1936年に公開された小津安二郎監督の映画「一人息子」を観る。満州国建国(1932)、国際連盟脱退(1933)という戦時背景は画面には出てこないが、製糸工場の女工であるシングルマザーの母・おつね(飯田蝶子)は生活苦を打開するには一人息子(良助・日守新一)だけが希望の星だった。
担任教師の大久保(笠智衆)に「これからの時代は学問を身につけなければ、田舎でくすぶることになる」と言われて、おつねも一大決心をして良助を東京に出し、大学まで進学させる。そのため、結果的に息子の進学を応援し、東京で働くようになった息子を訪問するが。
この辺りは、明治生まれのオラの親父の長男に期待する生き方と重なる。それに応えてオラの長男はエリートコースを邁進するが結果は赤貧の苦汁をなめてきた親父の期待を裏切ることになる。それはこの映画以上の残酷で運命のはかなさを末っ子のオラに見せつけることになる。それはまだまだ語れないが、監督がいわんとしていることと重なる。
担任だった大久保先生も東京に行ったがわびしいとんかつ屋を、良助も安月給の夜学の教師となった。母のおつねも訪問したときの息子夫婦の親孝行ぶりには感動するが、生活の苦しい現実を知ることとなる。
要するに、webの「note.com」(画像の引用のそこから)によれば、様々な作品を通して監督は「敗者の現実」を描いてきたのではないだろうか?という指摘に大いに共感する。
本作の冒頭には、『人生の悲劇の第一幕は親子となったことにはじまっている。』という芥川龍之介の「侏儒の言葉」を画面に引用していたが、その現実を映像の最後まで貫いていて希望をシャットアウトしている暗い作品になっている。そこに、33歳だった監督の早い「無常観」が直截に出ている気がする。それは戦争に従軍しても、戦後になってもその姿勢は変わっていない。
立身出世して周りから評価されても、また安定した裕福な家庭をもてても、それが直ちに幸せを獲得しているとは思えない、というのがオラが見てきた人生の実感だ。その意味でも、この映画はそれをまざまざと見せてくれる。フィルム状態は悪く、画面の雑な飛躍が気になるが、戦後の小津映画のパターンはすでに出来上がっている。
生活が苦しくとも、古典落語に出てくる長屋の明るさや人間模様の寛容さが素晴らしい、と思うし、さらにそこに、自然との苦くも共生や感謝が見つかれば生きる豊かさを実感できる。そういう根拠地を自分の足元に構築したいものだ。これからも、小津監督の無常感からそれをキャッチしたい。