ。

   

 厳しい東北の自然と急峻な放牧地で育った牛の牛乳は確かに旨みがあった。「山地酪農農法」の提唱者の楢原恭爾(ナラハラキョウジ)博士は、「山地酪農は新規異質の農業である」と孤立無援の覚悟を込めた研究結果を発表する。急傾斜地を日本産のシバの草地にする。そこに乳牛を放牧し「牛乳」という価値高い食料を生産する。それは誰も取り組んでいなかった異次元の農業だった。

                  

 それを都会育ちの若い二人は、砂をかむような悪戦苦闘を1973年(昭和48年)創業して以来、子どもらも担い手となってやっと実現していく。若い二人の黒髪は今では真っ白になってしまった。いまだ試行錯誤でなんとか安定してまもない農法だが、従来の酪農概念を変える取り組みだ。楢原博士が「農業であれ、酪農であれ、それが人間の真の豊かさへ向かっていなければならない」という提起が根底にある。

                   

 海風の「やませ」によるミネラルたっぷりの野草は牛の糞尿からも栄養を貰う。餌はこの野草だけなのでミルクの生産量は普通の三分の一しかできない。「すべては人と乳牛の健康のため」というこだわりは、牛乳だけでなくチーズでも2019年のJAPAN大会のグランプリを獲得する。さっそくオイラも牛乳とヨーグルトを通販で送ってもらう。「自然には足さない引かない」酪農を自負する、応援したい有意の人がその山地にいた。

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コバエ大発生

2020-08-10 22:19:40 | 特産品・モノ

 梅雨が居座っていたとき、どういうわけか突然コバエが増えていった。野菜の一部をゴミ箱に捨てたせいもあるが、発生源のおおもとは漬物樽だった。漬物に直接触れてはいないが、漬物樽を覆っていたポリ袋に群がっていたのだった。きっと、漬物を取り出したときその一部の味噌等がポリ袋に付着していたのかもしれない。それだけならいいのだが、流しの三角コーナーにも数十匹群がっていることもあった。

 あわてて、フマキラーの「コバエ激取れ」を購入して設置してみる。

           

 設置して間もなくあっという間に、コバエが少なくなった。おそらくコバエは数百匹はいたと思うがこれをセットしたら翌日にはコバエに気がつかないほどになった。「激取れ」なんて大げさなキャッチコピーが多いなかで、これは見事だった。台所では殺虫剤が使えないので困っていたところだった。コバエという昆虫はいないそうだが、いくつかの種類がいたように思う。

  

 それでも、ショウジョウバエが多かったことは確かだ。500個の卵を産むというから、知らぬ間に繁殖してしまう厄介者だった。フマキラーの「激取れ」のおかげで安心して調理も食事もできるようになった。イノシシにもこのくらい効き目がある「激取れ」が欲しいね。

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布製マスクが娘から届く

2020-04-07 21:42:48 | 特産品・モノ

娘の職場もコロナの影響で中断となり、忙しい時空に解放されたようだ。その時空を利用して、得意のハンドメイドを駆使して手づくりの布製マスクを知り合いに配っているという。

  

 その娘からついにマスクがわが家に届く。さっそく着けてみるといい具合にフィットする。ミシンの扱いも手慣れているようだ。

       

 耳にかけるゴムも円筒状の布製ゴムを半割したものできつくない仕上がりとなっているのがいい。模様もマスクの自己主張を抑えた柄にしてある。

       

 マスクの端は袋状になっていてその中に不織布やガーゼなどを入れられるようになっている。こういう仕様ならもっと前から商品化されていても良かったように今にして思う。

   

 前々から、使い捨てマスクに疑問を持っていていつもは布製ガーゼのマスクを愛用していた。ところがいつの間にかガーゼマスクは商品棚から消えていた。あったとしても給食用の小学生マスクだった。仕方がないのでそれを使っていたが、学年と名前を書くようになっているでないか。学年はというと、あぁ高齢者マークを付けた学級になってしまう。もちろん署名は拒否しているけどね。

 娘もわが過疎地へ疎開してくれば、農作業の援農となるし、親の「この顔」を見せてやれるのだが。今は親孝行・その1に感心して感謝するばかりなのだ。 

 

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地紅茶が注目されている

2020-04-05 15:05:33 | 特産品・モノ

 先日、町内にある「うの茶園」を訪れ、自前の新工場でできた紅茶を購入。農薬不使用・有機質肥料による栽培を基本に、台湾に出かけて学んできた経験を活かした「和紅茶」を作っている。

            

 ダージリンと紅ほまれを交配した「べにふうき」を紅茶にしている。封を開けてさっそく急須に入れて飲んでみると山で作られた渋みの少ない甘味とフルーティーな香りが伝わってくる。わが家では自家製のショウガパウダーを入れて「うの紅茶」をいただいている。

 紅茶は、「 茶摘み → 陰干し(萎凋) → 揉捻(ジュウネン・揉みつぶす) → 発酵→ 乾燥 → 完成 」という流れで作られる。

          

 図書館で借りた、藤原一輝監修『ニッポンの地紅茶/完全ガイド』枻(エイ)出版社、(2019.10)には、全国の地紅茶生産者が紹介されている。最近は「和紅茶」というネーミングも広く使われはじめてもいるが、「地紅茶」は民間のお茶生産者主導でネットワーキングされているのが特徴だ。地紅茶生産地は560か所になっているという(2015年現在)。

 

 本書によれば、「地紅茶」という呼び名は、1998年鳥取県大山町で生まれ、2002年には第1回全国地紅茶サミットを主催している。したがって、昨年で18回のサミットを迎え数千人規模になっているという。その興隆の理由は、緑茶の低迷による茶畑の荒廃・日本のお茶文化の衰退を何とかしようという危機意識や地域おこしの表れでもあるようだ。「地ビール」のような地域の特産物になっていく可能性に満ちている気がするが、マスコミの反応は相変わらず鈍い。生産者の地道な努力を大いに応援してほしいものだ。

   

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アジとマグロのソーセージ

2020-03-29 20:05:56 | 特産品・モノ

 和宮様が持ってきたソーセージをうやうやしくいただく。魚肉ソーセージと言えば、スケトウダラなどの白身魚のイメージがあるが、アジやマグロのソーセージとは珍しい。生産・販売している愛媛の西南開発KKによれば、昭和26年に日本で初めて魚肉ソーセージを開発販売したという。しかし、製法等の規制があり一時生産をストップしていた。

                

 昔の味が忘れられないとの要望で、2008年から復刻生産を始める。アジソーセージはいかにもアジらしさの味が素朴だった。マグロソーセージはマイルドな味で、マグロの自己主張が出ていた。このほかにも、柚とか青のりのソーセージもあるらしい。ふつうの魚肉ソーセージは魚味を消そうとしている感じがあるが、このアジ・マグロソーセージは魚それぞれの味を大切にしている。しかも、保存料・発色剤・卵白は無使用とはありがたい。ごちそうさま。

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ヘチマたわしを作ってみる

2020-02-22 08:28:57 | 特産品・モノ

 またもや遅くなってしまった作業だが、収穫しておいた乾燥ヘチマの皮を剥いていく。予定では焚火の火を利用して大鍋で収穫まもなくのヘチマを煮るつもりだった。冬や早春の焚火は風が強いのでついセーブしてしまうことでこの作業も延び延びになっていた。また、水につけ置く方法もあったが臭いも強く失敗した経過もあった。そんなこんなで、放置したままの乾燥状態で今に至ってしまった。

  ちなみに、ヘチマたわしは静岡県が発祥地、江戸時代ころから使用されたというから歴史はまだ浅い。10cmほどの小さなヘチマは食用にしてきたが、太くなったヘチマは食中毒になるきらいがある。つまり、メタボなヘチマはたわしに向いているということになる。

           

 包丁で乾燥ヘチマを輪切りする。種は長箸でつついてきれいにする。乾燥期間が長いと繊維がどうしても茶色くなってしまうが、まさしくそんな状態になってしまった。漂白したら市販のヘチマのように白くなるのだけど。

 ヘチマたわしを愛用して何十年になるだろう。入浴にはこれでゴシゴシ美肌?を誇っている。1年以上も続く堅牢である優秀な素材だ。ヘチマの状態によっては柔らかいのもあれば硬いものもある。女性にはソフトなたわしを勧めたいが、男性は硬いたわしを勧めたい。汚れや垢もよくおちるし、台所でも食器洗いに大いに活用もできる。

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