山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

油槽のマンホールを発見

2023-02-06 21:19:54 | 路上観察

 きょうの午前中、たまたま立ち寄ったガソリンスタンドで油槽のマンホールを発見。今まで、スタンドでこうしたマンホールを見ようともしなかったので、意外性を期待した。かたちは、二連結の角型蓋だった。路上の角型マンホールと形に変わりがなかった。

      

 やや中央には丸形の子蓋に「JTO」の英字がある。これは、「日本タンク装備株式会社」の略だ。そこに、「開閉注意」の文字を入れているものもあるようだ。石油ならではの危険性を促している注意書きだが、ここにはそれがない。この子蓋がど真ん中にないのにはなにか意味があるのだろうか。

 地紋は、タンクの「T」と「逆さT」を図案化したデザインと思われるが定かではない。「逆さT」は、給油タンクを表現したものではないかと推測するがどうだろうか。この狭いデザイン空間にもわからないことが満載だ。

      

 もう一方の正方形の蓋中央にある「JTO」の周りにはきっと赤カラーを塗ってあったような気がする。周りには8個の固定ボルト止めと4個のフックがある。この配置(MKB-400)は、品番によって個数も場所も違うようだ。あまり派手ではないのが役目でもあるようだ。日本タンク装備KKは、地下貯蔵総合メーカーの大手「タツノ(龍野)」出資のグループ会社でもあった。

 

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消火栓は目立つフロンティアだった

2023-01-18 22:48:22 | 路上観察

 先日、秋葉神社の麓を歩いていたら、路上にあった消火栓マンホールに出会った。背景がきっと薄い黄色だったのだろうけど、鮮明ではない。この手の消火栓は、消防車が赤色、背景が黄色というパターンが多いようだ。文字の字体だけ黄色というのもある。最近のマンホールはカラフルになってきたが、消火栓がその最初だったかもしれない。なにしろ、いざというとき目立たなきゃーね。

 基本的にこの消防車デザインが全国に広まっているようだ。上側のやや右に、「市章」が小さくあるのも基本的パターンだ。

          

 撮りだめしていた画像を見返していたら、横浜市の消火栓マンホールがあった(2019.1)。「FIRE HYDRANT」という横文字を入れるなんてさすが国際都市。それに、中央に海の波だろうか、外側に森や緑を表すデザインで横浜らしさを表現しているようだ。オリジナリティがあるのがいい。

          

 浜松市の「防火貯水槽」も発見した(2015.3)。中央に浜松市の「市章」、八角形の中に防火貯水槽の文字を散らし、背景は白。外側は、「火」をデザイン化して、背景は黄色。「火」の文字をデザイン化する例は他でも多いように思えた。

       

 2007年に浜松市天竜区に移行した「旧天竜区」の「防火用水槽」も発見(2016.10)。中央に消防マークが鎮座している。そのデザインの意味するものは、右図のとおり(岐阜・可茂消防事務組合WEBより)だ。「水柱」はノズルの筒先から出た水を表す。なお、わかりにくいが中心のマークは旧天竜市の「市章」。天竜の「て」の字体を図案化したもの。「登天の龍」を意味し、市の飛躍発展を願ったもの。天竜区熊地区で発見したものと思われる。

 このところ、コロナ禍や年齢のこともあるが、あまり出掛けることがなくなった。そのため、路上観察はなかなかできなくなった。したがって、ブログの内容も狭い題材しか描けなくなっている。その井戸の中から外界を見ようと苦戦しているのが実情だ。

 

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ぷらっと路上観察で…

2022-10-24 22:57:21 | 路上観察

 先日、浜松駅近くに車で行った。久しぶりの大都会だった。過疎の山間地を出発してからどんどん外の世界が変わっていく。後期高齢者となって都会での運転はしばらくやってこなかったので心配もした。それでも、むかし都会に住んでいたオイラは路地裏レンジャーだった?? 時間があれば街歩きを楽しんでいた。ちょっとした隙間時間があったので、100mくらいの距離を往復しただけだが久しぶりにマンホールの蓋を探し回る。

 三つのマンホールを発見した。いずれも旧浜松市の市章が真ん中にあるマンホールだった。そこには「下水道」の文字が彫られていた。一つ目は、お台場のような方墳のような四角い突起を周りに散らした滑り止めのデザインだ。左右にフック掛けの鍵穴があった。機能重視のシンプルなデザインだった。

  

 次に見たのは、やはり中央の市章に「下水道」の文字をあしらってあった。その下のほうに「汚水」の文字が見られた。左右に鍵穴があったがそれぞれの形が違うのもポイント。円と直線に雨粒か人間かを表現したように見えたが、よく見られるデザインだ。このデザインは「東京市型」だ。JIS規格の参考図として掲載され全国的に普及した。ただし、それぞれ微妙に違うのでよーく比較しないとわからない。

 「受枠」が6分割のモルタル仕様であるのがレトロっぽい。古くなると雨が降った時は滑りやすい。なお、旧市章のデザインは遠州灘に打ち寄せる波を表現したもの。

  

 最後は、小さな市章に「下」とだけ刻まれたマンホールがあった。下水道かと思ったが、その下側には「ごうりゅう」と刻印されていたので、雨水と汚水との合流管のようだ。中央の周りには亀甲紋とその六角の「原子」がデザインされている。これなら滑り止めはばっちりだ。鍵穴は3か所。

 そしてその外周には、将棋の駒のようなものが並んでいる。星の下の都会の「家」という表現だろうか。その家の大きさには大小あるというのが大発見だ。大を「1」とし、小を「2」とすると、「121121112112」と並んでいるのがわかった。が、この並び方の意味は分からない。

 最近は、カラー版のマンホールが多くなりそのカードも売り始められた。全国を回る余裕があればそれらを見たいところだが、とてもそんな時間はない。しかし、ときどき都会に出かけたときの隙間時間での発見は感動がより大きい。

     

 日本はそのマンホール技術はトップクラスだ。外国はマンホールと道路との隙間があるのでガタガタして騒音がするという。それを解決したのが「勾配受け」という技術だ。しかし、密着度が過度になってしまい蓋を開けるのが厳しくなった。そこで登場したのが「RV」という技術革新だ。これは他の追随を許さないものがあるという。(上の画像は「裏読みWAVE」小林明さんから)

  

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ど根性「タケニグサ」

2021-07-27 22:38:19 | 路上観察

 労働意欲がなくなるとウォーキングに出かける。気分転換と筋肉のリハビリのためでもある。ふだんはついつい車の利用に頼る中山間地ではあるが、ときに歩いてみるといろいろ発見がある。先日は、道路のコンクリートの小さな隙間から「タケニグサ」(ケシ科)が2m以上の高さで伸びていた。その生命力は驚嘆するっきゃない。「タケニグサ」は裸地へ進出するパイオニア植物だ。わが抜根跡地にもすでにやって来てあっという間に大きくなる。

                  

 姿かたちから外来植物に見えるが日本の自生種だ。「遠くから見るとその種のようすが竹に似ている」説から「竹似草」となった。また、竹細工をするため青竹と一緒に煮ると竹が柔らかくなるという俗説から「竹煮草」とも表記される。子どもの頃はこの茎を折るとオレンジ色の乳汁が出るのを楽しんだ記憶がある。しかし、この汁は害虫の駆除にも使われるほどの強力な有毒植物なので注意が必要だ。

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一途な「クズ」の向かった先は

2021-07-20 23:18:32 | 路上観察

 週2回、和宮様を病院へ通院するためのアッシー役を仰せつかっている。その空き時間にぶらりとその周辺を散策することがある。「ふれあい公園」隣の交差点に小さな公園があった。地面には敷石が張り巡らされてはいたが、その隙間からは雑草がいのちの讃歌を必死に奏でている。そこに7~8mくらいの一本の「クズ」が一直線に公園を縦断していた。無謀ともいえるクズの航海の先は未来があるのだろうか。

              

 一途なクズの先には銅像があった。平成6年(1994年)、宝塚歌劇団と春野町との交流を記念して建立された「ふれあいの像」だった。土台にはスミレの花が描かれていた。その上には二人のタカラジェンヌがポーズをとっている。この像の近くに宝塚の演出家・白井鐵造の生家がある。また、その周辺は「スミレ街道」として整備もされている。

 白井氏が訳詞した「スミレの花が咲くころ」の原題は、「再び白いライラックが咲いたら」という、1929年に流行ったウイーンの歌だった。春野町で育った白井氏はスミレの花の美しさへの思慕が深かったことや日本人になじみやすいということで、ライラック(仏語ではリラ)をスミレに替えたということだ。

 銅像は、「ベルサイユのバラ」のオスカルとマリーアントワネットと見た。熱烈な宝塚ファンであろうこの一本の「クズ」は、さまざまな苦難の中でも華麗な舞台のさまを心の糧として、この灼熱地獄の世界を生き抜こうとしているのかもしれない。

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オーソドックスな角型の消火栓蓋

2021-05-02 21:52:24 | 路上観察

  先日、浜松市内で角型の消火栓蓋を発見。黄色地にしているのは新しいのかもしれないが、デザインがレトロな感じがする。周囲に一重の水玉模様というシンプルなデザインを配置し、その中央に斜め格子模様があり、下側に「消火栓」の文字がある。消火栓の文字の上方の枠には、自治体の名前が入ることが多いはずだったが、なぜかここは空欄で格子模様だけになっている。

                 

 掛川市の例では、「消火栓」の上に市名があり、さらにその上に「市章」がほどかされている。これがよく見られるパターンなのに、今回発見した消火栓蓋には、市町村名も市章もない。きっと理由があったに違いないがそのへんの事情がわからない。浜松市との合併問題が予測され、あえて入れなかったのかもしれないと勝手に想像する。こんな道路の蓋にも風雪の歴史があることを予感する。(掛川市の蓋は、日本マンホール蓋学会HPから)

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シンプルなマンホール

2021-03-29 21:45:37 | 路上観察

 浜松市春野町で発見したマンホール。格子模様のシンプルな排水マンホールだ。製作は名古屋の小島製作所。創業は大正8年でいまだ排水金具の老舗。KHMA300型、1500kgまでの荷重に耐えられる。

   

 一昨年、横浜に行ったとき見つけた汚水と雨水のマンホール。亀甲模様は同じだが微妙にデザインが違う。市章は横浜の「ハ」と「マ」とを合体したデザイン。右側のひし形からは合体であるのがわかりにくい。雨水には6つの穴が開いているが、汚水の方はふさがっている。

 最近は、カラフルなマンホールが作られ、町おこしのアイテムにもなっている。そういえば、まだブームになっていないとき、その先駆者だった林丈二さんをゲストに路上観察のお話を伺ったことがあった。そのデータ量もさることながら、海外のマンホール画像をも持っていた。聴衆は一桁だったが嫌な顔せず丁寧に語っていただいたことを想い出す。

 それ以来、路上観察は楽しみになったが、TVの「ナニコレ珍百景」はその影響にある。最近は過疎地に住んでいるので路上観察はできないまま、畑の生き物観察などに移行している。こんなところにも生きる感動がある。

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どこのマンホールなのか

2021-02-26 21:33:57 | 路上観察

 ひょっこりコンビニに立ち寄った路上で見慣れないマンホールを発見する。そこには「農排」という文字があった。漢字からして農業排水らしいが、とりあえず調べてみたら、「農業集落排水」というのだそうだ。要するに、都会でいう下水道処理管のこと。農村世帯の人が集まって農業用水の水質保全や生活環境向上を目的に作ったシステムのことらしい。だから、工業用水や畜産排水、さらには雨水は除外されている。

 しかし、中央のデザインの梅や松やスイセンの花の意味がわからないし、どこの市町村かもわからない。いろいろ探索した結果、「平成の大合併」(2005年)で、現在の静岡県磐田市に合併された「旧豊岡村」のものであることがわかった。中央の梅の花は、梅の生産地として有名な「豊岡梅林」を表し、村の木の「松」、村の花の「スイセン」をデザインしたものだった(昭和49年/1974/10月制定)。

                     

 松や梅があったので、「竹」を探したがスイセンしか見つからなかった。「松竹梅」じゃあまりに世俗的過ぎるよねとブツブツ言いながら、もう一つの疑問が湧いてきた。中央の「村章」らしきデザインは何を表現したものかがわからない。はじめは村の木の松葉を表現した家紋のようなものと思っていたが違っていた。

 ここからはクイズとなる。豊岡村にかかわる単純なデザインとなると。すぐわかった人は素晴らしい。答えは、「豊岡村」の頭文字「と」を、上下に配置するとこのデザインとなるのがわかった。確かに、「と」の字の切れている所を見て了解した。今は無き村の往時がここにしっかり残されている。心配りの行き届いたデザインに小さくも誇り高いムラの文化を感じる。

 

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二月早々春を迎えようと

2021-02-03 20:59:11 | 路上観察

 いつものように近くの国道をウォーキングしていると、もちろん中山間地なので歩道はないが、周辺にはいろいろ発見がある。近所の河津桜の蕾が膨らみ始めている。人間が寒さにおろおろしている間着実に開花の準備をしている。場所によってはそれが並木になっていて、ソメイヨシノが咲くころにはすっかり花が無くなっているという手際の良さだ。

           

 河津桜は伊豆の河津町で1972年に発見されたもので、歴史は浅い。しかし、毎年数十万人が参集する一大イベントとなっている。オイラも最初の頃見に行ったことがあるが、駐車できる所がなくて断念したことがあった。今年はコロナの影響で「河津桜まつり」は中止とのこと、経済的打撃は計り知れない。

  

 桜の足元を見るとスイセンの茎がぐいぐいと伸びていた。山菜を愛でるオイラはときどきスイセンが旨そうに見えるときがある。それはとても危険だ。なにしろ有毒植物の食中毒の首位はスイセンなのだそうだ。スイセンは全草が毒なのだ。しかし、西洋ではスイセンは「希望」の象徴であることも忘れてはならない。そういえば、風は冷たいが大寒も過ぎ気温もあがってきていて春がそおっと歩き始めてきた予感がする。

 

 

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人気の防火貯水槽だった

2021-01-14 21:14:00 | 路上観察

 昨年の今ごろだった。浜松市春野町の砂川集落へ散策会の下見に行ったときだった。シンプルだがわかりやすい防火水槽のマンホールを路上で見つけた。

 中央のマークは旧春野町の町章。「春」の字を三重の円で町民の融和を表象している。マンホールのカラー化がはじまった時代なのだろうか。製作会社は、キューポラのある町・埼玉川口市の「長島鋳物」。「火」の字のデザインが優れているとともにわかりやすい。それは逆から見ると「Y」に見え、万歳しているようにも見えちゃうが。

 福島県舘岩村・千葉県芝山町・山梨県甲府市や大阪駅前の梅田にも同じデザインがある。マンホールの中央をそれぞれの市町村のデザインで表章している。

 

 

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