山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

ぎこちない言い訳する熊五郎を温かく

2024-10-19 21:57:26 | アート・文化

 柳家小三治の古典落語の人情噺「子別れ①②」をCDで聴く。と言っても、いつものように車の運転をしながらだけど。一般的には、子別れは「上中下」の三部構成の長編大作だ。「上」編は主人公の大工・熊五郎が弔いに行くと言って酒びたしのまま吉原へ、「中」編は4日間吉原にいてから帰宅して妻と大喧嘩して離婚、「下」編は改心した熊五郎が息子と会う、という流れ。本CDはそれらを2枚のCDに編集している。

 

 1枚目のほとんどが、酔っぱらいの熊五郎オンリーパレードだった。ほかの落語家ではできないような迫真の酔っぱらいが充満する。ストーリーというより得意の「まくら」のようなノーマルなさりげない語りに笑いを誘う、これだけで見事な名人芸だった。このダメ人間再生物語は、名作「芝浜」と似ているストーリーだ。本作は、幕末に活躍した初代春風亭柳枝(リュウシ)の創作落語で、それが現在にまで受け継がれていったというから、古典落語にふさわしい重厚な題材でもある。

 

 最近では、春風亭小朝の愛弟子の「五明楼(ゴメイロウ)玉の輔」や金原亭伯楽が「下」編を演じた「子は鎹(カスガイ)」や、おなじみの「立川志らく」の「子別れ」も見聞きしたが、小三治が笑いを取った同じものを彼らが演じても笑いが取れない余裕のなさが残念。ただし、酔っぱらい役がいまいちだった「志らく」が、言い訳がましい熊五郎が息子の亀吉や妻からの問いにどぎまぎしてしまう姿が好演だった。志らくの優しいまなざしがにじみ出ていたのが出色。

 いっぽう、古今亭志ん朝の「子別れ」は聴衆の心に届く歯切れの良さはさすが天才肌が良く出ていた。泣いてしまった聴衆もいたという。小三治・志ん朝・五代目圓楽・談志らの落語を聞いてしまうと筋を追うだけの若手の落語家の凡庸さが残念ながら際立ってしまう。

  

 小三治の熊五郎は本当の酔っぱらいに聞こえたほどの名演技であるとともに、人情噺の中にもしっかり笑いを加味しているところはさすがの人間国宝だ。人間のちょっとした所作や機微を見逃さないディテールが強みだ。前編の熊五郎の泥酔と吉原遊びから後編の妻子との再会での熊さんのどぎまぎの変化が人情噺の深みを醸し出している。小三治の代表作と言ってもよい長編噺だ。五代目圓楽だったらいかように演じたか聞きたかったが、酒をやらない圓楽には難しかったに違いない。

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