山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

昭和恐慌が農村を襲った名残、「時局匡救事業」

2013-09-04 21:31:53 | 歴史・文化財
 先日、浜松市春野町里原の天神神社に寄ってみた。
 鳥居は真新しい。
 国道すぐ脇にある。
 そこに、古い石の用水路の断片がひっそり置いてあった。

                               
 石には「昭和7年時局匡救事業」と刻んであるようだ。
 昭和7年(1932年)といえば、5・15事件で犬養首相が暗殺され、傀儡の満州国建国宣言がなされている。
 
 その3年前は世界恐慌による農村経済の疲弊、前年には満州事変による中国への侵略開始と、生活も精神も困憊した時代だった。

                   
 そんなときに景気対策として高橋是清蔵相が出されたのが「時局匡救(キョウキュウ)事業」だった。
 日本版ニューディール政策だ。
 これによって農村の雇用と需要を創出しようとしたのだ。
 それが地域にとっていかに大きかったかが、案内板から伝わってくる。

         
 しかし、まもなく2・26事件で高橋蔵相も暗殺され、軍事費が拡大されていく。
 戦争の加害責任が充分問われないまま現在に至る。
 月日の経過は2本の杉の大木がつながっていることからもわかる。

 
 里原の田んぼは黄金色に輝いている。
 江戸時代から農民が開削してきた用水路が今も健在であることの証左だ。

 時流に媚びへつらうのではない歴史の主体者を、本当は時代が待ち望んでいるのではないか。
 「そんな歴史を刻んでいきたいものだ」と、用水路断片を見て思うのだった。
 
 
コメント
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